臨済禅の公案に『老子焼庵』というのがある。
昔、ある老婆が、一人の青年僧の修行の世話をしていた。
衣食住から、病気の時の薬など身の回りの一切の世話だ。
そして20年が経ち、修行の年季があけたので、婆さんは
若い娘に言い含めて、青年の側に寄って「私を好きにして」
と言わせた。青年は「20年修行を積んだ身、若い女なんかに
興味はない」と答えた。娘からそれを聞いた婆さんは、
「私は20年もの間、よくもこんな俗人の面倒をみてきたもんだ」
と怒って、青年を追い出し、草庵を焼いてしまった。
さてここでクエスチョン。「なんで婆さんは怒ったのでしょう」。
これは、公案の中でも最も難問で、これが解ければ卒業とか。
一休の出したヒントは「賊のために梯子を掛ける」。
まったく禅問答はちんぷんかん。一休は「老婆の行為は、泥棒の
ために梯子を掛けてやるようなものだ。つまり余計な“老婆心”」と
言っている。では誰が悪く、どうすれば良かったのかを考えるのだ。
まず婆さんはなぜ怒ったのか。修行を積んで、色欲を滅却したという
青年僧の答えは正しいと思えそうだが、それを婆さんは「俗」な奴だ
という。一般の通念では解けないのが禅の公案だ。では僧は女の
言うままに抱いてやればよかったのか?。でもなさそう。一休は
「婆さんは余計なことをした」というヒントを出している。悟った者に
誘惑して試そうとしたことか?それでもありきたりだ。一休は「男女
の仲は、当人の心のままにまかせればいいものを」と言っている
ようだ。はて正解はいかに。
「一休と虚無僧」で別にブログを開いています。

昔、ある老婆が、一人の青年僧の修行の世話をしていた。
衣食住から、病気の時の薬など身の回りの一切の世話だ。
そして20年が経ち、修行の年季があけたので、婆さんは
若い娘に言い含めて、青年の側に寄って「私を好きにして」
と言わせた。青年は「20年修行を積んだ身、若い女なんかに
興味はない」と答えた。娘からそれを聞いた婆さんは、
「私は20年もの間、よくもこんな俗人の面倒をみてきたもんだ」
と怒って、青年を追い出し、草庵を焼いてしまった。
さてここでクエスチョン。「なんで婆さんは怒ったのでしょう」。
これは、公案の中でも最も難問で、これが解ければ卒業とか。
一休の出したヒントは「賊のために梯子を掛ける」。
まったく禅問答はちんぷんかん。一休は「老婆の行為は、泥棒の
ために梯子を掛けてやるようなものだ。つまり余計な“老婆心”」と
言っている。では誰が悪く、どうすれば良かったのかを考えるのだ。
まず婆さんはなぜ怒ったのか。修行を積んで、色欲を滅却したという
青年僧の答えは正しいと思えそうだが、それを婆さんは「俗」な奴だ
という。一般の通念では解けないのが禅の公案だ。では僧は女の
言うままに抱いてやればよかったのか?。でもなさそう。一休は
「婆さんは余計なことをした」というヒントを出している。悟った者に
誘惑して試そうとしたことか?それでもありきたりだ。一休は「男女
の仲は、当人の心のままにまかせればいいものを」と言っている
ようだ。はて正解はいかに。
「一休と虚無僧」で別にブログを開いています。
