ケイの読書日記

個人が書く書評

太宰治 「富嶽百景」

2020-11-13 14:25:47 | 太宰治
 実はこの短編には、すごく思い出がある。高校の時、現国の試験に、この短編の一部分が出題されたのだ。それだけだったらキレイさっぱり忘れるだろう。
 しかし、この作中に「御坂峠から見た富士は、昔から富士三景の一つに数えられているが、私は好かない。まるで風呂屋のペンキ絵だ。どうにも注文通りの景色で、私は恥ずかしくてならなかった」といった意味の記述があり、その「恥ずかしくてならなかった」という箇所が問題に出され、私の隣の席の真性理系の秀才クンが、こんな問題、分かる訳ないだろう!!とえらく怒っていたのだ。
 45年も前の話だが、鮮明に覚えている。あの子、どうしているだろう。一流企業に勤めただろうが、もう定年だね。

 話を戻そう。この短編は、昭和13年、太宰が師事している井伏鱒二が滞在している御坂峠に会いに行く時の話。(太宰の作品に漂うほのかなユーモアは、井伏の影響なんだろう。特に中期の作品)
 井伏が自宅に戻っても、太宰はそのまま滞在を続け仕事する。彼が御坂峠にいることを知り、地元の文学青年たちが集まって来て、先生先生と彼を呼ぶ。
「私には誇るべき何もない。学問もない。才能もない。肉体よごれて心もまずしい。けれども苦悩だけは、その青年たちに先生といわれて、だまってそれを受けていいくらいの苦悩は経てきた。たったそれだけ。わら一すじの自負である。けれども、私はこの自負だけは、はっきりと持っていたいと思っている。わがままなだだっこのように言われてきた私の、裏の苦悩を、いったい幾人知っていたろう。」(本文より)
 ああ、カッコイイねえ。青年たちが引き付けられるのも分かるなぁ。

 冬となり、井伏がもってきた太宰の結婚話が、なんとかまとまりそうな所で、この短編は終わる。結婚相手となる娘さんの御母堂が「あなたおひとり、愛情と、職業に対する熱意さえお持ちなら、それで私たち、けっこうでございます」と言う。ああ、なんて気品に満ちた言葉だ。太宰も感激している。でも、最終的には、彼は彼女と結婚しても、他の女の人と心中しちゃうんだよね。

 話はガラッと変わる。私は、名古屋市中区富士見台という所に友人がいて、年賀状を書く時にいつも「ああ、昔はあそこから富士が見えたんだな」と感慨に浸るのだが、北斎の富嶽三十六景の中の一枚に、この中区富士見台から見た富士の画があるんだ!! この事を知った時、感動した。北斎先生、ありがとう!!

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4 コメント

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Unknown (zuzu)
2020-11-14 05:58:07
http://blog.livedoor.jp/zuzuworld/
ブログのアドレスはこちらです。

それにしても、まだまだ太宰の作品は未読のものが多くて、これを機に読破してみようかなと…
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zuzuさんへ (kei)
2020-11-20 16:06:35
 ご返信、ありがとうございます。さっそくお邪魔しますね。
返信する
「富嶽百景」について (風早真希)
2023-07-27 11:15:01
いつも楽しく拝読させていただいています。
私の大好きな太宰治の「富嶽百景」について紹介されていますので、感想を述べてみたいと思います。

富士には、月見草がよく似合う------明日の文学の理想を求めて苦悶する、太宰治の中期の名作が「富嶽百景」だと思います。

太宰治の「富嶽百景」という短編小説は、太宰の中期の代表作で、主人公の"私"に仮託して、「くるしいのである。仕事が----純粋に運筆することの、その苦しさよりも、いや、運筆はかえって私の楽しみでさえあるのだが、そのことではなく、私の世界観、芸術というもの、あすの文学というもの、いわば、新しさというもの、私はそれらについて、まだぐすぐず、思い悩み、誇張ではなしに、身悶えしていた。」と表現されているように、この小説の執筆時の昭和14年頃の、新しいあすの文学を模索し、身悶えしている若き太宰治の文学との格闘の日々が、魂を削るかの如く、赤裸々に描かれています。

