明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



ディアギレフを再開したが、随分大きい。もともと巨体のところへ持ってきて、厚手のコートを着せたせいである。このコートはディアギレフのお気に入りらしい。ボリュームのおかげで、ディアギレフの大頭が目立たないようになっている。作り始めるまでは、シルクハットを被せるつもりだったが、三体は作るつもりなので、今回はトレードマークの、髪の生え際の一部を白く染めた状態を見せることにした。

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一日  


三島の頭部には苦労させられた分、私に創作の快楽をもたらせねばならない。すでにイメージも頭の中にあり、こうなれば話しながらでも作れる。第一作目は、かなりカッコ良くなる予定で快調に進んでいる。 もう一つ、さらに苦労したディアギレフだが、先日お会いしたリチャード・バックル『ディアギレフ』の訳者でもある鈴木晶先生から、褒めていただいたので、これ以上心強いことはない。モノクル(片眼鏡)を着け、ステッキまでは前回と一緒だが、タキシードではなく、お得意のエリに毛皮が着いたコートにする予定。このディアギレフはオイルプリントにしてみたい。

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再び市ヶ谷へ。法政大市ヶ谷キャンパス、ボアソナード・タワーに舞踊評論、バレエ史研究の鈴木晶先生を訪ねる。ひょんなことから某企画社のIさんを紹介する役目に。お邪魔した部屋は、バレエ、ダンス、ミュージカルのビデオであふれていた。ジョルジュ・バルビエの和紙にプリントされたニジンスキーの揃いを拝見したりしながら、バレエ・リュス発展史など、軽い講演を聴いてるような形に。興味深い話を伺う。私と同様、シド・チャリシー(チャリスと発音された)の写真をオークションで落札されていると訊いて驚いた。私は脚線美といえば彼女である。ディアギレフの頭部を見ていただいたりしながら、無事役目を果たす。 木場に帰り、角の煮込み屋へ自衛隊ロシアンルーレット団子を持っていく。次々お客がつまんでいき、隣りのYさんに。そうとう辛いらしい。しかし同じく当たった女将さんケロリとして美味しいという。Yさん、いかつい顔して味覚が子供なんじゃないの?みんなで笑う。

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一日  


昨日お会いしたFさんはボリス・コフノに会った事があるそうである。コフノといえば、セルジュ・リファールとともに、ディアギレフの最後を看取った、バレエ・リュスのマネージャー、ディアギレフの私設秘書を務めた人物であり、台本から振り付けまで手がけている、なかなか多才な人物である。私は禿頭の元レスラーのようなポートレイトしか知らない。残念ながら会いに行った時はすでに危篤状態で、二週間後に亡くなったそうである。そう思うと、バレエ・リュス関係の人たちは、1800年代生まれでも、私の高校時代あたりまで生きていた人物は存外いて、それほど昔の出来事でなかったようで不思議な気がする。都内某所にて、資料になりそうなディアギレフ、ストラヴィンスキーの写真のコピーをとってもらう。 出掛け前に、急遽決まったことがあり、やらなければならないことが増えてしまった。年賀状は三島でウケを狙おうと思っていたが、もう間に合わない。

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ディアギレフの巨大な臼型福助頭には、すっかり苦労させられたが、こうなったら、よほど楽しませてくれなければ我慢できない。始めに制作したディアギレフは、ただ立っていたが、リニューアル版では、そんなことでは、とても許せない。 しかし、立っていないとすれば寝てるか座っているかだが、寝ているのはともかく、座らせるとしたら椅子はアール・デコであろうか?嗚呼イヤだ。 楽器を作りたくなくて作家シリーズを始めたのに?頭部ができて、これから作る楽しみが待っているというのに・・・。

