一休宗純を軸に制作してみよう、と考えていたが、昨日ブログを書いていて、男ばかり制作してきた私からすると、一休は男の種々相を描くにはうってつけであり、その点からも良い。 最後、具体的な誰でもなく、男の種々相を描くのに羅漢像を作り続けるのが良いのではないか、と考えていた。その際、4人だ6人だ五百羅漢だなどと目標は決めず。それはいうまでもなく一休和尚のせいで恐れ続けた途中挫折を避けるためである。しかし恐れの原因が明らかになった今、その原因で鬱憤を晴らすべきではないか。結果的にはおかげ今で制作している物が人生上の最突端である、とやって来られたのであるから、感謝しながら鬱憤も晴らすという、一筋縄ではいかない和尚には、そんな心持ちを抱えてアプローチして丁度良い気がする。