現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

オリンピック委員会にもの申す

2010-02-18 21:11:42 | 社会問題
今回の国母君の服装騒ぎで、「オリンピックは 国家事業か?」と
いう問題が浮上してきた。

国母君をオリンピックに出場させるために、日本国家は、日本
スキー連盟は何をしてきたのか。まともな競技施設さえ無い日本。
彼等は、諸外国に遠征して練習を積んできた。自費では無理だ。
自分でスポンサーを見つけ、家族や友人に支えられての、血の
出るような努力を重ねてきた。プロとしてのポリシーを持っている。
賞金の懸かった競技こそ重要で、変にアマチュアリズムをかざす
「オリンピックなんか出とうなかった」というつぶやきも聞かれる。

冬季オリンピックの出場選手が、毎回限定されているのも、私は
気になる。過去4回も5回も出場している常連選手。ということは、
10年20年の間、スキー連盟は後進を育てて来なかったのだ。

競技人口、選手層の薄さは、尺八より少ないのではと思えてくる。
ごくわずかなスターに頼って、彼等を“使い捨てガスライター”の
ように扱い、金を集め、それをくいものにしているのが○○連盟
ではないかとさえ、思えてくる。スケートのコーチが中学生を
レイプした事件。理事の選出を巡ってのドロ試合。資金の横流し、
費消といった不祥事。利権がからむ連盟のあり方に、私は疑問を
呈する。

国母君の議論を通して、「オリンピックにどれだけ公費(税金)が
投入されているのかが、不透明なこと」が白日の下にさらされた。
彼の若者らしい“反骨精神”に私は拍手を送りたい。

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腰パン王子 無念の敗退

2010-02-18 20:43:10 | 社会問題
関係者ホッ!? “腰パン王子”国母メダルならず(夕刊フジ) - goo ニュース

「オリンピックなんか見とうない」と言っていた私。
国母君の服装問題で、ついつい毎日テレビ観戦している。
この騒ぎが無かったら、オリンピックなんて関心無かったし、
H.P.(ハーフ・パイプ)なる競技も知らんかった。

今日は、感動した!。フィギア・スケートなんかより、
はるかにいい。空中を華麗に舞う。人間技とは思えない。
彼等は賞金稼ぎのプロとのこと。まことのプロはホワイトだ。
余裕を見せるほど完璧。安心感、安定感抜群。他の追随を
許さぬ高度なテクニック。これぞプロ中のプロ。

日本期待の国母君。「最もメダルに近い男」とまで言われて
いたが、全然歯が立たない。力量の差を見せ付けられた。
「メダルが期待される」なんて報道していた連中は“サギ”だ。

それにしても、この記事のタイトル「関係者ホッ!?」とは
どういう意味だ?。「あんな騒ぎを起こして、金メダル取られ
てはますます図に乗ってしまうから困る。負けて当然」と
いう期待が、関係者にあったのか。母校の東海大は「応援を
しない」と声明を発表した。まこと、了見の狭い日本人だ。

へそ曲がりの私は、負けた国母君をますます好きになった。

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NHK 明治悪妻伝説

2010-02-18 10:46:04 | テレビ・映画・芸能人
2/17 NHK「歴史秘話ヒストリア」『明治悪妻伝説新島八重』。
(2009.4.26放映の再放送)

オリンピックのニュースが終わり、テレビを消そうとして
したら、「烈婦、鵺(ぬえ)と呼ばれた女」というから、誰の
ことかと見ていれば、なんと「新島襄の妻山本八 重子」との
こと。ムムこれは聞き捨てならぬ、と録画した。

山本八重子は、会津戦争で、砲兵隊を叱咤激励、指揮した
女傑として、会津人なら誰でも知っている。その会津を代表
する“烈婦”の八重子が、同志社大学の創設者新島襄の妻と
なったことは案外知られていない。全く相反する環境に育った
二人だが、結構、仲むつまじかったようだ。

NHKの番組では、二人が日本で最初にクリスチャンとして
結婚式を挙げたこと。住まいは洋館で、ベッドに様式トイレ。
八重子は和服に帽子と洋靴というハイカラな出で立ちで外出。
馬車に乗る時は、“レディファースト”で、夫より先に乗り、
また夫のことを「ジョー」と呼び捨てにしていた。

