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パラリンピックと感動ポルノ

2016-09-19 20:27:46 | 徒然

リオパラリンピックが閉幕した。
オリンピックと違い、パラリンピックの扱いは小さい。
連日連夜放送があったオリンピックとは違い、パラリンピックはE-テレなどで「その日のハイライト」くらいを放送する程度。
メダル獲得ともなれば別だが、新聞の扱いなども、同様に大きく取り上げられることは少ない。

ただ、時折ニュースなどで取り上げられる選手たちの姿は、オリンピック選手とは違う「凄さ」を感じさせる。
両腕のないエジプトの卓球の選手は、足でボールを上げ口でくわえたラケットで打ち返す・・・超人的なプレーを見せてくれた。
AFP:両腕のないエジプトの卓球選手、離れ業でリオ・パラリンピックを席巻
他の選手たちも同様に、アスリートとしてのすばらしさをプレーで見せてくれたのでは?と、思っている。

一方、障害者が活躍する姿をドラマチックに報じるコトに対して、「感動ポルノ」という批判も起き始めている。
「感動ポルノ」とは、コメディアン兼ジャーナリストであったステラ・ヤングさんが「健常者と障害者との関係」についてあらわした言葉で「障害者は健常者の感動を生むための存在ではない」という指摘をしている。
TED:私は皆さんの感動の対象ではありません、どうぞよろしく ステラ・ヤング
おそらく、パラリンピックに出場した選手たちもステラ・ヤングさんと同様に「感動を与えるために、プレーをしているわけではない」と、思っていることだろう。
事実、パラリンピック出場を目指す村上清加選手は、あるラジオCMのインタビューで「足が無くて何秒で走れてすごいね、と言れても、私にとっては全然すごくないんです」と、言っている。
そして、元トップアスリートである為末大さんは、新聞のコラムで「カッコイイとかわいそうは、両立しない」と書いている。

上述したエジプトの卓球選手にしても、障害を持つ彼のプレーを見て感動したのではなく、一つ一つの真剣勝負のプレーに、私たちは感動したのではないだろうか?
4年後のパラリンピックは「感動ポルノ」的な意識ではなく、閉会式での「東京プレゼンテーション」のような、カッコイイアスリートたちの活躍を見たい!という気持ちになった。

今回のプレゼンテーションの演出には、組織委員長の森さんが関わっていないだろうな~という、演出であったことも良かったのでは?と、感じている。