明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


先日光通信の工事があった。ところが事前に工事の連絡がなかったので、と管理人に断られたとNTT。何をやっているんだとショップへ。若い店員「ホントですねぇ?」「おかしいですよねぇ?」ちょっと待った。なにそのひとごとみたいな感じ。あなたの会社の対応が悪いといっているわけよ。一味でしょ君は。最近はこういうのが多いのだろうか。近所の不動産屋でもまったく同じで、ひとごとのような言い方で、「困りましたよねー」。なんなの?しかも今タメグチになりそうだったろ? 結局ネット回復は先のことに。 三島由紀夫へのオマージュ『男の死』はなんとか完成させようと考えている。三島に関しては、これ以外やりたいテーマは私にはない。本日三島が御輿を担いで恍惚として死んでいる。という作品を完成させた。御輿は深川の祭りを何年も前に撮影している。御輿を担ぐ男達の中に三島を合成したが、必ず問題となるのが髪の毛である。本物の髪がすぐ横にある場合、粘土製の紙は違和感がある。あれは『中央公論アダージョ』の表紙を担当していて太宰治を作った時。横に着物姿の女性を並べた。おかげで太宰のいかにも粘土の髪がヘンである。入稿日の朝、たまりかねてベランダから頭を突きだし、我が頭を撮影し髪を貼り付けた。植村直己も同様であった。こっちの場合は横に配したのは、毛は毛でも犬であったが。 先日NHKに写真を提供した番組はETV特集。土曜の夜11時『米兵捕虜を使った生体解剖事件の真実』である。母校に生体解剖を持ちかけた男の写真である。想像していたとおり、破傷風で死んだこの男に責任を擦り付けたらしい。遺族が出てこないのは当然であろう。 野坂昭如が亡くなった。高校の時、担任がお前らは国語がダメだ、と放課後朗読させられたのが『真夜中のマリヤ』であった。たしか当時通販で野坂のレコードが売られていて、レコードのレーベル部分の穴がなく、かけるとき、穴の部分に刺して開けるバージンレコードというのがあった気がする。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )