現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

1/3 新年会

2009-01-03 19:53:54 | 虚無僧日記
1/3 箏のG先生宅で「新年会&弾き初め、吹き初め」。
毎年恒例となった。それぞれ病気を抱え、また病人を
抱え大変な中集まって、無事を確認しあう会になってきた。
G先生も足が痛く座れない、目が悪く楽譜が読めない、
指も動かない、耳も聞こえないの四重苦とのことだが、
『初鶯』『春の海』他難曲を何曲かこなして拍手。
健康な私(一路)が一番の幸せ者だと、皆さんも云って
くれる。 

今夜はこれから伊勢の朝熊山に登る。ここは京都明暗寺の
開祖虚竹禅師が参篭し、霧の中から妙音を聞き、『虚空』
『霧海篪』の曲を会得したという場所だ。もとより創り話では
あるが、そんな伝説が生まれるにふさわしい霊域なのだ。
私は名古屋に来て10年、毎年正月はここで夜を明かし、
ご来迎を仰ぎ見ることにしている。一年のパワーが得られ
る気がする。そして伊勢神宮に参詣し、一日虚無僧に立つ
ことに。

では行って参ります。結果は明日の晩ご報告。

遺したことば

2009-01-03 07:08:06 | 虚無僧日記
年末にNHK教育TVで、昨年亡くなった著名人の
生前のインタビュー記録から、心に残る一言を紹介
していた。

赤塚不二夫は「自分が最低だと思ってればいい。
そうすると、人様がいろいろ教えてくれる」と。
なるほど、“自分は偉い”と思い上がっていると
誰も何も言ってくれなくなる。裸の王様だ。
「赤塚不二夫は漫画家として一番出遅れた」と
知ると、そのことばに一層の重みが加わる。
彼が残したことば「シェー、これでいいのだ」は、
正に悟りの境地。

緒形拳。ガンであることを身内にも隠して、最後
の最後まで現役役者として、真剣に生きた。その
ことばが「演じることは演じないこと」。
なるほど、下手な役者ほど、身振り手振り大仰になる。
「手をだらりと垂らして立っているだけ、何もしない、
何も語らない。それで見る人に多くを感じてもらえる
のが最高の役者」と。「男は黙って」の三船も心に
残る大スターだった。そぎ落として、そぎ落として、
何もしない。達磨の悟りだ。

これは、永平寺の貫首宮崎奕保師にも通じる。「何も
考えない、死んだら死んだでえぇ」と。
100歳を超えても、早朝午前2時、誰よりも早く起きて、
ひたすら座禅の毎日。70何年欠かすことなく続けてきた
という。立松和平氏の「すごいですねぇ」の賛辞に
「足が悪くて立てんのです」と。まさに達磨さんだ。

他、みなそれぞれ含蓄あることばを残している。ゲストの
感想、「自分は残せることばがあるだろうか」と。
フムフム、私も同感。まだまだ死ねない。