現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

「吾亦紅」、我もこう

2012-03-13 12:17:00 | 虚無僧日記
ちょっと前 流行った「杉本まさし」の『吾亦紅(われもこう)』。

3年前だったか、東京で一人暮らす母に電話した時、
電話の向こうから この曲が流れてきた。母は、この歌詞に
私を思って、しょっちゅう掛けて聞いていたようだ。

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「マッチを擦れば おろしが吹いて
 線香がやけに つき難(にく)い
 さらさら揺れる 吾亦紅  
 ふと あなたの 吐息のようで・・・
 盆の休みに 帰れなかった
 俺の杜撰(ずさん)さ 嘆いているか
 あなたに あなたに 謝りたくて
 仕事に名を借りた ご無沙汰
 あなたに あなたに 謝りたくて
 山裾の秋 ひとり会いにきた
 ただ あなたに 謝りたくて」
 
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(「親孝行したい時には 親は無し」。
「墓場に行ってからでは遅いよ」と、叔母の葬儀の時、
従兄弟にも言われた)。

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「小さな町に 嫁いできて
 ここしか知らない 人だった

    (中略)

 あなたは あなたは 家族も遠く
 気強く寂しさを 堪(こら)えた
 あなたの あなたの 見せない疵(きず)が
 身にしみていく やっと手が届く

 ばか野郎と なじってくれよ
 親のことなど気遣う暇に
 後で恥じない 自分を生きろ
 あなたの あなたの 形見の言葉
 守れた試しさえ ないけど」

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(そうそう、親の忠告も守った試しのない私だ)。

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「あなたに あなたに 威張ってみたい
 来月で俺 離婚するんだよ 

 そう, はじめて 自分を生きる
 あなたに あなたに 見ていて欲しい
 頭に白髪が 混じり始めても
 俺, 死ぬまで あなたの子供」

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ここで、どっと泣けた。

「あなたに あなたに 威張ってみたい
 来月で俺 離婚するんだよ」

ネットで「ここが分からない?『離婚することを
威張ってみたい』ってどういうこと。誰か教えてくれ!」

という書き込みがあった。教えてあげましょう。
「我もこう」だった。

母にそむき、母のいやがることばかりやってきた私。
“世間体”を気にする母だ。まして「“離婚”なんて
とんでもない。隣近所や親戚中に 顔向けできない」と
思っている母の心を逆なでするように、あっさり
離婚してしまった私である。

「どうだ!いつもアンタの思い通りにはいかないんだ」と
誇示するために 離婚した“バカ”な私。


「吾亦紅」の歌詞考察

2012-03-13 12:10:50 | 虚無僧日記

「杉本まさし の『吾亦紅』の歌詞

あなたに あなたに 威張ってみたい 
 来月で俺 離婚するんだよ》の意味が
 わからない


という問いかけに、たくさんの回答が寄せられていた。

大方は、若い世代の人で「わからない」、『吾亦紅』は
理解できない、最低、嫌い」というもの。「この歌に
ハマってるのは初老のおじん」「甘ったれの男」と
手厳しい。ごもっとも、私のことだ。

その中で、こんなご意見も。

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①「威張ってみたい」は、離婚そのものを威張っている
  わけではなく、自己を最期まで犠牲にして生き続けた
  母親に対し、母親が出来なかった(しなかった)
  わがままな生き方(離婚)を “自分はした”ことを
  威張ってみたい。ということであると解釈しました。

 「はじめて自分を生きる」は上記を強調していると
  思われます。

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② この男性は 盆ぐらいは里帰りもしたかったけど、
わがままな妻が「そんな田舎に行くより 私 海外旅行が
したいわ」と言うので、親よりも妻のわがままを優先して
しまった。
母と二度と会えないと分かっていたら、そんな妻とは
離縁してでも里帰りすればよかった。

  母は「親の心配はいいから、自分の人生、自分の家族を
大事にしなさい」と言っていたけど、本当に自分の人生を
大事にするなら、わがままな妻の言いなりになって
  自分を押し殺して生きていくべきではない。
そう思ったから離婚を決意したんだ。
母の言う「自分らしく生きろ」を 自分なりに実践した事を
母に威張りたい。
母が生きていたらきっと呆れた顔をするだろうけど・・

