作家の葉山嘉樹と言う人物は、無類の釣り好きだったようで
妻から「首を吊りますか?魚を釣りますか?」と責められても
収入源の小説の執筆をさぼっては釣りに出かけていたのだそうです。
小説の執筆で収入を得ていたので
釣りは趣味で小説の執筆は仕事となるのでしょうし、
私は、この方のことを良く知らないのですが、
多くの作品や著書も残しているようなので
葉山嘉樹さんの妻の言葉は、
明日の食べ物を買うお金がないというような
生きるか死ぬかの瀬戸際だったと言うよりも、
もっと仕事に真面目に取り組みなさい的な
意味があったように思えるんでがどうなんでしょうね。
私の勝手な想像ですが、
葉山嘉樹さんは、座って半畳寝て壱畳で
お金を沢山得ることにさほど興味がなく
ほどほどに収入を得て、後は大好きな趣味を楽しめれば
人生こんな素敵なことは無いと思っていたのかもしれません。
また奥さんの方は、夫の葉山嘉樹さんの生き方を
野放図的、酔生夢死的、怠惰的と捉えて、
共感できずにいたのかも知れませんし、
毎日のように言って尻を叩いていなければ
とことんまで仕事に手を付けない人だったのかも知れません。
もし奥さんの言葉通りに葉山嘉樹さんが
明日食うお金に困る生活となっても釣りに熱中していたとするなら
これはもう釣りマニアと言うより依存症だった可能性も出てきます。
葉山嘉樹さんに限らず、
本人が趣味に熱中しているだけだと思っていることが
実は依存症だったなんてこともあるんですよね。
せめて緊急事態宣言が解除されるまでは
「やめておこうよ。」と多くの人が思うなかで
有名な登山家ジョージ・マロリーの
「そこに山があるから。」の名言宜しく
そこに、あそこに営業中のお店があるからの如く、
「暇で死にそうだから。」「ウイルスに感染したらした時だ。」
「感染して死んだら、それが自分の運命だと割り切るよ。」
なんて言いながらパチンコに通う人達のなかにも
実は依存症の人もいるのではないでしょうか。
それが趣味のレベルなのか依存症のレベルなのかは、
●仕事や勉強に身が入らずに何より趣味を優先してしまい
生活に支障をきたすまでになっている。
●それをしなければ(それがなければ)気持ちが落ち着かない。
●やめようと思っても止められない。
葉山嘉樹さんが趣味に没頭していたのか、
依存症であったのかを判断するためには、
妻や自分の子供が自分と同じレベルで釣りに嵌ることを
喜べたのかどうかが分かりやすいかも知れません。