朝、綾部市宗教者懇話会、大本協賛会の役員さん方と一緒に、バスで亀岡市の大本・亀岡本部に向かった。
10時から、大本開教120周年記念《世界平和祈りの祭典》に参列した。
亀岡本部では、みろく会館や大道場がここ数年で新築され、前に行ったときに比べると、ずいぶん雰囲気が変わって明るくなっていた。
出口王仁三郎聖師の耀碗(ようわん)を展示したギャラリーもできていて、見学させていただいた。
12時からは祝賀会で、亀井静香代議士も来られていた。
挨拶の冒頭、「評判の悪い、亀井静香でございます」と言って、会場を笑わせておられたが、挨拶はちょっと元気がなく、何か精彩を欠いたような感じだった。
前に話を聴いたのは、15年前に国民政治研究会で講師に来てもらった時だから、年もとられたからかなあと思った。
祝賀会の最後の方で、亀岡の歴史研究家の方が現在、亀岡本部となっている亀岡城や明智光秀のことを説明された。
鳴かぬなら・・・
「殺してしまえ」は信長、「鳴かしてみよう」は秀吉、「鳴くまで待とう」は家康。
光秀なら、「放してやろう」と詠んだのではないか?
そして、王仁三郎聖師であれば、「鳴かざれば良し」と詠んだのではないだろうかとおっしゃっておられた。
世界平和祈願祭に参列しながら、世界平和とは鳴くウグイス、鳴かぬウグイス両方の違いを認め、対であることの方が実は自然のバランス(平和)であるのかもしれないと感じていた。
綾部と大本、綾部と亀岡、日本と世界、男と女、陰と陽、賛成と反対・・・
感情や先入観を取り払い、違いを認めるというのは本当に難しいことだが、その努力をすることが、いずれ平和につながるのではないだろうか。