ワグネルの反乱は尻すぼみだったようです。折角、世界の終わりを期待したのに残念な結果でした。それは冗談としても、もう少し何かが起きるのじゃないかと期待していました。
宮崎さんが詳しく報告してくれています。さて、このまま沈静するのでしょうか。それともまだ何かがあるのか。
「宮崎正弘の国際情勢解題」より 令和五年(2023) 6月26日(月曜日)弐 通巻第7811号
ワグネル傭兵部隊の暗躍は終わったのか。プリゴジンはベラルーシへ辿り着けたか
ロシア版ディープステートに大きな亀裂が入ったのだ
ロシア政変でわかったこと。ロシアのディープステートの本丸の組織的な結束力が脆弱であり<<クレムリン ー 軍 ─ 軍需産業 ─ 国有企業とオルガルヒ>>という既得権益の環に群がる裏の権力が一枚岩ではなかったことが露呈した。
ロシアのディープステートはぼろぼろだったのだ。
クーデタ未遂騒ぎの二日前、6月21日からホワイトハウスはロシアの異変を掴んでいた。22日には政権幹部ならびに議会の上層部にロシアに何かが起きていると伝え箝口令を敷いたとニューヨークタイムズが情報源を秘匿して報じた。
CIAがロシアの軍などの会話を傍聴しているからだが、その精度ならびに情報把握のレベルを相手に知られたくない。だから事態が収まってから、新聞にリークしたのだろう。
実際にワグネル傭兵部隊が行動をおこしたのは6月23日深夜からだった。嘗て「プーチンの忠実な番犬」といわれたプリゴジンは「ロシア軍はわれわれにミサイル攻撃を加えた」とし「悪を排除し正義を回復するのだ」とSNSで発信した。
ロシア正規軍との対決姿勢を鮮明にしたことから内戦にいたる懸念があったのだ。
24日未明、プリゴジンはセルゲイ・ショイグ国防相やワレリー・ゲラシモフ軍参謀総長を念頭に「軍指導部という悪を排除しなければならない」などと国民 に決起を呼びかけた。明らかに軍事的叛乱だった。シェイグは正規軍のトップでありゲラシモフはハイブリッド作戦をとなえてクリミア半島を傘下にいれた「ゲ ラシモフ・ドクトリン」の発案者である。
ワグネル軍団のボス、プリゴジンは「ロシア軍は弾丸を供給してくれない。これでは戦えない。軍首脳陣は腐っている」などと息巻いた。批判はエスカレートする一方だった。モスクワでは戦車、装甲車が移動し始めた。主要な政府ビルの防衛に当たった。
モスクワへ進行すると宣言して、ワグネル軍団は北上しはじめ、これを「正義の行進」と自ら命名した。
6月24日、プーチンはテレビ演説し、「1917年革命前夜だ」と喩え、「叛乱した者を処罰する。これは国家への裏切りである」と言明した。すかさずメドベージェフは「核兵器がワグネルの手に渡ると世界の終わりだ」と発言した。
一方。ウクライナならびに西側の論調は、叛乱による混沌とプーチン退場に期待して、「プーチンの終わりの始まり」と報道した。実際にワグネル傭兵部隊はロ ストフ州の州都のロストフナドヌーにある軍管区司令部を占拠したのだから、ロシア軍としては叛乱軍に本拠を明け渡したことになる。大失態だ。飛行場、武器 庫などで戦闘があり、13名の空軍兵士が死んだとする米国の報道がある。
▼二・二六事件や五・一五事件と比較すると。。。
さてワグネル傭兵部隊の残存兵力は6月23日時点で2万強だったが、負傷兵を含む。このうち5000がモスクワの手前200キロまで迫った。出動したチェチェン軍と道路を挟んだ対峙した。だが過激派同士の戦闘はおきなかった。
ロシア側はモスクワ市内の要所に警戒態勢を敷き、進軍予定の道路にトランクを横倒しにして即席の防御壁をつくり、また道路をブルドーザやショベルで破壊 し、戦車、装甲車が通過できない措置を講じた。モスクワの政府庁舎前には土嚢を積み上げ、市長は外出を控えるよう警告した。
