明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


頭で考えたことはことごとく外し、感じたままで行くと必ず結果がよい。単純に頭の出来の問題といえばそれまでだが、どこに向かっているのかは判らなかったが、誰が書くのか何かシナリオめいた、筋道のような物が感じられた。そうこうして人間も草木同様自然物、肝心なものはあらかじめ備わっていると思うようになった。 陶芸家を目指していた頃、狐の鳴き声が聴こえるような、岐阜の製陶工場に務めたり、茨城の4キロ四方人が住まない廃村に住んだことがあるが、慣れて仕舞えばどうということはなく、むしろのんびりしてしまい、創作意欲は薄れた。自分自身が自然物であるなら、何も周囲を自然に囲まれる必要はない。季節になり前の通りを祭りの神輿が通り「うるせえな。」なんて呟いているくらいが私にはちょうど良い。 筋道の行先は、というと“自分とは何か?”らしい。最近手掛けるモチーフは、他人を作っているのに、自分自身について知ることになるところが、今まで手がけてきたどのモチーフとも違う。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )