特別会計事業仕分けが教えるすべてに亘る第三者監視機会の必要性

2010-10-28 09:16:28 | Weblog

 【再度謝罪と訂正】

 一昨日のブログ記事《23歳女性教諭の小学校3年生、「妹を殺す」授業の不適切な点》で、商業高校の教師が出した、襲われた校長が息を引き取る間際に残した数字「41124」から「校長を暗殺した犯人は誰か」を問うクイズに近いテストで、数字を上下逆にして「1」を「い」と読んで、「4124」の間違いではないかと書いたが、「11」を逆にした二本棒から「い」と読ませているということで、記事どおり「41124」が間違いのない数字でした。

 とてもついていけない教師の想像性ですが、謝罪します。


 ――このことは国政・内閣にも言えることである――

 特別会計仕分けが昨27日(2010年10月)から開始された。2010年度現在、国には18の特別会計があり、特別会計予算は一般会計予算の2倍から3倍を占めるにも関わらず、一般会計予算は国会で審議されるが、特別会計に所属する各事業は各省庁毎に所管、独自に予算を組み、国会の審議に付されることなく、執行・運営される特別扱いとなっているという。

 このような性格であることから、従来から「一覧性、効率性、透明性」に欠けると言われている。いわば国民の目からすると、ベールに包まれた状況にあった。「一覧性、効率性、透明性」欠如に隠れた、いわば「一覧性、効率性、透明性」が欠けていることをモッケの幸いとした特別会計事業への天下り、予算(税金の遣い道)のムダ遣い、不必要な事業の不必要なままの運営等を行ってきた。

 あるいは自分たちの好きにするために「一覧性、効率性、透明性」を意図的に隠すことを最初からの目的としていたのかもしれない。

 自分たちの懐を痛めることのない不必要な事業の不必要なままの継続は往々にして政・官・財の癒着や不正、独善的経営の温床となる。

 そこにメスを入れると言うのが今回の特別会計仕分けであろう。ムダな予算の洗い出しだけではなく、最終的には特別会計の「一覧性、効率性、透明性」を所定の性格とし、国民の目に見える状況に持っていくことを目的としているはずだ。

 だとしたら、特別会計予算にしても、も一般会計予算と同様に国会審議の義務づけが最善に向けた第一歩の方法となる。

 特別会計仕分け第一日の成果を、《1特会・5事業を「廃止」判定 事業仕分け第3弾》asahi.com/2010年10月28日0時34分)から見てみる。

 〈「無駄の温床」と指摘される7省所管の18特別会計(特会)51勘定が対象。省庁の「財布」といわれる特会に切り込み、税金の使い道や隠れ借金を明らかにする考えだ。

 初日は、経済産業省が所管する「貿易再保険特会」を「廃止」と判定し、独立行政法人「日本貿易保険」との一体化を求めた。農林水産省所管の「漁船再保険及び漁業共済保険特会」など3特会は「統合すべきだ」と結論づけた。厚生労働省所管の「労働保険特会」では、ジョブカード制度普及促進事業など計5事業を「廃止」と決めた。〉――

 「廃止」の判定を受けた経産省の「貿易再保険特会」はその継続理由を、「元々は国がやっていた」、「各国とも国がやっている」と主張したそうだが、事業の正当性や効率性よりも既得権維持に流されて、そのことのみを優先し、そのことが自己目的化していたことが分かる。

 特会のこの自己目的化は仕分けチームという第三者の目が入ることによって明らかにされ、そのことによって国民の目に対しても明らかとなる経緯を取ることになる。

 国民の目に見え、国民の目に明らかになることによって、国家や政治に対する国民の監視が可能となる。

 勿論、国民自身が間接的な立場ではなく、国会審議の中継等から直接的立場で監視者の役割を果たすことができる場合もあるが、多くはマスメディア等の第三者の監視を通して国民の監視とする間接的監視の形式を取ることになる。

 特別会計予算も国会審議を義務づけることによって、国民が直接監視可能とすることができるが、現在のところ仕分けチームという第三者の監視を通した国民の間接的監視の形式を取ることで特別会計事業への監視を可能としている。

 但し、確実に言えることは報道を含めた第三者の監視がより専門的、より的確な監視となり得るということであろう。

 「一覧性、効率性、透明性」を欠いていることを利用して、あるいは「一覧性、効率性、透明性」を隠すことによって事業運営や非効率な予算作成とその執行を誰の監視を受けることもなく自分たちの監視のみで行ってきたが、初めて仕分けの監視が入り、その運営実態が仕分けチームの監視を通して国民の間接的な監視を受けることとなった。

 このことを逆説すると、監視のない場所では事業経営に関して独善が横行しがちとなり、それを阻止するには監視する機会を適宜設けることが有力な手段となることを教えている。

 この教えは特別会計や一般会計のみならず、政府の運営や行動等の国政全般にも言えることで、監視の機会を設けなかった場合、いわば監視を怠った場合、例えば国民に向けて公開する情報の的確性は国民の目に見えるゆえに監視可能となるが、逆に公開せず隠すことで国民の目に届かない情報の的確性、さらに公開せずに隠すこと自体の正当性は誰の監視も受けないゆえに国民には判断不可能となり、政府独断の取捨選択による、自身に都合のいいだけの情報公開となる危険性が生じることも教えている。

 国民のこの監視不可能は政府が「国民のための政治」と言っていたとしても、実際に「国民のための政治」となっているかどうかの監視も不可能とすることになる。

 「国民に開かれた政治」と言いながら、その手段となる情報公開に関しては政府の都合・不都合で取捨選択した情報のみの公開で済ませて、公開した場合は都合の悪い政治の実態を隠して、監視不可能とする。

 自民党が民主党政権が行う今回の特別会計事業仕分け結果を検証することにしたと《自民 事業仕分けの結果検証へ》NHK/2010年10月27日 8時1分)が伝えているが、この検証は特別会計仕分けが的確に行われたかどうかの監視の役目を果たすことを目的としているだろうから、国民にとっての間接的な監視の役目を果たすことにもなる。

 記事は〈過去の事業仕分けの結果と現在の民主党の政策の間には多くの矛盾があるという指摘や、年金制度改革の全体像もないままに年金特別会計の事業仕分けを行っても細かな見直しにとどまるのではないかという意見〉が出ていて、〈今回の事業仕分けで民主党の政権公約通り不要な特別会計の廃止に切り込み、子ども手当などの財源をねん出できるかどうか確認する必要〉からの検証だとしている。
 
 このことは国政に対するすべてに亘る監視機会の必要性に適う監視機会の一つに位置づけることができる。

 尖閣諸島沖中国漁船衝突事件のビデオを今回政府はようやく公開することになったが、国民には公開せず、一部議員のみの公開となる方向だということだが、国民の監視を受けないビデオ公開ではこのことに関する政府の行動の適否、中国漁船の態度の適否は判断不可能となり、政府の側から国民に対して「国民に開かれた政治」となっているか、「国民のための政治」となっているのかの監視の受付を拒否することになる。

 また、すべてに亘る第三者監視機会の必要性に反する政府の措置となる。「国民に開かれた政治」と言いながら、そのことに応えていないということである。



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