今日、日経新聞と朝日新聞に「音楽ライブ」という同じテーマの記事を掲載している。
日経新聞:逆風やまぬ中、ライブハウス再始動
「新型コロナウイルス」の感染拡大が懸念されていた2月末、椎名林檎さん率いる「東京事変」がライブを半ば強硬した。
その時、椎名林檎さんをはじめ「東京事変」のメンバーだけではなく、所属している事務所や運営会社にまで批難が起きた。
理由はこのライブの前に、大阪のライブハウスをクラスター源とする「新型コロナウイルス」の感染が、判明していたからだ。
そのような状況下の中でのライブ開催であったために、社会的問題として取り上げられ、このライブ以降多くのコンサートの中止や延期が次々と発表されるようになったことは、ご存じの通りだ。
一連の「音楽ライブやエンターティメント」の相次ぐ中止や延期により、関連事業は大打撃を受けている。
音楽ライブに限らずエンターティメントという事業は、表舞台に登場する人よりも遥かに多い人たちが、支えている。
その「支えている人たち」にとって、今回の「新型コロナウイルス」感染拡大は、生活に直結する問題として大きく取り上げられた。
だからこそ「自粛解除」はエンタメビジネスに関わる人達にとって、「一山超えた」という安堵感があったのではないだろうか?
ところが解除後、Yahoo!などのトピックスでは、舞台やライブの出演者やバンドメンバーの感染が確認されたと連日報道され、再び関係者の間で感染拡大が判明しつつある。
このような報道を知ると「一体何のための自粛生活だったのだろう?根本的な感染拡大策になっていなかったのか?!」と、ガッカリしている方も少なくないと思う。
それだけ「感染症」の対応の難しさ、ということを改めて知る結果となっているような気がしている。
朝日新聞や日経新聞の記事に登場する関係者たちは、「新型コロナとの共存」という点で苦悩を感じながら、ライブを再開させたり、ライブビジネスの在り方を考え、模索している。
あくまでも個人的な考えなのだが、主催者側は「たかが音楽ビジネス、エンターティメント」という考えを持ってほしい、と思っている。
それは拙ブログで何度か指摘させていただいている「マズローの欲求の階層」という、「人の欲求」という視点での「音楽ビジネスやエンターティメント」の位置づけという意味で、そのビジネスを支えている人たちを蔑ろにしろ、というわけではない。
もう一つ「たかが音楽ライブ」と腹をくくってほしい理由は、この9月に予定されている「サマーソニック(通称サマソニ)」という、大規模な音楽フェスが、予定されているからだ。
海外からのミュージシャンの出演も予定されているようだが、おそらく今の状況では来日そのものが難しいだろう。
何より、現在の感染者数が全国的に増加傾向にある中で、「世界に先駆け開催する」と表明している点で、主催者側として「どれほどの予防策をとっても、感染者が出るだろう」というリスクを想定し、考えているのだろうか?と、疑問に感じているからだ。
このような大規模の音楽フェスで、クラスターが発生した場合、参加ミュージシャンだけではなく、このフェスに来ていた観客にも冷ややかな視線を社会から浴びせられるだろう。
何より「そこまでして、音楽フェスってやる必要があるの?」と、社会全体から指摘される可能性がある。
そのような指摘は、来年以降の「音楽フェス」そのものが開催が難しくなるだろうし、会場となる施設を貸してくれる自治体や企業なども無くなる可能性も出てくるのでは?ということなのだ。
「その場で体感できるライブやエンターティメント」には、代えがたい魅力があるのは、学生の頃は月1ペースくらいで海外のミュージシャンのコンサートに行き、映画館などにもそれなりの頻度で行っていたので、十分理解しているつもりだ。
とすれば、先月「サザンオールスターズ」が実施したような、「無観客・有料ライブ配信」という方法などで、音楽ファンを楽しませ、本格的再開への気持ちを高めるという方法を考えることの方が、「音楽ライブやエンターティメント」を支えることになるような気がするのだ。