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日本は「希望」のない国なのか?

2020-09-03 18:46:19 | アラカルト

ファッション誌「VOGUE」が、「HOPE」という特集を組んでいる。
VOGUE Japan:HOPE

この特集の目的は、世界に蔓延している「新型コロナウイルス」後の社会を考える、ということにある。
「新型コロナウイルス」の世界的感染拡大は、感染症の恐ろしさという点だけではなく、社会に潜んでいた様々な問題を浮き彫りにした、ともいえるかもしれない。
それは「経済格差」であったり、「人種問題」や「LGBTQ」、「性差」という問題などだ。
日本ではそれらの問題とは別に、「新型コロナウイルス」という感染した人達や、現場で感染症対策や治療に携わる医療者に対する、偏見なども露呈した。

頭では「偏見を持つこと」の問題はわかっていても、それが突如として身近な問題となった時、あるいはメディアなどで取り上げられた時、様々な手段で攻撃をしてしまうという事実を、まざまざと見せつけられた気がした。
攻撃してしまう理由については、先日拙ブログでも書かせていただいたのだが、「異質な存在」を受け入れるということに抵抗感があり、社会の不安定要素だと感じている部分があるからだろう。
もちろん、それだけが理由ではないし動機となるわけではないと、考えている。

そんな中、Huffpostや共同通信社などが、ユニセフが行った「子どもの幸福度」についての調査について報道していた。
Huffpost:日本の子ども、健康なのに「精神的な幸福度はワースト2位。高い自殺率の問題、改めて浮き彫りに

かつて「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」といわれてきた(現在一般的に認識されている意味は、誤用のようだが:Wikipedia)。
しかし現実は、体が健康であっても精神を病んでしまう人は多い。
それが子どもたちにも広がっている、という日本の現実がある、ということだろう。
その中でも「学校での問題」が、自殺原因のトップに上がるということが、今の子どもたちにとっての悲劇なのかもしれない。

時々感じることなのだが、私の子ども時代よりも今の子どもたちのほうが、学校生活に限らず、日常生活が息苦しそうに見える時がある。
それは様々な「ルール」という名の制約があり、その「ルール」から外れた途端に、「異質な存在」と認定されいじめの対象となってしまうからだ。
しかも「異質な存在」と認定するのは、子ども同士という関係だけではなく、時には教師や親が関わってくる。
こうなると、「異質な存在」となった子供たちは、居所を失ってしまうだろう。

何故これほどまでに「ルール」という名の制約を設ける社会になったのか?と、考えると「生産効率が上がる」という大人の「経済成長観」を押し付けてきたからではないだろうか?
これまでモデルとしてきた「経済成長」の基礎となるのは、いわゆる「物づくり(=製造業中心)」だった。
しかし今の日本では「製造業」よりも、「第3次産業」と呼ばれる「小売り、サービス業」が中心になってきている。
「第3次産業」の特徴は、「モノ・コトの価値」を決めるのは、提供者側ではなく購入者側であり、その「価値」そのものも一つではない、という点にある。
だからこそ「寛容性」が必要であり、「(広義の)ダイバーシティ」の組織が、重要になっているのだ。
にもかかわらず、固定された昭和の生産概念で、社会を形成し維持しようとしているのが、今の日本の社会の負の部分なのかもしれない。

VOGUEの「HOPE」の特集を見て感じられることは、若い世代、女性、LGBTQの人たちが積極的に提言をし、行動しようとしていることだ。
そして、日本が「HOPE」を感じられる社会に変えていくチャンスが、この「ポストコロナ」のタイミングのような気がしている。