青春の彷徨と錯乱の時代とも言える、彼の前期において、自身の大地主の家の生まれだという出自に反抗して、左翼運動に身を投じたり、愛の苦しみから女性と心中未遂事件を引き起こしたりして、そういう時期を経て、ようやく明るく健康的な精神の安定期を迎えていた、いわば、作家としての充実期に書かれた、文学史に残り得る、優れた短編小説だと思います。

この小説の主人公である若い作家は、新しいあすの文学を模索し、身悶えしながら、そうした自己の課題を背負いつつ、眼の前に広がる富士と対座し、富士を眺めています。
そして、主人公の眼に窓越しに見える月夜の富士は、青白く、湖から浮き上がった水の妖精のようだと、幻想的で神秘的な美しさをもって眺められています。

そして、富士を眺めながら、「私は溜息をつく。ああ、富士が見える」と、私は富士に対して、私の考えている"単一表現"の美しさに近い美を、いったんは認めかけながらも、その後、あわてて打ち消し、富士の姿があまりにも"棒状の素朴"なのに対し、小説の中で「これがいいなら、ほていさまの置物だっていいはずだ。ほていさまの置物は、どうにもがまんできない、あんなもの、とても、いい表現とは思えない、この富士の姿も、やはりどこかまちがっている、これは違う、と再び思いまどうのである」と表現しています。

いったん"あすの文学"の理想を眼前の富士に見い出しかけた主人公が、それは自分の既成の権威との安易な妥協であるとして、自己を厳しく責め、富士に戦いを挑むことによって、さらに独自の"あすの文学"への新しい理想を求めて苦悶する太宰の姿が、透かし絵のように浮き上がってきます。

「素朴な、自然なもの、したがって簡潔な鮮明なもの、そいつをさっと一挙動で掴まえて、そのままに紙にうつしとること、それよりほかには無いと思い、そう思うときには、眼前の富士の姿も、別な意味をもって目にうつる。この姿は、この表現は、結局、私の考えている「単一表現」の美しさなのかもしれない。」と描き、それまで溜息まじりに、しかし否定されるべき既成の美としてとらえていた富士が、別な意味をもって見えてくるというように、富士というものが、主人公の気持ちの動きにしたがって、否定されるべき古い権威の姿となったり、逆に学びとるべき美の目標とされかけたりしているのです。

このように、この小説「富嶽百景」は、富士山との対話を通して、文学の理想像を富士山に見い出しかけてみては、また否定しようとする"あすの文学"を求める、太宰治の苦悶を描いていて、暗黒の青春から脱皮することで、文学的野心に燃え、新たな出発を目指そうとしていた"太宰の自画像"でもあるのです。

そして、その太宰のそのような心の在り様を見事に表現したものとして、この小説の中の第十四景の「三七七八メートルの富士の山と、りっぱに相対峙し、みじんもゆるがず、なんというのか、金剛力草とでもいいたいくらい、けなげにすっくと立っていたあの月見草は、よかった。富士には、月見草がよく似合う。」という、文学史上の有名なこの一節に繋がっていくのです。

つまり、既成の権威に妥協するところのない、「そいつをさっと一挙動でとらえて、そのまま紙にうつしとる」のにふさわしい、「素朴な、自然なもの、したがって簡潔鮮明なもの」と主人公が呼ぶところの太宰の芸術の理想---「単一表現」の美しさ---の具体的な姿を、富士とりっぱに対峙し、みじんもゆるがずにすっくと立つ、このけなげな月見草の姿に、象徴的に言い表しているのです。

「富士には、月見草がよく似合う」と表現された、この月見草のような文学が、太宰治という作家の文学の理想であったのだと思います。
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風早真希さんへ (kei)
2023-08-08 17:20:14
 コメントありがとうございます。お礼が遅くなって申し訳ありません。
 あまりにも長文で立派なコメントで驚きました。こういったお仕事をされている方なんでしょうか?自分の拙いブログが恥ずかしいです。
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