二・二六事件も五・一五事件も鮮明なる大義があった。参加した兵士にも国家改造、政権首脳部の排除など目的ははっきりしていたが、ワグネルの叛乱はどこ となく大義が不明で胡散臭く、動機が不純、まして土壇場で叛乱指導者の海外逃亡を黙認するなど、どちらにも美意識がない。
一般的に反乱軍の定石は目標を掲げ、国民の理解と同情の獲得を意図し、部隊の配置を効率よくする。嘘放送を流す必要から広報を重視しテレビ局を制圧する。
そのうえで呼応する部隊(つまりロシア正規軍の一部が裏切る)、支援する機関や団体、町には支持者が繰り出すなど、叛乱を支持する運動が自然発生的に起こるはずだ。
プーチン批判を展開してきたいわゆる「民主活動家」はまったく呼応した行動に出なかった。
ロストフナドヌー以外、どこにもワグネルへの支援はなくモスクワは落ち着いていた。新聞はワグネル批判一色であり、日頃のプーチン批判デモも起こった気配がない。
当てが外れたプレゴジンはベラルーシのルカシェンコ大統領からの長時間の電話説得に応じて進軍を止め、ワグネル部隊へもとの陣地へ引き返せと命じた。占拠していた軍司令部ビルからも撤退した。
プリゴジンがルカシェンコとの取引に応じたのは自らを含むワグネル幹部は免罪されること、ベラルーシへの亡命が黙認されることだった。
軍事クーデタ未遂で明らかになったことはプーチン執行部が軍を完全に掌握できていなかったこと、ほかに30近くある民間の戦争請負業に関しても軍との整合性がないこと、プーチンへの批判が意外とウクライナに近い地区で高いことなどだった。
戦局はヘルソン州のカホフカ水力発電所ダムの決壊から激動した。冠水地区は水が引かず、上流貯水池が急速に干上がった。琵琶湖の約6割の水量があった貯 水池である。この貯水がなくなれば農業大国の農地は荒廃し、砂漠化する恐れがある。戦争の展開で言えば、戦車戦の戦場とはなりにくい。この貯水池は東京都 に匹敵する広さがあり、ドニプロ川が蛇行しながら流れる。1950年代に建設され、下流地域の農業の水源だった。
しかも上流のダムもかなりが破壊された。
これで戦局がかわり膠着状態となった。
英BBC放送はロシアの独立報道機関との共同調査で、6月17日までにウクライナ戦争で死亡したロシア将校が2100人を超え、中佐以上では少なくとも 242人、戦闘機パイロットは少なくとも159人が死亡したと報じた。しかも高齢者、訓練未熟者が目立ち、20歳前後の職業軍人が多かったが、最近3カ月 では動員兵や民間軍事会社ワグネルの戦闘員が増加していると分析した。
かくして日本のメディアが言うような「プーチン政権に亀裂がはいった」のではない。
亀裂はもともとロシアのディープステートになかで演じられてきた。ユダヤ人オルガルヒの大半は富を失い、海外へ逃亡した。ウクライナ戦争を仕掛けて西側の 制裁を受けたため表面的には何食わぬ顔をしてきたが戦争に訴えると国民が熱狂的に支持したかといえば予備役の蒐集にも手間取り、若者の多くは海外へ逃亡し (4万5000人のロシア人はメキシコ国境から米国へ密入国した)、結局、囚人をワグネル傭兵部隊へ急遽算入して前線に投入せざるを得なかったのだ。
それにしても、これで終わるとは思えない。きっと何かが起きるのでしょう。
Haranoさんもこれを取り上げてくれています。
それにしても、金の亡者達のやりたい放題には呆れるしかない。権力と金の魅力に取り込まれた奴等が人類に不幸を齎すのは何とも哀れですね。これが人類の限界なのでしょうか。
それとも、シラス国が世界に理解される時が来るのでしょうか。