中日新聞連載中の五木寛之の『親鸞』。いよいよ
六角堂への参篭である。比叡山から毎夜、京の町
なかにある六角堂に通うのだ。この話は有名だが、
「静寂な堂で祈る」ものと想像していた。五木氏に
よれば、六角堂は「貴賎上下、救いを求めて人々が
集まり、夜も人の絶えない賑やかな場所」だったと。
「大半は浮浪の者と思われる貧しき者、弱き者、
病める者。本来寺はこうであらねばならぬ」と。
六角堂は、今も京都の中心地で、池坊の発祥地と
して、その本部会館が建つ観光名所だが、寺伝では
聖徳太子ゆかりの堂。
大阪の四天王寺も聖徳太子創建の寺だ。現在、
四天王寺には多くのホームレスが住み着いている。
それを仕切るボスもいて、秩序が保たれているので
寺としてはホームレスを黙認している。
京都の寺は、いっさいホームレスを受け入れない。
昨年虚無僧で京都に行った時、野宿する場所がなくて
困った。公園でも寺でもすぐ警備員や警察官が回って
くるのだ。京都の寺は観光客のため、金目当て、金の
成る方にしか目を向いていない。これだけ失業者が
あふれてくると、さてさてどこまで排除できるやら。
「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。
「一休と虚無僧」で別にブログを開いています。
![日記@BlogRanking](http://img.diary-ranking.com/banner03s.gif)
六角堂への参篭である。比叡山から毎夜、京の町
なかにある六角堂に通うのだ。この話は有名だが、
「静寂な堂で祈る」ものと想像していた。五木氏に
よれば、六角堂は「貴賎上下、救いを求めて人々が
集まり、夜も人の絶えない賑やかな場所」だったと。
「大半は浮浪の者と思われる貧しき者、弱き者、
病める者。本来寺はこうであらねばならぬ」と。
六角堂は、今も京都の中心地で、池坊の発祥地と
して、その本部会館が建つ観光名所だが、寺伝では
聖徳太子ゆかりの堂。
大阪の四天王寺も聖徳太子創建の寺だ。現在、
四天王寺には多くのホームレスが住み着いている。
それを仕切るボスもいて、秩序が保たれているので
寺としてはホームレスを黙認している。
京都の寺は、いっさいホームレスを受け入れない。
昨年虚無僧で京都に行った時、野宿する場所がなくて
困った。公園でも寺でもすぐ警備員や警察官が回って
くるのだ。京都の寺は観光客のため、金目当て、金の
成る方にしか目を向いていない。これだけ失業者が
あふれてくると、さてさてどこまで排除できるやら。
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