今日は父の日だ。
毎年思うことなのだが、「母の日」に比べ「父の日」に対する世間の扱いが、随分違うような気がしている。
「母の日」ともなれば、花屋さんには赤いカーネーションが並び、百貨店に行けば「母の日ギフト」が様々なフロアーに登場する。
それに比べ「父の日」は、決まった花はなく、百貨店の売り場は大体お酒のコーナー(+おつまみ系お惣菜コーナー)かゴルフ関連の売り場や紳士服のフロアーくらいだろうか?
確かに、メンズ商品というのは、婦人服やバッグ、アクセサリー、化粧品関係に比べ、アイティムとなるモノは少ないだろう。
小売という点でも、「母の日の赤いカーネーション」のような、象徴的な贈り物アイティムが無い為、どうしても注目度は低くなってしまうのだろう。
言い換えれば「話題性」となる要素があまりなく、商業的なセールスポイントとなる部分もあまり感じられない、ということになるかもしれない。
それを無理やり商業ベースに乗せようとすると、やはりどこかで「無理感」が出てきてしまう、ということも考えられる。
でもそれだけだろうか?
なんとなくだが、日本の家庭における「父の存在感と家族との関係性」にあるのでは?という、気がするのだ。
高度成長期から今に至るまで、「頑張って働くお父さん」という存在ではあるのに、「父と子ども」という関係になると、育児参加率そのものが低いこともあり、父親と子どもとの親密度は高いとは言えないだろう。
昨今「イクメン」と言う言葉が定着し始めているが、その実「なんちゃってイクメン」とか「自称イクメン」ばかりが増えていて、本当に子育てに参加しているお父さんは、どれほどいるのだろう?
だからと言って、「仕事で頑張るお父さんたち」を批判する気はない。
何故なら、これまでの社会的な認識が「男が働き、家族を養う」だったからだ。
「働く」場所が生活の場所から離れていれば、子どもたちは「疲れ果てたお父さん」しか見ていないし、そのようなお父さんに親密度が上がるのかはなはだ疑問だ。
家族内での日ごろの親密度の違いが、「父の日」の存在を地味なものにしてしまっている、という部分も大きいように思えるのだ。
せっかくなので、父の日に合わせ↓の楽曲を・・・大学のマーチングバンドの指揮をしていた父へささげた、ダン・フォーゲルバーグの「バンドリーダーの贈り物」