第一生命株、売り出し価格14万円に(読売新聞) - goo ニュース
鈴花は第一生命の「終身保険」500万に入っていた。古い契約
なので、年間の保険料はわずか 1万円ほど。それでも今回、
株式化で30万円ほどもらえるとのこと。うらやましい!
「第一生命」は明治35(1902)年、矢野恒太によって、日本で最初の
「相互会社」として創立した。それまでにすでに明治、日本、安田
の前身の会社など数十社もの保険会社が設立されていたが、
すべて株式会社だった。さらに怪しげな共済制度も加えれば100社
以上もあり、“できては潰れ”で、保険会社は信用を失いかけていた。
そこで矢野は「利益は株主ではなく契約者に分配する」という
“相互組織”の保険会社を設立した。“相互組織の第一番目”の
会社だから「第一生命保険相互会社」というのだ。
矢野恒太は岡山県出身。私の義父(妻の父)が岡山出身で、遠縁に
あたるらしい。義父は慶応在学中、矢野恒太の家に下宿していた
とのこと。矢野恒太の葬儀の時は、第一生命から黒塗りの車が
お迎えにきた。そんな縁で、第一生命には親近感がある。
第一に遅れること1年半、千代田が二番目の相互会社として設立
された。明治37(1904)年のことである。それが、太平洋戦争の後、
戦後のインフレで保険会社は壊滅状態になり、GHQの勧告に
よって、日本、住友、明治など多くの株式組織の会社は相互会社と
して再出発した。
戦後長い間、生保業界は18の相互会社と株式会社2社の20社
体制でやってきたのだ。
それがバブル崩壊で、千代田はじめ多くの中小生保が外資系に
売られ、「株式会社」となってしまった。千代田も今は、AIG傘下の
「スター生命保険株式会社」だ。
そして今春、第一が株式会社となると、相互会社として残るのは、
日本、住友、明治安田、富国、朝日の5社のみとなる。
「助け合いの精神にのっとった非営利組織の相互会社こそ理想」と
いう信念で勤めてきた私にとっては残念なことだが、第一生命は
株式会社化で、今後どのように発展していくのか、ニッセイと第一
の首位争いを見守りたい。
「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。
「一休と虚無僧」で別にブログを開いています。
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なので、年間の保険料はわずか 1万円ほど。それでも今回、
株式化で30万円ほどもらえるとのこと。うらやましい!
「第一生命」は明治35(1902)年、矢野恒太によって、日本で最初の
「相互会社」として創立した。それまでにすでに明治、日本、安田
の前身の会社など数十社もの保険会社が設立されていたが、
すべて株式会社だった。さらに怪しげな共済制度も加えれば100社
以上もあり、“できては潰れ”で、保険会社は信用を失いかけていた。
そこで矢野は「利益は株主ではなく契約者に分配する」という
“相互組織”の保険会社を設立した。“相互組織の第一番目”の
会社だから「第一生命保険相互会社」というのだ。
矢野恒太は岡山県出身。私の義父(妻の父)が岡山出身で、遠縁に
あたるらしい。義父は慶応在学中、矢野恒太の家に下宿していた
とのこと。矢野恒太の葬儀の時は、第一生命から黒塗りの車が
お迎えにきた。そんな縁で、第一生命には親近感がある。
第一に遅れること1年半、千代田が二番目の相互会社として設立
された。明治37(1904)年のことである。それが、太平洋戦争の後、
戦後のインフレで保険会社は壊滅状態になり、GHQの勧告に
よって、日本、住友、明治など多くの株式組織の会社は相互会社と
して再出発した。
戦後長い間、生保業界は18の相互会社と株式会社2社の20社
体制でやってきたのだ。
それがバブル崩壊で、千代田はじめ多くの中小生保が外資系に
売られ、「株式会社」となってしまった。千代田も今は、AIG傘下の
「スター生命保険株式会社」だ。
そして今春、第一が株式会社となると、相互会社として残るのは、
日本、住友、明治安田、富国、朝日の5社のみとなる。
「助け合いの精神にのっとった非営利組織の相互会社こそ理想」と
いう信念で勤めてきた私にとっては残念なことだが、第一生命は
株式会社化で、今後どのように発展していくのか、ニッセイと第一
の首位争いを見守りたい。
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