昨日、九州南部を襲った大雨。
熊本・宮崎・鹿児島に甚大な被害を及ぼしている。
被災した地域には、老人介護施設があり、その施設の入所者の方が亡くなられたり、行方不明になっているようだ。
今回に限らず、ここ数年毎年のように全国各地で「大雨の被害」が、続出するようになった。
大雨に限らず、自然災害が発生すると一時的ではあるが、「避難所」で生活をすることになる。
大震災などの時には、「避難所生活」が2,3ヶ月続くこともある。
そのような「避難所生活」は稀かもしれないが、そろそろ日本の「避難所」を見直す必要があるのでは?という指摘が、ここ最近増えてきている。
理由は「プライバシーが無い生活」だ。
確かに、学校の体育館で雑魚寝状態での「避難所生活」は、数日なら耐えることができても、「避難所生活」が長引けば長引くほど、「プライバシーの問題」が出てくる。
最近では、避難所に段ボールで区分けをし、それなりの「プライバシーが確保できる」様になってきているようだが、今回の「新型コロナウイルス」の感染拡大の状況を考えると、「避難所」そのものが「クラスター発生源」となりかねない。
「新型コロナウイルス」に限らず、様々な感染症が避難所で発生した場合、その避難所そのものを閉鎖する等の対応が必要になるだけではなく、避難所にいる人達を違う避難所へ移送させる必要がある。
もしくは「避難所=隔離所」とし、専門の医療隊を派遣する等の方法を取ることになる。
だが、今の自治体でこのような「災害避難所と感染症」という、考えを基に「避難所」がつくられているわけではない。
学校の体育館は、生徒が体育の授業で使う場所であり、教育の一環としての場所だからだ。
それは、学校の校舎であっても同じだろう。
そのように考えると、避難者のプライバシーという問題だけではなく、トイレなどの衛生面などについても、「人らしい生活をする」という視点では、日本の避難所は設備が整っているとは言えないのでは?
とすると「新型コロナ禍」での起きた今回の九州南部の大雨被災は、「これからの避難所」ということを考える切っ掛けとすべきだと思う。
例えば、ホテルや旅館などと自治体が「災害避難時の受け入れ」を要請できるようにするとか、同じ学校を「避難所」とするにしても、廃校となった学校の教室をシェアールームのように使えるように、日ごろから「簡易宿泊ができる施設」として再活用する等の、アイディアが必要になっているのではないだろうか?