「圭子の夢は夜ひらく」石坂まさをさん死去(読売新聞) - goo ニュース
「石坂まさを(本名・沢ノ井竜二」さんが亡くなった。
「藤圭子」のヒット曲「圭子の夢は夜ひらく」「新宿の女」
「女のブルース」などの作詩、作曲家。71歳だった。
新宿の歌舞伎町近くで生まれ育ち、小学校2年で父を
亡くし、母と二人で極貧の生活。その母が「産みの親」で
ないことを中学の時に知らされた。夜間高校に通うが
肺結核を患う。絶望の中で作詞家を目指す。職業を
転々としながら苦節10年。東京浅草で流しをしていた
「藤圭子(本名:阿部純子)に会う。
「藤」は、岩手県一関市生まれ、北海道旭川市育ち。
父親は旅回りの浪曲師。母親は「ゴゼ」だったという。
そのドスのきいた声で 1969年「新宿の女」でデビュー。
翌1970年「圭子の夢は夜開く」が空前の大ヒットとなった。
「70年安保闘争」で荒廃した世の中。「十五、十六、
十七と私の人生暗かった」。それは 二人が 歩んできた
人生そのまま。それがにじみ出るからこその共感を得た。
石坂まさを」は「藤圭子」のことを「戦友」と呼んで
いたという。この年「女のブルース」「命預けます」を
次々ヒットさせた。五木寛之は「藤圭子」の一連の歌を
『怨歌』と名付けた。
やがて バブル期には 芸能界から消えた。そんな時、
私は六本木のアマンドの前で「藤圭子」さんを見かけた。
口元に笑みをたたえた 輝くような 美しい顔だった。
そして バブル期、時代の寵児のように「宇多田ヒカル」が
一躍踊り出てきた。その母親が「藤圭子」と聞いた時、
私は 母娘のギャップに戸惑ったものである。
「石坂まさを(本名・沢ノ井竜二」さんが亡くなった。
「藤圭子」のヒット曲「圭子の夢は夜ひらく」「新宿の女」
「女のブルース」などの作詩、作曲家。71歳だった。
新宿の歌舞伎町近くで生まれ育ち、小学校2年で父を
亡くし、母と二人で極貧の生活。その母が「産みの親」で
ないことを中学の時に知らされた。夜間高校に通うが
肺結核を患う。絶望の中で作詞家を目指す。職業を
転々としながら苦節10年。東京浅草で流しをしていた
「藤圭子(本名:阿部純子)に会う。
「藤」は、岩手県一関市生まれ、北海道旭川市育ち。
父親は旅回りの浪曲師。母親は「ゴゼ」だったという。
そのドスのきいた声で 1969年「新宿の女」でデビュー。
翌1970年「圭子の夢は夜開く」が空前の大ヒットとなった。
「70年安保闘争」で荒廃した世の中。「十五、十六、
十七と私の人生暗かった」。それは 二人が 歩んできた
人生そのまま。それがにじみ出るからこその共感を得た。
石坂まさを」は「藤圭子」のことを「戦友」と呼んで
いたという。この年「女のブルース」「命預けます」を
次々ヒットさせた。五木寛之は「藤圭子」の一連の歌を
『怨歌』と名付けた。
やがて バブル期には 芸能界から消えた。そんな時、
私は六本木のアマンドの前で「藤圭子」さんを見かけた。
口元に笑みをたたえた 輝くような 美しい顔だった。
そして バブル期、時代の寵児のように「宇多田ヒカル」が
一躍踊り出てきた。その母親が「藤圭子」と聞いた時、
私は 母娘のギャップに戸惑ったものである。