(2/14 中日新聞 松本章男『徒然草の生き方』から)
『徒然草』97段に「小人に財あり、君子に仁義あり、
僧に法(のり)あり」。これは、「小人は財を持つ
ほどに欲にとりつかれ、君子は仁義を理想として
却って温情を忘れ、僧は法にしばられて菩提心の
実践がない」と、ものにとりつかれて、ものその
ものをダメにしてしまうことを説いたものとのこと。
「一切の執着を棄てよ。世俗の雑事に囚われるな、
心が変われば、見えるものも変わってゆく」とも。
大徳寺の開祖大燈国師は、名門赤松の家に生まれ
ながら、賀茂の河原で20年乞食の生活をして悟り
を開いた。
「それなのに、今の大徳寺の僧侶は、衣食住に困らぬ
生活をし、位階で袈裟衣の色も異なり、出世にしか
目が無い」と一休も嘆いた。一休は、名利を求めず
寺にはいらず、草庵に住んで、「一蓑一笠」の托鉢僧
として生涯を過ごした。その生き様こそ、虚無僧に
ふさわしい。一休を虚無僧の元祖とする所以である。
「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。
「一休と虚無僧」で別にブログを開いています。
『徒然草』97段に「小人に財あり、君子に仁義あり、
僧に法(のり)あり」。これは、「小人は財を持つ
ほどに欲にとりつかれ、君子は仁義を理想として
却って温情を忘れ、僧は法にしばられて菩提心の
実践がない」と、ものにとりつかれて、ものその
ものをダメにしてしまうことを説いたものとのこと。
「一切の執着を棄てよ。世俗の雑事に囚われるな、
心が変われば、見えるものも変わってゆく」とも。
大徳寺の開祖大燈国師は、名門赤松の家に生まれ
ながら、賀茂の河原で20年乞食の生活をして悟り
を開いた。
「それなのに、今の大徳寺の僧侶は、衣食住に困らぬ
生活をし、位階で袈裟衣の色も異なり、出世にしか
目が無い」と一休も嘆いた。一休は、名利を求めず
寺にはいらず、草庵に住んで、「一蓑一笠」の托鉢僧
として生涯を過ごした。その生き様こそ、虚無僧に
ふさわしい。一休を虚無僧の元祖とする所以である。
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