現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

堀井小二朗師

2009-02-12 23:09:55 | 筝尺八演奏家
私の尺八の師は10人くらい居る。最初習ったのは
叔父で都山流大師範の山室重遠、信朗兄弟。その後、
古賀華松、池田晴山、山本邦山、青木鈴慕、柳内調風、
宮田耕八朗、冨森虚山、小泉止山、ジョン海山ネプチューン。

山本邦山には2日、青木鈴慕氏には3日しか習って
いないので、先方は私のことなど記憶にないでしょう。

小泉止山氏は、たった1日限りだったが、亡くなられる
直前まで私のことを奥様に話しされていたとか。頭が
下がる。

さて、その中で最も影響を受けたのが堀井小二朗師だ。
堀井師にもせいぜい3年ぐらいだったと思うが、「芸は
習うより盗め」で、鞄持ちをして学んだのであって、
きちんと習ったのは何日もない。だが、堀井師門下で
師の9孔尺八を受け継いでプロ活動をしているのは私
一人しかいない。5孔に固執している人が多いのだ。

その堀井小二朗師は、なんと福沢諭吉の孫にあたる。
その目鼻立ちは福沢諭吉そっくりだった。福沢諭吉も
身長170cm以上あったから、堀井師も私より背が高かった。
福沢諭吉が、封建制度の因習を改めるよう人々を啓蒙した
ように、堀井小二朗師もまた、邦楽界の古さを批判し、
尺八の改良や因習の打破を行なった。その皮肉たっぷり
の口ぶりも福沢諭吉そっくりであった。

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「ありがとう」はどっち?

2009-02-12 22:01:24 | 虚無僧日記
名鉄デパート前。不況で、デパートの中も閑散と
している。客の出入りが全然ない。
10歳くらいの女の子と母親が出てきた。着ている
服も靴も髪型も、いかにもリッチ。バレーの発表会
の帰りのような豪華さだ。女の子が近寄ってきて、
高級そうな財布を開ける。それを見て母親が娘の
財布の中をのぞき、「これにしなさい」と指差す。
入れてくれたのは500円玉。続いて母親も自分の
財布から500円。名古屋は1円、5円、10円が相場
だから、大変なことだ。金持ちが貧乏人への憐れ
みの布施か。思わず「ありがとうございます」と
言ってしまった。

その後、よちよち歩きの孫娘を連れた風格ある初老の
男性が出てきた。私の方を指差し、100円を子供に
持たせ、近寄ってくる。そして「はい、“ありがとう”と
言って渡すんですよ」と教えている。そう、喜捨する
方が“徳積み” をさせていただき “ありがとう” なのだ。
それを、まだ言葉も判らぬような幼児に教えている。
名古屋ってやっぱりすごい。ありがたいことだ。

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子供でも

2009-02-12 21:33:27 | 虚無僧日記
2/11 大須観音前で虚無僧する。観音様にお参りに
こられる方々だから、喜捨も多い。やはりその場所、
雰囲気がそうさせるのか。

数人の小学生の男女が通り過ぎていった。その中の
一人の女の子が、財布を開いて戻って来、私の偈箱に
「はい」と10円を入れてくれた。その様子を振り返って
見ていた仲間の子たちも、戻ってきて、次々に。引率の?
お父さん?(先生?)は、子供達の行為をあっけにとられて
見ていた。子供たちの純な心に触れた思いで。

続いて、高校生くらいの女の子二人。立ち止まって
しばらく尺八の音に耳を傾けている。「上手だね」と
ささやく声。一曲終わると近寄ってきた。
「何をしてるんですか?」「虚無僧といってね、修行」
「その箱は何ですか」「偈箱といってね・・・・」
「お金を入れるんですか?」「私入れたい」と財布を
ごそごそ。後で見たら500円以上はあった。

また小学生の男の子二人。一年生の子も。次々と
子供が入れてくれる。大人より多い。
親から教えられたわけでもない。本で学んだわけ
でもない。虚無僧を初めて見ただろうに、首から
下げている箱に“お金を入れる”ものと、なぜ判る
のだろう。

人間(動物)は、学習しないことでも、本能的にわかる
ことがあるのだ。虚無僧に喜捨するのも、心の中の
“仏性”が目覚めるのだと思う。「それ一吹は善なる
心を呼び覚ます為」なのだ。

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投げ銭

2009-02-12 21:02:35 | 虚無僧日記
2/11 大須観音前。建国記念日の祝日とあって、子供
連れの家族が多い。

小さな子供に10円玉を握らせ、「あそこに入れるのよ」と
教えながら、親子が近づいてくる。まだ1歳ぐらいの
よちよち歩きの女の子。私の前にきてポーンとお金を
放ってしまった。お金は、あらぬ方に飛んでいって、植え
込みの中へ。母親は思わず「投げちゃだめでしょ」と。
決して強く叱ったのではないが、叱られたと思ったその
子は泣きそうに。かわいそう。おもわず、私もしゃがんで、
子供の目線で、「いいよ、いいよ、探すからね」と。
探しても見当たらない。母親は「すみません」と、また
別の10円を子供に持たせて「あそこに入れるのよ」と。
泣きそうな子供をしっかり抱きしめてあげて。いいご夫婦だ。

そういえば、神社でもお寺でも、賽銭箱には投げていれる。
その子は、そうするものと思ったのか。悪くない悪くない。

あのお金は後日、探しに行こう。交通費520円かけて、
10円を拾いに行くのは愚か?
故事にもある。落とした5文銭を拾うのに、銭10文で松明を
買って探したという話。笑う人もあるが、お金を粗末にして
はいけないという教訓話だ。

昔、ある虚無僧が銭を投げ与えられて、怒ったという話がある。
虚無僧が怒るべきことではない。地面に落ちた金を拾う惨めさ
を味わうのも修行だ。プライドを捨てる修行なのだ。

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