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女性マーケターから見た日々の出来事

見えないコトを考える-国と経済-

2008-02-06 14:09:01 | アラカルト
アメリカ大統領選挙の党予備選が、毎日のように日本でも報道されている。
特に、民主党のクリントンvsオバマの争いは「アメリカ初」となる大統領となる(可能性)があるため、アメリカ国内外でも注目を浴びている。
この「大統領予備選」というのは、あくまでも党の候補者選びのための選挙なのだが、本番さながらのような、熱気がある。
直接選挙ではない日本では、考えられない。

だが、直接選挙だからこれだけ盛り上がるのだろうか?という、トコロもある。
4年前、8年前の大統領選では予備選での盛り上がりよりも、本選のほうが注目されていたような記憶があるからだ。
8年前のブッシュvsゴアという選挙は、印象深い。
そんな時、たまたま見たNHKの「爆笑問題のニッポンの教養」で、なんとなく納得できるような気がした。

東京大学教授で憲法学者の長谷部恭男教授の「国は、見ることができない。だから、憲法が必要なのだ」ということばだ。
確かに地図上には、日本という国はあるのだが、その国にいる私たちは日本人ではあるのだが、何を持って日本というのか?という事は分からない。
なぜなら、日本という国は様々な価値観、思考を持った人たちの集合であり、それが保障されているからだ。
「人種の坩堝」であるアメリカなどは、「何を持ってアメリカなのか?」、「アメリカのアイデンティティ」と言われても、その価値観となるモノ・コトは一つではない。
むしろ、その多様性があるためにアメリカという国は巨大になり、産業・経済でもリードしつづけ、世界の警察とも成りえたようにも感じたのだ。
その「アメリカ」を実感できる一つが、アメリカ大統領選のような気がする。

もう一つ見えないモノがある。
それが「経済」だ。
株価という数字で、見ることはできるのだが「本当にそうなの?」というコトになると、誰も分からないのではないだろうか?
昨年秋から始まった、バイオエネルギーへの転用が考えられる穀物相場などの高騰などは、あくまでも「需要と供給のバランス」が崩れて穀物が値上がるという「思惑」で、動いているに過ぎない。
もう一つ顕著な例がある。
それが昨年盛んに言われた「景気の回復」だ。
確かに、大手企業の利益は過去最高だった。
だが、生活者にはその実感がなかった。
「経済は社会の血流」といわれても、その「血が流れている」コトが実感できない、と言うコトはある意味「経済」という世界に参加できていない、ということにもなるのではないだろうか。
それを阻むモノもまた、見ることができない「政治」のような気がするのだ。

「政策」というモノがありながら、その「政策」がカタチにならないために見ることができない。
政治家や経済人と呼ばれる人たちは、「カタチの見えないモノ・コト」を具体的に示すという、ある意味創造性が必要な人たちでもある。
今の日本にどれだけ創造性のある政治家や経済人がいるのだろう。
そんな事を、テレビを見ながら考えてしまった。