97年、浅草にあった土蔵を改造したギャラリーで作家シリーズの初個展を行った。その時関西TV『痛快!エブリデイ』で書生みたいな扮装してレポートしていただいた。気球に乗る江戸川乱歩を「これは誰ですか?」と聞かれ「コロムビアトップです。」とボケそうになった記憶がある。永井荷風の人形を持って撮影風景を撮影したが、カメラが遠い二人だけの所でも気遣ってくれた。人形を国定忠治の刀のようにささげ持ち撮影することから〝名月赤城山撮法“と人知れず呼んでいたのを雀々さんに初めて話した。今ではスマホで誰でもやっている。ご本人、東京で知られていないと思い込んでいたようで、我が家での撮影で書棚に雀々さんが載ってる本を見つけて驚いていた。苦労人らしい気遣いの人だったが、後に著書『必死のパッチ』で苦労し過ぎ、と驚いた。随分経って独演会にも出かけたが、覚えていただいていて記憶力にも驚いた。東京人の私には師匠より雀々さんの方が好きだった。合掌。