日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

ネット利用が、ネットに振り回されている?

2013-12-12 20:41:38 | アラカルト

今日出かけた時、前を歩いている男性が、通りすがりの人と接触をした。
後ろにいる私が、気づくくらいなのでそれなりの感触はあったと思うのだが、前を歩いている男性は、気づきもしような様子で前屈みになって歩いている。
後ろ姿から察すると、スマホに夢中なようだ。

実は、ここ2週間ほどでスマホ歩きの人と接触するコトが何度かあった。
内1回は、後ろから自転車に乗った若い男性との接触だった。
幸いカバンに接触し、怪我をするコトは無かったのだが、スマホ自転車の若い男性は、自分が歩行者である私に接触したコトも気づかない様子で、走り去っていった。
もしかしたら、接触をした時に「チェッ」という舌打ちはしたかも知れないが・・・。

今では、地下鉄や電車に乗ってもスマホを手に何かをしている人ばかりを観る。
スマホが登場する前、盛んに言われていたのが「日本は成人男性が少年漫画を電車内で堂々と読んでいる」ということだった。
それが良い・悪いではなく、外国の人から観ると「何故、電車内で漫画を読むのか?理解できない」という、不思議な印象を与えていると言うことだった。
その後、携帯電話からネット接続でゲームができる様になると、その光景は「電車で、携帯電話でゲームをする光景」へと代わり、今では「スマホを手放せない日本人」ということになっている様な気がする。

しかし、四六時中ネットを通じてスマホなどから何か情報やゲームを、しなくてはならないのだろうか?
急速に利用者を増やしている「LINE」だが、その利便性とは別に「LINEいじめ」という言葉も聞かれる様になってきた。
「LINEいじめ」の特徴的なコトは、グループ内で連絡が遅れたりすると、グループのメンバーから、「スルー」されるコトから始まり、それが「LINE」という中だけではなく、実生活でも「無視」等から始まる「いじめ」へと発展すると言う。

昭和世代であれば、「連絡が遅い=何かトラブルに巻き込まれた?体調が悪い?」と、相手を心配したものだが、今は「自分が最優先」ということなのか?自分のペースに合わせるのが当然、と言う感覚を持っていると言うことなのだろうか?その感覚には、驚かされる。

もう一つ気になるのは、上述したとおり「人とぶつかっても、気づかない」ということだ。
「ぶつかったこと」そのものは、認識をしているとは思うのだが、意識の優先順位として「ネット(または「スマホ」)」のほうが高く、興味・関心度も周囲の人やものではない、と言うことが問題という気がするのだ。
この様な姿を見ると「ネットという便利さを利用しているのでは無く、ネットに利用されている」という気がしてくるのだ。
ネットは利用するモノであって、利用されるモノではない。

先日「集団の中で人の行動は変化する」というエントリをした。
そう考えると、今は「ネットという世界によって人の行動が変化し、実際の人やものへの関心が無くなるコトが不自然では無くなりつつある」ということなのかも知れない。
ネット上だけではないが、「情報」そのものは玉石混交。
「デマ」に踊らされ社会が思わぬ方向へと動く、と言うことは、歴史を見ればよく分かる。
それを見分ける力は、現実ということを知り、時には経験をするコトで身につくのでは無いだろうか?