人形は人形から、写真は写真から学ぶべきではない、と思って来た。人形的、写真的世界内で生きるならともかく。昨日、手塚治虫が同じようなことを赤塚不二夫にいったと『テルマエ・ロマエ』のヤマザキマリがいっていた。 蘭渓道隆師は外の世界や他人のことに気を取られるな、といったが、私の場合は興味がなさ過ぎ、母は将来を憂い手を尽くしたが、治らないならせめてバレないようにせよ、と私がチックになるほどうるさかった。しかし生まれついての物は隠せない。結局外の世界に、レンズを向けるに値する物がなく、眉間に当てている。 某野球選手が言うように、他人に憧れ、人のことを気にしてキョロキョロしているヒマがあったら、自分の中に在る物を探究すべきだろう。禅宗的モチーフに至ったのは偶然の気がしない。
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