現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

病は気から

2009-01-14 22:01:03 | 虚無僧日記
2、3ヶ月前から朝昼晩の3回、背中の奥が
鈍い痛みを感じるようになった。すい臓ガン
なら、自覚症状が出るようになったら もう
手遅れという。

気にし出すと、ますます病いが進行するという。
そんな不安な思いをこのブログで吐露したら、
宴乃桜さんから、ご親切にコメントをいただいた。
「検診を受けてください」との優しいお言葉。

「納豆を食べるといいです」とも。はい、毎日食
べてます。最近歳のせいか、肉より野菜の方が
好きになった。納豆、豆腐、味噌汁、そして人参
と葱(ねぎ)。以前はあまり食べなかったが、今、
毎日口にしている。

そして五体投地で身体も熱く、また軽くなった。
大変調子がいい。背中の痛みも無くなった。
まこと “病は気から”だ。

「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

一休と虚無僧」で別にブログを開いています。

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五体投地 2

2009-01-14 14:33:52 | 五木寛之
五木寛之は『五体投地』を自ら体験したのだろうか。
描写が実に細かい。3,000回までとても数えてはいら
れない。「鉢を二つ用意して、片方に小豆を 300粒 入
れておき、10回ごとに1粒を移す。300粒がなくなれば
3,000回やったことになる」記述に納得。

ではどのくらいのペースで何時間やるのだろうか。
睡眠と1日2回の食事の時間を除いて15時間かけて
行なうとすると、1分間に3~4回でいいことになる。
1回15から20秒かけて行なうならば、かなりスロー
ペースだ。これならできるかもしれない。

しかし自分の場合、1日15時間もできない。ネットで
検索すると、ヨガ教室などて結構体験実習が行なわ
れている。煩悩の数の108回というのが多い。ブログ
では3年かけて10万回に挑戦したというつわものも
いる。1回10秒で1時間、360回を目指そう。100日で
36,000だ。

五体投地

2009-01-14 14:33:51 | 五木寛之
中日新聞に連載中の五木寛之の『親鸞』。
「五体投地」の行に取り組むことになった。
チベットのラマ教徒がこの動作を繰り返し
ながら聖地に向かうのはよく知られている。
膝まづいて大地にひれ伏して頭をこすりつけ、
そして立ち上がる。その繰り返しで進むのだ。

比叡山での親鸞の行は、1日3,000回。仏の姿が
見えるまで続ける。先輩僧侶の体験では「朦朧と
した意識の中で“見えた”と思う“仏”は、妄想なの
か現実なのか判らない、適当なところで見えたこと
にすればいい」との甘い声も。しかし親鸞は真剣だ。
本当に仏が現われるのか、“仏”とは何なのか、
根本に迫る行だ。

さて、何事にもすぐ乗りやすい私である。一昨日
から五体投地を始めた。1日目は30回でダウン。
2日目は60回。3,000回は気が遠くなる。

五体投地を10回もやると身体が熱くなってくる。
暖房がいらない。健康にもよさそうだ。さて何日
続くか。三日坊主にならぬように、今日も取り組
もう。

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ホームレスの優雅な暮らし

2009-01-14 09:23:43 | 社会問題
名古屋市の支援施設満員に 「派遣切り」失業者ら急増(共同通信) - goo ニュース

「失業者らが中村区役所に殺到。宿泊先満杯で、職員と
もめ、居座る人も」の記事。案の定だ。「生活保護で救って
も問題解決にならない」との、人気ブログラーの発言に
私は賛成だ。

「彼らの行動を増長させているのは、弱者に同情的な報道
をして正義面しているマスコミだ」との声があってもいい。
ホームレスの自由な生き方に憧れる虚無僧の私だが、彼ら
に同情はしない。

勤勉だった日本人は、いつの頃からか “嫌勉” になった。
働かなくとも食べていける時代が長く続き、プータロー、
グー太郎を多く育てた。パチンコ店やゲームセンター、スー
パー銭湯は朝から盛況満員。生活保護や母子手当てが
貰えるので安易な離婚も増えた。

