明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



東洋、日本画を見ていて思うに、この絵師のこれが元の作品か、と思うと大抵その前に先達が存在する。その点曽我蛇足の一休像は、直接目の前で描いたと思われる。一その一休の前に私が作ったのが、臨済義玄である。仕上げを残して既に納める厨子まで用意した。それは私が特に臨済宗が先達の肖像画、木像の類を残している、と知らないものだから、寒山拾得と同じ臨済宗だ、と勝手に縁だと思い込んだせいである。作ったものは仕方がない。 しかし作っている時からずっと気になっていたのが、蛇足は何を根拠に義玄像を描いたのか。前述のように、元になった肖像があるのではないか。しかしいくら検索してもほとんど見つからない。中国の検索エンジンを入れて検索もしたが、蛇足作がヒットしたり。 かつて写真が無い、とされていた天才ブルースミュージシャン、ロバート・ジョンソンの写真が見つかったと音楽誌に発表された。他にないなら、一カットあれば良い、と作り始めた。だがどうもあの繊細な音楽を作り出す人物のような理知が感じられない。酔っ払って12時過ぎに編集部に電話をしたら編集者が出て「今のところそういうことになってます。」結局信じられずに制作を止め、後に本物が発見され改めて作った。 もうこうなればもし違っていたら、悪いのは曽我派の始祖、曽我蛇足こと曽我墨渓が悪い。ということでNCNRにて。



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