現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

保険会社の設立

2010-03-26 10:43:53 | 社会問題
生命保険業は、数学と法学と営業で成り立っている。
カタチある品物を売るわけではない。紙と人だけだ。

男女別年齢別生命表や健康度合いから“死ぬ危険度”を
算出し、それに利率やら手数料を勘案して、保険料が
決まる。明治の初め、まだ日本人の生命表も無い時代に
創業者たちは、どうやって保険料を決めたのだろうか。

明治35年の時点では、泡沫会社が100社もあって、できては
潰れしていた。日本生命の社医だった矢野恒太は、その後
農商務省にはいり「保険業法」の制定にもかかわって、
「相互組織の会社」関連の法律を制定する。そして明治35年
に第一生命保険相互会社を設立し、日本初の「アクチュア
リー会」会長となった。まさに医者であり数学と法律の権威
であり、そして事業家だった。

慶応義塾の塾頭まで務めた門野幾之進は、16歳から47歳
までの31年間、教職にありながら、千代田生命保険相互
会社を設立して、わずか1年で、1万件の契約を獲得した。
当時の保険証券は、表彰状のように一枚一枚毛筆で手書き
だった。コンピュータも無い時代である。保険料の算出やら、
事業の収支はすべてソロバンでの手計算だ。

明治人の意気込みと能力の高さには驚くばかり。現在の
自分は、保険会社を設立することなどできようか。わが
一路会の会員を1万人にして、免状を1万枚書いてみたい
ものである。夢か?
明治の世に都山流を起こした中尾都山は、樺太から朝鮮、
台湾まで行脚して、3万人の会員を獲得した。それが今
なぜできぬ。

「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

一休と虚無僧」で別にブログを開いています。

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