ケイの読書日記

個人が書く書評

村木嵐「マルガリータ」

2013-01-14 13:54:30 | Weblog
 戦国時代末、九州のキリシタン大名によって、ローマに派遣された天正遣欧少年使節の話は、社会科の授業で聞いたことがある。
 400年以上も昔、よくもまぁ、あんな遠い所まで行ったもんだと感心した。
 しかし、帰って来たら、キリスト教は禁止された世の中になっていた。気の毒に。

 その少年使節団の4人の中で、ただ1人、千々石ミゲルだけは信仰を捨てた。他の3人は、教義をさらに勉強し司祭になり、それぞれ布教活動をする中、病死したり、追放されたり、殉教したりしたのに。
 当然のことながら、彼は裏切り者として、他のキリシタンの憎悪を一身に受けることになる。

 その千々石ミゲルの苦悩の生涯を、妻の目から描いた作品。

 
 この小説の中では、千々石ミゲルは背教者となっても、心の中では信仰を捨てておらず、他の3人の少年使節団のメンバーと心の中で堅く信頼で結ばれている、という事になっているが…本当はどうなんだろうね。

 
 だいたい、織田信長がキリシタンを優遇したのは、彼は仏教の坊主が大嫌いで、その勢力を抑えようとしたためであり、キリシタンたちが持っている西洋の進んだ技術や文明を欲しかったからだ。
 九州のキリシタン大名だって、南蛮貿易による利益をたくさん得ようとすれば、キリシタンになるのが都合がよかったのだろう。

 キリスト教の教義に深く傾倒して…という人は少ないんじゃないか?

 だから、世の中の風向きが変わり、キリシタンであることが不利益になってくると、信仰を捨てるのが当たり前、と罰当たりな私など思います。

 だいたい、異国の神をそんなに拝みたいのかよ、あんたらは!!
コメント
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