2/3 中日新聞連載中の五木寛之『親鸞』。
さて、子供の治療の結末は、範宴(後の親鸞)が、
背中の腫れ物の芯を吸い出して、快方に向かう。
私も「医学書」でザクロのように口の開いた腫れ物を
見た記憶がある。五木寛之の『親鸞』では、人々は
「黒面法師の祟りじゃ」と怖れおののくが、法螺房は
「肉の中の芯を吸い出せば治る」と、範宴にやらせる。
医学的に正しい処方かは判らぬが、「臍下丹田に力を
込めて吸うのだ。龍が滝の水を吸い上げるように、
できものの芯をわが腹中に収めるように、精神集中して、
口先でなく全身で吸え」と。
この件(くだり)に感銘した。私は「吸江流尺八一路」
を名乗っている。門下生に「尺八は吹くものに非ず、
吸うものだ」と教えている。吹くことに気をとられている
うちは素人。「吸うことを体得して一人前」と教えている。
ライブでもコンサートでも、楽譜通りにただ尺八を吹く
だけでは素人。会場の空気を吸い尽くして、聴衆が
望む音を導き出して、心からの拍手が得られる。
範宴の所作もまさに、大勢の聴衆が見守る中での
パホーマンス。美しい女将の見つめる目、「吸うのよ」
という言葉を場面に添えているところも憎い。そして
「汚れたわが身を懺悔し、仏の甘露と信じて吸え」の
法螺房の叱咤も効いている。
「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。
「一休と虚無僧」で別にブログを開いています。
![日記@BlogRanking](http://img.diary-ranking.com/banner03s.gif)
さて、子供の治療の結末は、範宴(後の親鸞)が、
背中の腫れ物の芯を吸い出して、快方に向かう。
私も「医学書」でザクロのように口の開いた腫れ物を
見た記憶がある。五木寛之の『親鸞』では、人々は
「黒面法師の祟りじゃ」と怖れおののくが、法螺房は
「肉の中の芯を吸い出せば治る」と、範宴にやらせる。
医学的に正しい処方かは判らぬが、「臍下丹田に力を
込めて吸うのだ。龍が滝の水を吸い上げるように、
できものの芯をわが腹中に収めるように、精神集中して、
口先でなく全身で吸え」と。
この件(くだり)に感銘した。私は「吸江流尺八一路」
を名乗っている。門下生に「尺八は吹くものに非ず、
吸うものだ」と教えている。吹くことに気をとられている
うちは素人。「吸うことを体得して一人前」と教えている。
ライブでもコンサートでも、楽譜通りにただ尺八を吹く
だけでは素人。会場の空気を吸い尽くして、聴衆が
望む音を導き出して、心からの拍手が得られる。
範宴の所作もまさに、大勢の聴衆が見守る中での
パホーマンス。美しい女将の見つめる目、「吸うのよ」
という言葉を場面に添えているところも憎い。そして
「汚れたわが身を懺悔し、仏の甘露と信じて吸え」の
法螺房の叱咤も効いている。
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