現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

多田富雄と白州正子

2009-02-22 23:37:33 | 虚無僧日記
2/22 NHK ETV特集「もう一度会いたい」を見た。
東大教授で免疫学の権威だった多田富雄氏。
能にも造詣が深く、白州正子とも昵懇だった。
その白州正子が逝って10年。その白州正子に
「もう一度会いたい」と、新作能「花供養」を創り、
昨年暮12月26日公演されるまでのドキュメント
だった。

実は、多田氏、2005年にも NHK特集でとりあげ
られ大変な反響を呼んでいる。私も丁度見た。
免疫学の権威だったが、2001年に脳梗塞で倒れ、
下半身と右手と言葉を失った。一時は自殺も考え
たが、生かされてまだすることがあると、2005年、
原爆で亡くなった人たちの叫びを能でと、新作能
「原爆忌」を作り、公演するまでが、NHK特集で
放映されたのだ。
「すべてを失って、その奥にあるものが見えて
きた」と。当時、全財産を失って絶望にあった私。
まだ手も口も足も有る、と生きる力をもらったのだ。

2001年に脳梗塞で倒れて以来11年、NHKで特集
が放映されてから6年。まだまだ生かされて、する
ことがあるとは、すごいことだ。

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日本画の巨匠と挿絵画家

2009-02-22 21:45:45 | 虚無僧日記
昨日は「美の壺」で「伊東深水」を取り上げていた。
朝丘雪路の父、そして美人画で知られる日本画壇の
大御所。その描く線は、女性の柔らかな肌をも感じ
させる。

今日のNHKでは「安田靫彦」を。こちらは歴史画。
「物部守屋」の線は、針金のように力強い。

加山又造の線は太く、尾形光琳の様式美を真似、
西陣織の美術品としての技術を芸術にまで高めた。

挿絵画家、小林秀恒も紹介されていた。「怪人
二十面相」など、女を描けば、なまめかしい。
私は、挿絵画家、岩田専太郎の美人画が好きで
よく模写した。しかし、挿絵画と芸術作品は、
紙一重で、天と地の差がある。この隔てるものは
何なのか。

尺八もそうだ。歌謡曲、演歌、ポピュラーなんで
も吹けるが、虚無僧として吹く曲としては適さない。

「虚無僧の本曲は音楽なんて賎しいものではない」。
その言葉を否定しながら、今その言葉の意味を深く
考えている。
私は、古典本曲を伝承の通りには吹かない。それは
加山又造と同じだ。古典を現代に甦らせ得る、新しい
古典の様式を模索している。それが私の尺八だ。

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京都は前衛

2009-02-22 21:18:36 | 虚無僧日記
「東京遷都で衰微していた京都に、産業を起したのが
会津藩士で盲目の山本覚馬だった」と、先日書いたが、
今日のNHK「新日曜美術館」でも、五木寛之が「京都は
前衛」と言ってくれた。京都は、平安の昔から、貴族の
衣食住関連の調度品を最新の技術で創り出してきた。
西陣織もいち早くコンピュータを取り入れている、と。

なるほど、古いものを守り続けるイメージが強いが、
西陣織の家に生まれた加山又造が、子供や孫たちに
常日頃言い聞かせていた言葉は「人と同じことしちゃ
いけないよ」だった。加山又造は、古いものに倣って、
新しいものを創りだしている。京都は幾たびの戦乱の
舞台となって、形あるものは壊れ、残るのは“様式”
だけだという。様式だけが不滅と。

尺八で、最後に残る“様式”とは何だろう。虚無僧尺八
に形は無い。今日、名古屋駅前で吹いた曲は、形を捨て
て様式に迫るべく、そぎ落とした気がする。

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加山又造と五木寛之

2009-02-22 14:52:36 | 虚無僧日記
『親鸞』ですっかり五木寛之にはまっている私だが、
五木寛之の顔も知らなかった。どんな人かと思って
いたら、今朝NHK TV「新日曜美術館」に現われた。
しかも「加山又造」の評者(コメンテーター)としてで
ある。加山又造は私が最も好きな画家である。

加山又造を評して、五木氏はいう。
「職人と芸術家を兼ね備えた人。伝統の“様式美”
に新たな息吹を注ぎ、作風がどんどん変わって
いった。『美しいものは汚い、汚いものは美しい』
というのが芸術界の常識としてあるが、加山さんは
『美しいものは美しく』描く。常識に捉われず、
自分の世界を築いた。蓮如は『かろきが良し』
と言っているように、軽やか、遊び心のある人。
そして究極は仏教の世界に」と。思わず端座して、
食入って見てしまった。

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加山又造

2009-02-22 14:28:44 | 虚無僧日記
実は私は、もの心ついた時から毎日絵ばかり描いていた。
戦後の物の無い時、100枚つづりの画用紙とクレパスなど
は欠かすことなく、父が買ってくれていた。中学、高校と
美術部で油絵を描き、将来は画家になりたいとも思って
いたほどだ。そして出会ったのが加山又造。「昭和に新たな
琳派を築こう」とするかのごとき様式美。繊細かと思いきや
『火の島(桜島)』のような大胆豪放な絵に圧倒された。
多感な青年期に見た『薔薇の女』には目を丸くした。そして
私は自分の絵に絶望して、筆を捨て、尺八にのめりこんだ。
尺八はその場その一瞬に“生”を求める。その刹那さに
惚れた。

加山又造の晩年の作。黒と白だけで描く「凍てつく月」
そして「月光波濤」には、仏教の究極「無常感」「無」の
世界にまでたどりつく。音のない絵に、音ならぬ音、
沈黙が支配する無明の“音”が見えるのだ。脱帽。

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