新型コロナウイルスの件で
人が多く集まりそうな場所へ出かけるのを
少し躊躇してしまっていたので
恒例の名所巡りは、
1月の10日恵比須で訪れた西宮恵比須神社を
名所巡りに入れるとそれ以来となります。
観光客が大勢集まるであろう京都や奈良を訪れたとしても
そう簡単に感染するとは思ってはいないのですが、
今回は、それほど多くの参拝者がいないだろうと思われる
(ちょっと失礼ことを言っちゃってるかも?)
地元の名所巡りに出かけることにしました。
大本山須磨寺(正式名・上野山福祥寺)
亜細亜万神殿
須磨寺の仁王門の手前にある亜細亜万神殿は、
平成28年(2016)の春に落慶したようです。
亜細亜万神殿の中には、回廊を囲むように
アジアの神々の石像が安置されています。
私が訪れたこの時間の鑑賞者は、私の他に一名だけでした。
異国情緒が感じられると言うのは変な言い方かもしれませんが、
以前に旅行したバリ島を思い出したりして
楽しい時間を過ごさせて頂きました。
須磨寺 龍華橋と仁王門
朱色の龍華橋を渡り、仁王門を潜り須磨寺境内へ入ります。
須磨寺は、仁和2年(886年)に光孝天皇の勅命により
聞鏡上人が現在の地に開基したと伝えられています。
また寿永3年(1184)の源平の一の谷合戦の時に、
須磨寺は源氏の大将、源義経の陣地であったと伝えられており、
その合戦でまだ十代の若武者であった
平清盛の弟、平経盛公の子である敦盛公が
源氏の熊谷直実に討たれます。
須磨寺には、討たれた敦盛公の首塚と
笛の名手であった敦盛公が
大切にしていた青葉の笛とされるものが
宝物館に保管されています。
仁王門
手水舎・五鈷水(ごこみず)と弘法岩
五鈷杵が置かれた岩。
衣を羽織った弘法大師のようにも見えます。
千手観音像
須磨寺 貞照寺
須磨寺 蓮生院
須磨寺 源平の庭
須磨寺の見所の一つ、源平の庭。
青い地面が須磨の海、白い地面が須磨の砂浜を表しています。
青い地面の像が平敦盛公。白い地面の像が熊谷直実。
平敦盛公像
熊谷直実像
宝物館 青葉の笛
写真では分かりにくいと思いますが
中央に立て置かれた二本の笛があり、
どちらも敦盛公が所持していたものだそうですが、
右側の笛が青葉の笛と伝えられています。
宝物館 平敦盛像
宝物館には、他にも十数点の展示物があります。
須磨寺 唐門
唐門へと延びる勾配が緩やかで長くない階段、
膝に少し痛みが残る私にとっては有難かった。
唐門・常香炉・本堂
常香炉
手水所
本堂
義経腰掛の松
一の谷の合戦で熊谷直実は、
討ち取った武将の首と所持していた笛を
源氏の本陣になっていた須磨寺に持ち帰り、
この松の木に腰を掛けた義経が首実験を行ったとされています。
八角堂
経木供養所の八角堂。
八角堂内部には阿弥陀如来像が鎮座し経木が納められています。
この写真を撮影する際に、
ちょっとした面白いエピソードがあったのですが、
ここには書かないことにします。
三重塔
400年前に文禄大地震の際に倒壊した三重塔を
敦盛公800年忌、須磨寺開基1100年を記念して
昭和59年に再建されたもの。
五猿
ためにならない態度をみざる ためにならない事を言わざる
ためにならない話を聞かざる ままにならない事を怒らざる
仏様は悪い行いも善い行いも見て五猿(御座る)
作りがユニークと言うか、軽いと言うか、
子供にも親しんでもらうために作られたのかも。
敦盛公首塚
以前訪れた須磨浦公園には、敦盛公の胴塚がありましたね。
ここ須磨寺には敦盛公の首塚があります。
今の感覚では首を切り落とすとは
何て惨い事をと思ったりしますが、
カメラもない時代では、
戦果を確認するためや誰の手柄かを確認するために
特に大将級を討ち取った時には首を切断して
本陣に持ち帰る必要があったようですね。
書院
庫裡
京都や奈良の有名寺院では、
書院や庫裡から建物内に入ることが出来て、
その建物の内部や立派な庭園を拝観することが出来るのですが、
須磨寺では内部の拝観を行っていないようです。
源平の庭
須磨寺には最近建てたと思われる諸堂が
いくつか目に付きましたが
それらは阪神淡路大震災で倒壊した建物を再建したものだそうで、
あの震災の凄まじさを再確認することになりました。
今回は、奥の院には行かずに須磨寺をこれで後にします。
この後、せっかくなので須磨寺と同じように
前々から気にはなっていたけれども
足がなかなか向かなかった場所を訪れることにします。