純文学系の作品を書いている女流作家・和歌を中心として、縦軸は彼女の母方の祖母、横軸は彼女の恋人との関係を書き綴っている。
明治末か大正生まれの和歌の祖母は、当時の女性としては珍しく小説家志望で、家出同然で上京し男性作家に師事する。その当時、応募できるような新人賞も少なく、小説家になりたいのならプロの作家に師事して、その人の紹介で作品を雑誌に載せてもらうのが一般的だった。
だけど、小説家って女にだらしないんだろうね。師事した作家は、自分の周りに集まってきた小説家志望の女たちと、次々関係を持ち、彼女たちの作品を盗む。後年になると、その情事を書き連ねた本を出版する。和歌の祖母も、被害にあった一人。
彼女は小説家の夢をスパッとあきらめ、人の勧めで見合い結婚する。タイトルの「私の中の彼女」の彼女というのは、祖母の事じゃないかな?
横軸は、和歌の恋人・仙太郎のこと。仙太郎は、和歌と大学が一緒で在学中からイラストレーターとしてデビュー。バブル期に人気を博す。だが、バブル崩壊とともに需要が激減、過去の人になりつつある。彼と反比例するように、和歌は初めて書いた小説でマイナーな新人賞を取り、脚光を浴びるようになる。
二人の同棲生活にだんだん亀裂が入りはじめ…
和歌は、最初から小説家になりたいという強い意志があった訳ではない。寿退社したいという会社の同僚をバカにしながらも、自分も早く仙太郎と結婚し赤ちゃんが欲しいと思っていた。
その一方、仙太郎と対等の自分になりたくて、祖母が小説家志望だったことを偶然知ったこともあって、自分も小説を書き始めたのだ。
この小説を読んでいると、いろんな文学賞や新人賞のきらびやかなホテルでの授賞式が繰り返し出てくるが、こんなに華やかなんだろうか?もちろん、芥川賞や直木賞は知名度抜群なので、華やかなのは当たり前だが、文学賞の乱立で止めてしまった文学賞も多いという。
そうだよね、この出版不況のさなか、ものすごく金のかかる催し物だから。
出版社の担当者と、新人作家の関係もシビア。売れている間は、蝶よ花よと接待され、売れなくなると手のひらを返した扱いになる。当たり前か。友人ではない。仕事の関係者なんだから。
明治末か大正生まれの和歌の祖母は、当時の女性としては珍しく小説家志望で、家出同然で上京し男性作家に師事する。その当時、応募できるような新人賞も少なく、小説家になりたいのならプロの作家に師事して、その人の紹介で作品を雑誌に載せてもらうのが一般的だった。
だけど、小説家って女にだらしないんだろうね。師事した作家は、自分の周りに集まってきた小説家志望の女たちと、次々関係を持ち、彼女たちの作品を盗む。後年になると、その情事を書き連ねた本を出版する。和歌の祖母も、被害にあった一人。
彼女は小説家の夢をスパッとあきらめ、人の勧めで見合い結婚する。タイトルの「私の中の彼女」の彼女というのは、祖母の事じゃないかな?
横軸は、和歌の恋人・仙太郎のこと。仙太郎は、和歌と大学が一緒で在学中からイラストレーターとしてデビュー。バブル期に人気を博す。だが、バブル崩壊とともに需要が激減、過去の人になりつつある。彼と反比例するように、和歌は初めて書いた小説でマイナーな新人賞を取り、脚光を浴びるようになる。
二人の同棲生活にだんだん亀裂が入りはじめ…
和歌は、最初から小説家になりたいという強い意志があった訳ではない。寿退社したいという会社の同僚をバカにしながらも、自分も早く仙太郎と結婚し赤ちゃんが欲しいと思っていた。
その一方、仙太郎と対等の自分になりたくて、祖母が小説家志望だったことを偶然知ったこともあって、自分も小説を書き始めたのだ。
この小説を読んでいると、いろんな文学賞や新人賞のきらびやかなホテルでの授賞式が繰り返し出てくるが、こんなに華やかなんだろうか?もちろん、芥川賞や直木賞は知名度抜群なので、華やかなのは当たり前だが、文学賞の乱立で止めてしまった文学賞も多いという。
そうだよね、この出版不況のさなか、ものすごく金のかかる催し物だから。
出版社の担当者と、新人作家の関係もシビア。売れている間は、蝶よ花よと接待され、売れなくなると手のひらを返した扱いになる。当たり前か。友人ではない。仕事の関係者なんだから。
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