そんなことが、当時の日本人にとっては びっくり仰天である。
「国母和宏の服装問題」と同じである。着物に帽子、靴という
スタイルが、体の各部位がそれぞれ違う動物「鵺(ぬえ)」に
例えられ、同志社の学生からも誹謗中傷されたという。

新島襄が46歳で亡くなった後は、同志社と距離を置き、「従軍
看護婦」を組織して日清戦争の傷病兵の看護に当たったり、
当時女性では珍しかった「茶道」の師範になって、86歳の
長寿を全うした。

『歴史秘話ヒストリア』という番組だけに、山本八重子の知られ
ざる一面が紹介されたが、最後、八重子が亡くなった時には、
かって八重子を「鵺」と誹謗した徳富蘇峰も「同志社の母」と
讃えて、大勢の人に見送られたという。

そういう結末で、わが会津人としては“ほっ”とした次第。


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山本八重子と兄 覚馬

2010-02-18 09:06:20 | テレビ・映画・芸能人
山本八重子は、会津藩の砲術師範山本権助の娘として生まれ、
兄覚馬とともに、幼少より砲術の訓練を受けていた。(山本家は
武田の軍師「山本勘介」の子孫と称している)

会津戦争では、断髪し、男物の軍服を着て、7連発スペンサー銃を
持ち、自ら先頭に立って夜襲攻撃をかけたり、籠城戦では砲兵隊を
叱咤激励、指揮した。開城の時、城の壁に書き記した一首。

「明日よりは、いずこの誰か 眺むらん なれしお城に 宿す月影」

戊辰戦争で、父も弟も戦死。明治4年、兄覚馬を頼って京都に行く。
兄の覚馬は早くから洋学と洋式砲術を学び、会津藩を洋式兵法に
改革するなど、先見の明があった。

幕末、会津藩が京都守護職として京都に駐留したおり、公用人として
他藩との折衝にあたり、また洋学の私塾を開いて、他藩の士も受け入れ
ていた。

だが、失明し、鳥羽伏見の時には、京都に留まっていて、官軍に捕え
られたが、官軍の幹部にその名を知っている者がおり、救われる。

山本覚馬の活躍は、明治になってからがまたすごい。京都は“天子様”が
江戸に移ったことで、荒廃していた。そこで山本覚馬は、砲術に関連して
西洋の文物を学んでいたこともあって、西洋の機械工業を取り入れ、
京都に近代産業を起し、日本最初の万国博覧会を開いている。
京都人の信頼篤く、府議会議員に推され、府議会議長も務めた。失明して
いるから議事録も読めないのに、どうやって議事進行をしてのか、すごい
記憶力である。

そして、失明しながらも、新島襄から英語を学び、聖書を読み、キリスト教に
改宗した。

妹八重子は、兄とともに新島襄に英語を習い、聖書の翻訳を手伝っている
うちに恋仲となり、新島襄と結婚。その新島のために、自宅(旧薩摩藩邸
6,000坪)を提供して、同志社英語学校を設立したのである。

山本兄妹がいなければ、同志社は無かった。同志社の設立は、山本覚馬と
妹の八重の力によるところが大であったのだ。

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たるみは巨悪か

2010-02-18 06:51:40 | 社会問題
国母の服装問題も沈静化してきた。今日2/18の中日新聞に
スポーツライター藤島大の記事『たるみは巨悪なのか』。

 「サギング(SAGING)と呼ぶらしい。“たるませる”という意味。
 刑務所の服装を起源とする。不良性を帯びた男の子のスタイル。
 IOCだって、スノーボードの若い世代への訴求力、若者の
 “反権威的なカルチャー”、“やんちゃなかっこよさ”を引き
 入れたかったのだ。

 それにしても「ただちに帰国させるべきだ」といった識者の
 反応にはおそろしさも覚えた。巨悪と愚行は違う。サギングを
 嫌うのは自由である。でも憎んではならない」と。

ところどころ抜書きだが、世論の批判に答える意見が頭角を
あらわしてきた。右もあれば左の意見もあるということだ。

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