親に似る、ということがあるなら親に似ない、ということもあるだろう。工学部出て脱サラするまで錨’の設計をしていた父は日曜大工が趣味でノコギリからカンナ、砥石の使い方、パンダ付けなど子供の頃に教わったが、ことごとく下手くそであった。こんなことをしていると器用だと思われるが、そんなことは全くない。頭に浮かんだ物を見てみたいの一念のみで、その方法は、合理的とはいえない。執念の分、作品に何某か趣が加わっているのではないか、と期待してはいるけれど、実情はその分膨大な時間を費やす結果となっている。今日はある作業を試み、ただイライラして断念。腹立たしいので何を試みたかは書かない。