図書館や区役所などの公共施設も、ホームレスに占拠され
始めている。一日中椅子に居座って、眠っているか、競馬、
競輪の予想だ。メモ用紙にするのか、本もビリビリに破ら
れる。
公園や公道でも、昼日中から円陣を組んで、鍋釜を用意し、
火を焚いて酒盛りをしている。「酒は飲め飲め、飲むならば、
日の本一のこの槍を」の槍は「名槍(めいそう)日本号」だが、
これでいいのか“迷走ニッポン号”だ。


尺八と仏教

2009-01-14 09:12:19 | 心の問題
五木寛之の『親鸞』は、仏教関係の書よりも詳しい。
慈覚大師円仁のことも、詳細に紹介している。だが、
円仁が「尺八を吹いた」ということに触れてないのは
残念。

1212年頃の書かれた源顕兼の『古事談』に、「慈覚
大師円仁が、中国五大山で“声明”を学んで帰国し、
それを比叡山で普及しようとしたが、音声不足を補う
ため、尺八でもって『引声阿弥陀経』を吹いた」との
記述があるのだ。

慈覚大師円仁は794-864、平安時代初期、最澄が
拓いた天台宗比叡山延暦寺の三代目座主。数ある
名僧高僧の中で初めて「大師号」を受けた高僧だ。
中国から帰国したのが838年。慈覚大師の開基と
いう寺は東北から四国まで、全国に300以上もある。
最期は山形県の立石寺で没した。


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ほら吹き

2009-01-14 09:09:56 | 心の問題
(2008.11.1 の再掲載です。虚無烏さんから
コメントをいただきましたので)

虚無僧は尺八を吹き、山伏は法螺貝を吹く。
法螺貝にどんな意味があるのか。五木寛之の
『親鸞』が教えてくれた。

「法螺というのは天竺で“シャンクハ”といった。
人をあつめて説法をするときの合図に法螺を吹いた
ところから『衆生に仏法を説くことを法螺を吹く』、
というのじゃ。無量寿経にいわく『法鼓を叩き、
法螺を吹く』、と。また、『心地観経』、その他の
聖経には法螺の音を獅子吼にたとえ、“大法螺を
吹いて衆生を済度せよ”、とする。つまり釈迦の
説法のたとえじゃ。
さらに山で修行する者にとっては、熊や、イノシシ、
狼などを追いはらって余計な殺生をせぬため、そして
魔人、悪鬼をはらうための大切なものである。
“法螺を吹く”というのは仏説のたとえ。真の大法螺を
吹いてこそ仏弟子じゃ。

さてどこまで正しいのか判らんが、五木氏の博識、
とことん調べつくす姿勢が、本の内容を濃くしている。
尺八と仏教のつながりを考えるヒントになる。因みに
虚無僧の付けている袈裟を「大げさ」というのだ。

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うそバスター

2009-01-14 08:49:35 | テレビ・映画・芸能人
番組撮影用にブログ自作 テレ朝の情報バラエティー(朝日新聞) - goo ニュース
「常識と思われていることの間違いを探す」というテレ朝の
番組「うそバスター」。たまたま見た。
「低血圧の人は朝寝起きが悪い」は“うそ”。医学的には
証明できないそうな。「酒を飲んだら、運動したり、風呂に
はいると酔いが早く醒める」も間違いだそうな。その他、
「ピラニアは人を襲う?」など何十問も有ったが、ほとんど
忘れた。

そのうちの何問かは『ブログで見つけた常識の嘘』との
触れ込みだったが、これがスタッフの制作になるもので、
まこと“うそ”だったとか。

私のブログから「尺八は、その長さが1尺8寸だから尺八
というのは嘘」というのを取り上げてほしかった。
「尺八」の名は古代中国、日本では奈良時代から見られる
が、その頃の尺八は1尺1寸前後と短く、長短まちまち。
結局1尺8寸の尺八は存在しなかったし、「その長さから
“尺八”と名づけた」という記述は存在しないのだ。
「尺八は“チーパ(管)”に尺と八の字を当てただけ」と
いうのが私の持論だが、まだ誰も認めてくれない。残念。