明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



横目でこちらを観る墨渓作といわれる一休像は、小四で読んだ『一休禅師』にも載っていた。〝門松は冥土の旅の一里塚〜“の一文と共に、当時活躍した俳優左卜全そっくりの顔は印象に残っているが、通常の頂相同様、目が前を向いていたならこれほど小学生の私にインパクトを残さなかっただろう。 ところで最近、感銘を受けた禅僧が京都大徳寺の開山大燈国師である。一休が尊敬した人物だが、国師と入れ替わるように一休は生まれ、直接の交流はない。乞食と共に20年過ごしたという人物で、その国宝の肖像画が、これがまた横目なのである。一休が写真でいうと撮影者を凝視しているのに比べ、大燈国師の視線はさらに外を向いている、という違いがあるものの、しかめっ面と共に印象的である。あくまで素人考えだが、一休は尊敬する国師を真似て、そうしたということはないのか?



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