暫く前から、思っていたことがあった。
それが、自転車に乗りながらの携帯電話利用だ。
朝の通勤時間帯だけではなく、休日の朝早い時間帯に高校生と思われる男の子が猛スピードで、歩行者の脇や目の前と突っ走り去っていく時がある。
そのたびに「ヒヤリ!」とするのだが、過ぎ去っていく男の子は「そんな事、知りません」と言うか、「気が付きません!!」と言う感じなのだ。
よくよく見ると、男の子の手元には携帯電話がシッカリと握られている。
周囲が見えなくて当然と言えば当然といえるのだが、「それほど急ぐ用事があるの?」と聞いてみたくなる瞬間でもある。
最近静かにブームになっているらしいのでは?と感じる一つに「自転車・サイクリング」がある。
数年前から書店に行くと「サイクリング雑誌」が、野球やサッカーなどのスポーツ雑誌と並んで置かれている。
主に「スポーツサイクル」と呼ばれる、自転車愛用者を対象とした雑誌なのだが、オフロードサイクルなどや「通勤に自転車」と言う内容も組まれている。
「エコロジー」や「LOHAS」などへの関心と共に、自転車も注目されているのだ。
高校生の自転車と、最近の自転車ブーム(と言うほどではないが)の本質は大きく違うのだが、利用者の「携帯電話が手放せない指向」は変わらない。
大声で携帯電話を電車内で話す人たちは、メール機能や通信ゲームなどの充実により、激減をした。
その結果、周囲を気にすることなく「自分の世界に没頭する」人たちが、増えたことも確かだろう。
「周囲が見えない人たち」が増えたともいえるかもしれない。
そんな心配が、現実のものとして事故が起きている。
そのような事故を受け、警察庁、交通ルール見直しと言う動きがあるようだ。
自動車運転中の携帯電話の使用禁止となって、2、3年にはなると思う。
だが、今だに運転中の携帯電話使用者は、至る所で見かける。
今回の「自転車の交通ルール見直し」は、自転車利用者の危険を減らすコトを目的としているようだが、自転車も時には加害者になると言う意識を持つ時代が来ているように思うのだ。
携帯電話は「いつでも・どこでも連絡ができる」と言う、利便性を生活者に提供した。
大型トランシーバーのような形態から、手のひらサイズ・軽量化になり、そして利用料金の低価格化によって、一気に利用者が増えた。
反面、「携帯電話」に束縛されているような気がするのだ。
自転車に乗っている時に、携帯電話で話す(メールをする)必要があるほど、緊急な用事と言うのは長い人生の内でも余りないはずなのだ。
なのに、携帯電話がないと不安になってしまうと言うのは、便利に縛られた不便な生活なのではないだろうか?
それが、自転車に乗りながらの携帯電話利用だ。
朝の通勤時間帯だけではなく、休日の朝早い時間帯に高校生と思われる男の子が猛スピードで、歩行者の脇や目の前と突っ走り去っていく時がある。
そのたびに「ヒヤリ!」とするのだが、過ぎ去っていく男の子は「そんな事、知りません」と言うか、「気が付きません!!」と言う感じなのだ。
よくよく見ると、男の子の手元には携帯電話がシッカリと握られている。
周囲が見えなくて当然と言えば当然といえるのだが、「それほど急ぐ用事があるの?」と聞いてみたくなる瞬間でもある。
最近静かにブームになっているらしいのでは?と感じる一つに「自転車・サイクリング」がある。
数年前から書店に行くと「サイクリング雑誌」が、野球やサッカーなどのスポーツ雑誌と並んで置かれている。
主に「スポーツサイクル」と呼ばれる、自転車愛用者を対象とした雑誌なのだが、オフロードサイクルなどや「通勤に自転車」と言う内容も組まれている。
「エコロジー」や「LOHAS」などへの関心と共に、自転車も注目されているのだ。
高校生の自転車と、最近の自転車ブーム(と言うほどではないが)の本質は大きく違うのだが、利用者の「携帯電話が手放せない指向」は変わらない。
大声で携帯電話を電車内で話す人たちは、メール機能や通信ゲームなどの充実により、激減をした。
その結果、周囲を気にすることなく「自分の世界に没頭する」人たちが、増えたことも確かだろう。
「周囲が見えない人たち」が増えたともいえるかもしれない。
そんな心配が、現実のものとして事故が起きている。
そのような事故を受け、警察庁、交通ルール見直しと言う動きがあるようだ。
自動車運転中の携帯電話の使用禁止となって、2、3年にはなると思う。
だが、今だに運転中の携帯電話使用者は、至る所で見かける。
今回の「自転車の交通ルール見直し」は、自転車利用者の危険を減らすコトを目的としているようだが、自転車も時には加害者になると言う意識を持つ時代が来ているように思うのだ。
携帯電話は「いつでも・どこでも連絡ができる」と言う、利便性を生活者に提供した。
大型トランシーバーのような形態から、手のひらサイズ・軽量化になり、そして利用料金の低価格化によって、一気に利用者が増えた。
反面、「携帯電話」に束縛されているような気がするのだ。
自転車に乗っている時に、携帯電話で話す(メールをする)必要があるほど、緊急な用事と言うのは長い人生の内でも余りないはずなのだ。
なのに、携帯電話がないと不安になってしまうと言うのは、便利に縛られた不便な生活なのではないだろうか?