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すばらしい想像力に脱帽。たしかに「我もこうだった」と
思える男性は多いのでは。がちょ~ん。

「親子の絆」

2012-03-13 10:30:59 | 虚無僧日記
「東日本大震災」後「親子の絆」がことさら言われるように
なった。家族7人が亡くなって一人遺された女の子の話には
涙を禁じえない。

だが、こんなことを書くと“袋叩き”にあいそうだが、
私は「家族の絆」には 人様よりは 冷ややかだ。

私の先祖は、会津藩だったから、一家の主は 蝦夷地や
江戸湾の警備、そして京都守護職と ほとんど不在だった。

会津戦争で、長老の「牧原一郎」は64歳。(今の私の歳だ)
「殿の足手まといになっては」と腹を切り、孫の「豊四郎」
14歳が介錯した。「一郎」の弟、息子、甥子6人が戦死し、
一族で生き残った者は3名。それぞれ、下北、北海道、
東京に出て辛酸をなめた。

「14歳の孫が 祖父の首を刎ねる」そんな恐ろしい話を、
私は子供の頃、「まだ100年前の、曽祖父の事」として
当たり前のことのように聞かされ育った。

私の父も 両親に早く死なれ、「家族の絆」は薄かった。
12歳から 親戚の家に寄宿して中学に通い、16歳で 東京に
出ての一人暮らし。そして慶応に入り、昭和16年 卒業後
五年間も中国に出征。戦後、引き揚げてきて結婚。しかし、
私が生まれてからも「東電」で 単身赴任が多かった。
だから 私も、父の記憶は数えるほどしかない。

そんな父を見て育ったからか、「家族の絆」は二の次
だった。結婚して、娘が二人生まれたが、妻も娘達も
それぞれ勝手に自分の生きる道を見つけ、自由に
生きればいいというのが、私の考えだった。

子供の進路を 親が決める権利は無いと思う。親の姿を
見て子は育ち、子は 親を踏み台にして、親を乗り越えて
いけばいいと思っている。

子供も早く独立させ、夫婦それぞれ生きる方向性が
違ってきたので 別れた。お互い、自主独立。
長い老後を 相手の犠牲になる必要は無いというのが
私の考えだった。

現代の「家族中心」の生活には、私は疑問を感じている。
行楽も 車に親子全員乗って出かける。食事も娯楽も
家族単位。公共のマナーや 他人との接し方を教えないから、
学校に上がっても、教室が「公共の場」という意識が無い。
勝手に私語し、歩き回る。行過ぎた過剰な「家族の絆」は
他者を排斥する。

「朝起会」では「捨て育て」を提唱している。これは
「放任主義」とも違い、「過干渉、過保護」、また逆に
「無関心」を戒めるものだ。私は当然と思うのだが、
これがなかなか理解されず“批判”の対象になっている。

「世の中 まちがってます!」とは「きみまろ」。
そう言いたい私は「古い人間でございますかねぇ」





「朝起会」への批判について

2012-03-13 10:23:06 | 虚無僧日記
ネットでは「朝起会」への批判も多く載せられています。
「実践倫理宏正会」としては、一切、反論はしません。
政党や宗教団体との論争もしません。

「茶筒」を上からみて「円」と思う人、真横から見て
「四角」と思う人。「原発問題」もそうですが、すべての
事象に「善」と「悪」の双方の見方があるということを、
学ぶ場でもあります。

また「朝起会」に集う人は、皆 立派な人格者と思われても
困ります。私など母から見れば「親不孝者」です。

大方の会員は、家庭で さまざまな問題をかかえ、悩み苦しんで
いるのでしょう。だから「朝起会」に集って、苦しみから抜け
出そうとしています。

何十年も毎日「朝起会」に集っている方の中には、明るく
円満で、誰が見ても、すばらしい人格者もおります。
事業で成功している人、政治家、大学教授もおります。

「朝起会」に参加していれば、自ずと運命が好転するという
ものではなく、すべては「本人の意識の改革」「自助努力」の
結果と、私は思っています。