2006年 マレーシアで上司の悪口をメールして
解雇された女性秘書が会社を訴えたところ
裁判所は「上司の悪口は日常茶判事。」と訴えた
女性の言い分を認め会社に慰謝料の支払いを命じたそうです。
このマレーシアの裁判所の判断は、
今後マレーシアの社会では、SNSで上司の悪口は
言いたい放題でOKとするものではないと思われるのですが、
どうなんでしょうか。
集団や組織が大きくなればなるほど、
色々な価値観や考え方がある個人が多く集まって
一緒に仕事をしているのですから
ちょっとした不満を持ってしまうのも自然なように思います。
そのちょっとした不満、ストレスが
お腹の中でジワジワと大きくなってくると
仕事に対する意欲が薄れたり、いい加減になったり、
結束力に歪が生まれチームの最大限の力を
発揮することが難しくなりますし、
個人の精神の健康上の観点からも宜しくありません。
なのでお腹の中に溜まったストレスが酷くならないうちに
気心許せる同僚や信頼のおける上司に
ちょっとした愚痴や不満を話すことは
心のガス抜き効果となります。
ただメールの場合は、どうなんでしょうか。
自分の出世の邪魔になる奴を
貶めるチャンスを虎視眈々と狙っている同僚や
度量のない上司は別として
飲みにケーションの場で愚痴やちょっとした悪口を同僚に話したり、
信頼のおける上司に仕事の不満やメンバーに対する不満を
話した言葉はその場で消えてしまいます。
最近の会社では3つ隣の席に座っている者に対して
メールで要件を伝えるほどだそうで、
メールは、コミュニケーションの道具として
社会の中に馴染んでいるようです。
しかし、言葉や文字はコミュニケーションの道具として
不完全なものであることを忘れてはなりません。
例えば、「あいつは本当におかしな奴だ。」
これを否定的に捉えると、
駄目な奴だ。頓珍漢な奴。無茶苦茶な奴。一人浮いている。
とか取られることが出来そうですが、
あいつの発想は凄い。魅力的だ。熱量が半端ない。
とかの肯定的な捉え方も出来そうです。
言葉や文字は、コミュニケーションの道具として
不完全なものとは言え、言葉はその抑揚や表情などが加わり、
不完全さをまだ補うことは出来るのですが、
文字の場合には、本意をしっかり伝えるためには
事細かく書く必要が出てきますし、
メールは話す言葉とは違い消えてしまわず残ってしまうので
第三者がその文字を目にした場合は、
その本意とか言葉の強さなどの受け取り方の違いで
その印象は違っても不思議では無いので
より注意したほうが良さそうです。