現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

しわけ

2010-02-12 07:11:03 | 虚無僧日記
第一生命「サラセン (サラリーマン川柳)」から

「僕の髪、仕訳したくとも 髪が無い」
「床屋行く 暇金あれど、髪が無い」

「手の平を太陽に」の替え歌です。

 ぼくらはみんな はげている
 はげているから 悲しいんだ
 
 手の平で 髪の毛を 梳いてみれば
 白髪も抜ける ぼくの髪の毛
 
 ミミズだって オケラだって
 アメンボだって
 みんな みんな禿げているんだ
 友だちなんだ

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南極観測船 しらせ

2010-02-12 07:10:41 | 虚無僧日記
虫の知らせに、南極観測船初代「しらせ」が、
気象予報会社ウェザーニューズに譲渡される事に
なったとのこと。昨年、二代目「しらせ」が就航し、
解体され 鉄くずに されるところだった。

この「しらせ」には、ちょっとした思い入れがある。
千代田生命の広報部に勤務していた時、1989年
(S64)のカレンダーのテーマを「探検」にし、
「日本人で初の南極探検に挑んだ白瀬矗(のぶ)」を
とりあげた。ある職員が、そのカレンダーを届けた
先で「白瀬矗(のぶ)の子孫」という方に出会った。
カレンダーになったことで、喜ばれ、名乗り出られ
たのだ。

白瀬矗(のぶ)は 1910(明治43)年、南極探検を志すが
政府の協力を得られず、寄付を募っても、その金を
使い込まれたり、乗組員に造反されたり、人間関係に
苦しめられながらの大変な旅だった。帰国後、全財産を
売り払い、各地を転々として、講演をしながら、20年
かかって借金を返したという。

最期は、なんと1946年(昭和21年)、愛知県西加茂郡
挙母(ころも)町(現豊田市)の仕出屋の一室で死去。
死因は「栄養失調による餓死」。享年85。愛知県幡豆郡
吉良町に「大和雪原開拓者之墓」の墓碑がある。

そんなわけで、千代田生命のカレンダーがきっかけで
遺族の所在が明らかになり、「しらせ」の就航に遺族が
招かれたり、千代田生命のカレンダーが「しらせ」の
船内に飾られ、それがニュースとしてとり挙げられたの
だった。

その後、子孫の方がどうしているかは不明。

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