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バレエ・リュスの衣装デザインから背景まで描いていたレオン・バクストが残した、有名なディアギレフの絵がある。私はディアギレフを始めて作った当時、その流れ落ちそうな目尻の垂れ下がり方が信じられなかったのだが、角度によってはそう見えるらしい。そもそもバクストの作風からして、そんなことを強調することはあり得ない。 バクストではないが、ディアギレフを描いた数カットのデッサンがある。私は、オデコばかり強調して、ふざけるなとばかりに、以来一瞥もくれなかったのだが、今日久しぶりに眺めてみると、私が手にしているディアギレフの頭にそっくりなのである。『なんだ、ホントだったのか・・・。』大変失礼しました。 ホントーに厄介な頭である。今のところ、ディアギレフの横顔は、帽子をかぶって額が隠れている写真しか見たことがない(あとはデスマスク)その頭のせいで、難産で母親が亡くなったらしいが、一番厄介だと思っていたのは本人かもしれない。

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ベニスに向う列車内で、世紀末から20世紀初頭のサロンの女王ミシア・セールとディアギレフが写っている写真がある。ミシア・セールはディアギレフ曰く”何ひとつ月並みのものがない女性”ということだが、ポリニャック大公夫人、ココ・シャネルと並んでバレエリュスの重要なパトロネスの一人である。車窓からの光で、ディアギレフの顔が逆光となり良く見えないのだが(異様な額の形はわかる)ミシアにディアギレフがじゃれついているかのようである。バレエに大金を注ぎ窮地におちいると、こんな感じで金を引き出していたのだろうか?ケチなシャネルからも引き出しているのだから、たいした人物である。 それまで女性が中心であったバレエからニジンスキーを始めとする男性舞踏家にスポットを当てたのはディアギレフの功績だが、今にしても客の大半は女性なのであるから、そうでなければバレエの興隆はありえないであろう。 

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ディアギレフ難航の理由は、以前手に入らなかった資料を入手したことによる。それらを並べてみると、その造形は同一の人物とは思えないくらい違いがある。キャプションがあるからディアギレフなのかと思うくらいなのである。あちらを立てればこちらが立たずで、判りやすくいえば、鉄腕アトムのツノはいったいどっちを向いてるのだという迷路にはまった。(先日TVで明日のジョーのフィギュアを見たが、苦肉の策とはいえ、実に珍妙な前髪であった)よけいな物を手に入れたものだと思ったものだが、マコトなど写さないレンズも、この手のウソはつかないことは解っている。そうこうして先日、三島の写真資料の件で惑わされたことに気がつき、ためしにディアギレフの写真を並べてみたら、一転、すべて同一の人物に見え、形が良く見える。 視神経の奥の脳ミソは、常に柔らかくしていないとならないと反省した次第である。私はあまり集中して励むとロクなことにならない。


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先月、今度こそ完成と言っていたディアギレフ。男は諦めが肝心であり、執着心の強い男はみっともないという風潮の、東京は某下町で育った私としては、実にカッコ悪いことなのであるが、また手を入れ、変わってしまった。これ以上私としてはやりようがないとまで言っておきながら実に恥ずかしいが、その時はそう思ったのだから仕方がない。思えば数年前に作ったディアギレフの表情に、いささか悲しげなニュアンスを加えようと思ったのが、暴走の始まりであった。それが今では、『貴族の血を引く男色家で、才能豊かな美しい男達を見出し育て、その男が女に走ればゴミのように捨てる。金持ちの女からは不思議と金を引き出すが、私服を肥やすことなく生涯ホテル住まい。ロシアからヨーロッパへバレエを逆輸入し、各芸術に大変な影響を与え、ヘアートニックの香りをプンプンさせて糖尿病で死んだ男』というものを(ロシアからバレエを~はともかく)一発で表現できないだろうかと考えているのである。 身辺雑記など始めたおかげで、とっくにバレていただろうが、私はまったく諦めの悪い男なのである。ホントは子供の頃から、一度だって諦めが良かったことなんかないのだ。見得をはるのは、なかなか辛いものである。

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