明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



来年、国立新美術館で『バレエ・リュス展』(仮)が開催されるそうだが、オーストラリアのコレクションが主な展示物らしい。リアでなくラリアである。となると恐らくディアギレフ以降ということになるだろう。私としてはロシアバレエといってもディアギレフとニジンスキーがらみの物語以外にはあまり興味をそそられないのだが。  久しぶりに大判の古典レンズを覗いている。レンズは作った人達の、世界はこういう風に観える、というイメージが反映しているものであろう。作られた国によって特徴があるようである。私の場合、イギリス製レンズで良い思いをしたことがない。写真はどうしても製品に依存せざるをえない。製品であれば、こういう物が需要があるだろう、売れるだろうという製造者の思惑が働いているわけだが、100年以上経っていれば製造者はとっくに死んでおり、そんな生臭みは抜けているところが良い。 新刊書と違って古本の良いところも同様であろう。もっとも『貝の穴に河童の居る事』(風涛社)のように、生臭いのは登場する主人公だけ、という場合もある。

当ブログでKといえば馬鹿という意味だが、今年だけでも何回救急車に乗ったろうか。もう乗らない、といった1時間後には乗っている。定年後ヒマなのでパチンコか酒しかない。ようやく元いた運送会社の駐禁よけに助手席に乗るアルバイトを始めた。しかし一週間後にさっそく頭ぶつけて救急車。年内まだなにかやるだろう、と思ったら、朝の6時と夕方の6時を間違え、翌日肩にヒビが入ったらしい。一昨日のカラオケには鎖骨折ったときのギプスをつけて青い顔していたが、酔っ払って盛んに腕を振るから悪化させた。朝起こされたり救急車に乗ったり、迷惑かけられ通しの私には、ざまあ見ろ、という権利が充分にある。年内さらに何かやらかすとしたら、以前額を“への字”に23針縫った27日だろう。馬鹿は死ねば治るというのは、果たして本当なのであろうか。

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