現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

三味線と琵琶

2010-03-21 10:59:20 | 虚無僧日記
三味線は室町の末に琉球から伝わった「三線(さんしん)
=蛇味線(じゃみせん)を、琵琶法師たちが扱ったので
琵琶の撥のようなもので弾くことになった。

というので、琵琶と三味線は同じようなものかと思って
いたが、琵琶の音階は中世以前なので陽になっている。
半音を出すには、糸の押し加減で出す。尺八同様半音が
不安定だ。それがまた琵琶の魅力になっている。

さてさて、6月6日『九条の会』で、与謝野晶子の詩
『君死にたもうなかれ』を頼まれた。それを含めて
40分のオンステージ。ワンマンショー。白石和子の
独り語りの様な仕事とあって、今からあれこれ思案
している。

琵琶と三味線と箏を使って歌おうかと思って、琵琶も
始めた。そして判った。琵琶は陰気で不気味な音だが、
フレットの音階は陽なのだ。三味線は音色は明るいが
陰音階に適している。『君死にたもうなかれ』は長文
なので、陰陽織り交ぜ演じてみたい。そのための発声
訓練も始めた。おっと尺八はどうしよう?。



「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

一休と虚無僧」で別にブログを開いています。

日記@BlogRanking 「60代の日記」ランキングです。クリックお願いします

君死にたもうことなかれ

2010-03-21 10:59:06 | 虚無僧日記
「君死にたもうなかれ」。明治37年日露戦争で徴兵され、
旅順にいる弟のことを思って、与謝野晶子が書いた詩だ。

私は、生来、この詩には反感を持っていた。会津武士の
血を引く家系だから、“お国のため”に“個人の利”は
捨てるものとごく自然に思っていた。

しかし、最近になって、会津武士一徹と思っていた母方の
祖父が、実は「反戦思想家」だったことを母から聞かされた。
祖父が「天皇の写真など見たくない」と云っていたというのだ。

母の兄がいよいよ戦地に赴くとなった前の晩、祖父は兵舎に
息子を訪ねたが、「終始無言だった」と聞かされていた。
一言も発しなかったという祖父に、私はさすが「会津武士」と
畏敬の念をもっていた。
しかし、厳しい祖父だったが、息子を無言で送り出す、その
胸のうちは、「無念の悔しさ」だったのかと、今になって
判った。

母の兄は医学部を卒業したばかりで、医師になるはずだった。
そして病弱で徴兵検査では「乙種」だったのだ。それでも、
太平洋戦争末期、ついに赤紙が来た。入隊してからの叔父は、
屈強な農村出身の古年兵になぐられっ放しで、顔はアザだらけ
だったという。祖父はそんな息子が不憫だったのだろう。家宝
の刀を黙って差し出した。「自決せよ」との意味だったのかも。
銃で自殺すれば「天皇陛下から下賜された弾を無駄にした」と
いう罪で、重罪人となるからだ。結局それからまもなくして
終戦となり、叔父は無事帰ってきた。銃のかわりに尺八を持って。
その叔父が私の最初の尺八の師である。

そんなふうに思えてきた今日だから、私はあえてこの詩に挑戦して
みようと思っている。

江戸時代まで、兵農分離されていた。領地を取った獲られたの
分捕り合戦は侍がやることで、農民も商人も関係ないことだった。
明治になって、戦争は兵隊というプロ集団がやるものという考えが
まだ残っていた。
「なんで、商家の主が戦争に行って人殺しをしなければならないのか」
与謝野晶子はそれを素直に口にしたのだ。それがまだ許される時代
だった。

その後、次第に「軍国主義」に冒され、昭和の時代となると、さすが
与謝野晶子も「君死にたもうなかれ」など云えなくなり、戦争を鼓舞
する詩を書いている。そんなイヤな時代が、今また忍び寄っている。
だからこそ、今「君死にたもうことなかれ」なのだ。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

一休と虚無僧」で別にブログを開いています。

日記@BlogRanking 「60代の日記」ランキングです。クリックお願いします