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教育の本質って何だろう?

2019-06-26 16:49:55 | ビジネス

Yahoo!のトピックスを見ていたら、ノーベル賞受賞者である野依博士が「怒っている」という記事があった。
野依博士が怒っているのは、「日本の教育」についてだ。

Yahoo!The PAGE:ノーベル賞・野依博士「本気で怒っている」日本の教育に危機感

この記事を読んだとき、思い出したことがある。
リーマンショック前だったと思うのだが、米国では「金融工学」という分野がもてはやされ、いわゆる超有名大学出身者がこぞって、ウォールストリートに就職をしていたという話だ。
ご存じの通りウォールストリートは世界一の金融街であり、トレーダーとして成功すればそれこそ億というお金が入ってくる、という世界だ。
反面リスキーな世界でもあるのだが、当時は「金融工学」という学問を武器に(?)優秀な若者が、数多くウォールストリートに就職をしたのだった。
その後のリーマンショックにより、ウォールストリートで活躍できるはずだった(?)若者たちは、どうなってしまったのかは知る由もないのだが、その当時の米国は「優秀な学生ほど、ウォールストリートに行く」と言われていたのを、思い出したのだ。

野依博士が言う通り、勉学というのは「金儲け」の為のものではない。
「人がより良く生きていく為に必要な学び」が、教育の基本であろう。
その部分をおざなりにし、有名大学に進学したとしても人生の挫折により、「ひきこもり」となってしまっている人たちも、多いのではないだろうか?
もちろん、成育環境の中で「自己肯定感が低い」などの、背景も忘れてはいけないと思うのだが、自分で自分の人生を切り開いていけるだけの「智慧」を身に着けることが、「教育」だともいえると思う。

もう一つ忘れてはいけないのは、資本主義社会において「教育」は、次の世代、次の次の世代の労働者を育てる、という意味においても、重要だ。
マルクスの「資本論」の中には、支払われる給与は「労働者が生活をするため、労働者が健康な生活をするため、次世代の優秀な労働者を育成するため」に必要なことである、と書いてあったように思う。
このような表現をすると、「労働者=資本社会の奴隷」のようにも思えるのだが、世界的に見た時資本主義と民主主義が一つになっている国が経済的にも国民主体となる社会を形成していることを考えると、決して「労働者=資本社会の奴隷」ではないはずだし、そのような社会になってはいけないはずなのだ。
野依博士の「教育の危機」というのは、民主主義の危機でもあり、資本主義の危機でもあるのだ。

今の社会は、一部の人たちの意見で国が動いているのでは?と感じることがある。
それを「違う!」という力もまた、教育によって生まれてこなくてはいけないはずなのだ。
ハンナ・アーレントが指摘した「全体主義」的な社会に陥らない為にも、「自分の意見や考えを思考する教育」は必要なことでもある。

「教育」とは、単に数学の数式が解けるとか、年号を暗記している、ということではない。
もっと深く、幅広いものなのだ。そしてそのような教育がこれから先、より求められていくはずだ。