明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



久しぶりにコロナ明けの母のいるホームへ。取り寄せたサバの塩辛を持って行く。まぁ元気ではあった。帰りに敷地内で転ぶ(私が)しばらくボンヤリ歩くのは止めよう。タクシーに乗ると水分補給用レモンフレーバーのペットボトルを2本もらう。いや一つで、と遠慮したのだが。 MさんTさん、舞台合間の今拓哉さん4人で飲み会。人と飲むのは久しぶりである。家では相変わらず生のままのスピリッツで短時間で済ませ、近所のテーブルに味の素が置いてある定食屋で、黙って1人で飲むという、本来の状態に戻っている。元々私はこうであり、今はなき木場の河本の数十年が特別であった。毎日好きなことしているので、気分転換などまったくしたくない。思えば幼い頃夢見た、王様に石の塔に幽閉され、算数宿題しないで良いから好きなことだけやっておれ、が実現している。数週間は神経痛で天井見て暮らしだけれど。 記憶に間違いがなければTさんに、ヤクルトのエースの母親が焼いたという卵焼きを頂いて帰る。甘く懐かしい味。

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法然  


約3週間、入院患者並に過ごしていたら、歩いてもカクカクして、筋力低下甚だしく、つい傘を杖代わりにしてしまう。人間安静が一番と思って来て、ジョギング提唱者が死んだ時に、そら見ろ、と思ったものだが、さすがに多少懲りた。いやだいぶ懲りた。また何かのきっかけで激痛に襲われるのではないか、という恐れが頭をよぎる。 次回の展示に関して、余裕があれば蘭渓道隆師の立像を作ろうか、と考えている。仏像と違って手付かずのモチーフだらけで、つい見たくなってしまう。 それとはまったく別に、浄土宗の寺用に、法然を作る予定である。しかし禅宗の頂相のような迫真の肖像というのは残されておらず、ある一つの肖像画を繰り返し写して来た歴史のようで、今の所、私が作るからには、というモチベーションにつながるアイデアは浮かんで来ない、とヘソ下三寸のもう一人の私。

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