名勝 依水園の拝観を終えて
次の目的地の春日大社に向かおうと
東大寺の中門と南大門の中間地点まで
帰って来たんですが心変わりで急遽予定変更。
東大寺を訪れたなら
名勝・依水園をスルーするのは勿体ないの逆で、
依水園を拝観したなら、
東大寺の大仏殿をスルーのは勿体ないので、
大仏様のご尊顔を拝見しに行くことに。
世界遺産 奈良/東大寺 石碑
奈良東大寺の大仏様(盧舎那仏)は、
これまで何度か参拝させてもらっていますが、
久しぶりの拝観となります。
以前に撮影した大仏殿の写真は、
携帯で撮影した画像しかなかったので、
デジカメで撮影した画像を残しておきたくなったのが、
予定変更の大きな理由です。
東大寺 中門【重要文化財】
朝と比べると随分と人の姿が増えてきて、
大仏様の参拝に向かう人も列をなしています。
大仏殿には、この中門の左端から入るのですが、
いつも閉ざされている中門中央が開くのは、
どんな時なんだろうか。
皇族の方々が訪れた時には、
さすがに開くと思いますが、
総理大臣ではどうなのか、何々大臣ではどうなのか、
こんなどうでも良いことを
考えるだけでも色々と楽しめたりします。
東大寺 中門
1199年に復興された
「私は古いのよ。」感満載の南大門と比べると、
大仏殿も中門も随分と綺麗で新しく見えますが、
大仏殿が1709年、中門は1716年の復興なので
どちらも300年以上経過していることになります。
東大寺 鏡池
東大寺には、私達が、まだ訪れていない
正倉院、東大寺開山堂があるので
これからも何度か訪れることになるかと思いますが、
おそらくですが大仏殿とは、
今回でしばらくお別れになるかと思います。
東大寺 金堂(大仏殿)【国宝】
何度見ても大仏殿の大きさと威厳さを感じます。
東大寺は、743年、奈良時代に聖武天皇が
大仏建造を命じ約10年後の752年に完成。
当時、皇太子が亡くなり、飢饉、疫病、
反乱などが起きて混乱の世の中を
仏教の力で救おうとして建立されました。
その後、大仏殿は兵火で二度焼失し、
現在の大仏殿は、1709年、
江戸時代に復興されたものとのことです。
金堂(大仏殿)まで続く色違いの石床
中門から大仏殿まで続く色分けされた石床は、
仏教伝来の順番を示しているそうで、
中央の黒い石は、インドの石。
黒い石の外側の赤い石は、中国の石。
赤い石の外側の青い石は、朝鮮半島の石で、
一番外側の白い石は、日本の石が使われています。
東大寺 大仏殿 手水屋
雨樋のような独特の形式の手水舎。
東大寺 金堂(大仏殿)【国宝】
金銅八角燈籠【国宝】
金銅八角燈籠は、
大仏殿の正面に立つ燈籠で総高464cm。
奈良時代創建時のもの。
しかし、よくまあこんな凄い建物を
工作機械、工具が発達していなかった昔に
造れたものだとつくづく思います。
あまりにもレベルが違い過ぎて
比べるのもあれなんですが、
中学の技術の時間に、
お風呂用の椅子を木で造ることでさえ
かなり苦労したことを思うと、
これを建築した技術者達は、もう宇宙人ですね。
遠くから見ると案外と綺麗で古さを感じませんが、
こうして近くで見ると、
年季が入っていることが分かります。
東大寺 金堂(大仏殿)
賓頭盧尊者像(びんずるそんじゃぞう)
賓頭盧尊者像(びんずるそんじゃぞう)は、
大仏殿の正面の壁面に置かれて、
ちょっと不気味な感じで非常に目立つ像です。
病を患っている箇所と同じ部分を撫でると
その病が治る功徳があるそうなので、
撫でてみようとしたんですが、
大きな像なので普通にやると
182㎝の私でも膝辺りまでが限度でした。
一応、雨合羽なようなものを被せてますが、
ずっと外で雨風に晒されると傷むのが早いと思うので、
拝観時間が終了後には
大仏殿の中に収容するとは思うのですが、
それとも、まさか外のまま?
東大寺・盧舎那仏(るしゃなぶつ)【国宝】
これまでに大仏様を何度か拝ませてもらいましたが、
「大仏、大仏と言われているけれども
たいして大きく無いよな。」が私の印象でした。
ところがです。私に何が起きたのか、
「奈良の大仏、かなり大きいなあ。」
と初めて思っている自分に気が付いてビックリしました。
虚空蔵菩薩座像 (こくうぞうぼさつ)【重要文化財】
如意輪観音座像(にょいりんかんのん)【重要文化財】
廣目天(こうもくてん)立像【重要文化財】
多聞天(たもんてん)立像【重要文化財】
細かな所まで彫られた廣目天立像と多聞天立像は、
私のお気に入りです。
持国天(じこくてん)像と
増長天(ぞうちょうてん)像の頭部
1567年(永禄10年)の松永久秀の兵火の後に
大仏殿の諸仏再興の最後に残ったのが四天王像で、
廣目天と多聞天は完成しましたが
持国天と増長天は完成されずに
頭部が大仏殿内に展示されています。
創建当初の東大寺模型
創建時の大仏殿は、
現在の大仏殿より幅が1、5倍ほど広く、
大仏殿の東西には、
高さ70m~100mを越える七重の塔があったと
残されている資料から推測されています。
大仏殿側から観る中門
東大寺大仏殿 廻廊
東大寺 金堂(大仏殿)
これで大仏殿とは、しばしのお別れです。
目に焼き付け、肌の感覚を刻み込みます。
明治天皇 奈良行在所石碑
東大寺 寺務所(旧東南院)
奈良東大寺参道で昼食
昼食で東大寺参道のお店で食べた牛すじカレー。
前回の奈良名所巡りで、
圓成寺のお食事処で『うどん』を食べてから
奈良の『うどん』に興味津々の私でしたが、
この時のお腹の減り具合が、
かなりなものだったのでカレーを選択。
味の方はと言うと、あっさり味と言うか、
物足りないと言うか、面白味の無い味と言うか、
そんな味でした。
そりゃそうですよね。今回の自分が、それまでの自分に言うなら「大きくないって、いったい何と比べているん?」って言うでしょうね。
食欲ですが、私の場合は大抵食欲が勝っているように思います。今回の場合は、6:4で食欲の勝利でしょうか。食欲が完全勝利していたら、「うどん』と「カレー」を食べていたはずですから。
そこで、そのままにしておくか
そらとも、探究心を持って原因や疑問をとことん謎解いていくか……
これで、その問題に対する興味とか自分にとっての大切さがわかります
先生は食欲の方が勝っていて不思議な疑問は二の次としたとゆう事ですね
人間生きていると腹が減りますからね
あのカレーは、大盛りカレーなので友人の普通盛とは違ってお皿は、大きくて深さも明らかに違っていて御飯とカレールーはたっぷり入っています。
それが理由であるはずがないのですが、友人の普通盛が運ばれてきてから、私の大盛りカレーは3分~5分ほど遅く運ばれてきました。私の方のオーダーが通っていないのではと心配した位です。文句とかそういうのではなく純粋に不思議です。