日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

異業種共同事業-原宿LOHAS倶楽部-

2005-09-05 18:39:02 | ビジネス
昨日のエントリー「小泉さんに見る『自民党』ブランドの再構築」に、トラックバックを下さった「大風呂敷展」のエツロ~さん、ありがとうございました。
寓話的なお話の中にある、現実的な部分・・・あまり現実となって欲しくないところもありましたが、なかなか洞察されていらっしゃると感じました。
おそらく現在の「郵便物」の多くはDMで、私信自体は減っていると思います。
DMも時代とともに様変わりするようになれば、「郵便事業とは何か?」という、根本的なことを考え直す必要が出てくると思います。

今日、調べモノをしていたら「原宿LOHAS(ロハス)倶楽部」という、事業体を知った。
今年3月、ファッション、アパレルを中心に異業種30社(者)の異業種が集まってはじめた「エコロジー」をキーワードとした、生活提案をする「倶楽部」のようだ。
参加企業の詳細が分からないのが残念だが、これまで30社(者)の異業種が集まって一つのコンセプトの基に、一つの商品を創るということはなかったのではないのでは?

「異業種が集まって一つのコンセプトの基に製品を創る」というのであれば、実質的な失敗に終わったと思われる「Will」シリーズがあった。
トヨタ自動車や松下電工、コクヨや江崎グリコ、近畿日本ツーリストなど様々な企業が、それぞれの分野で「Will」というコンセプトで、20代の女性をターゲットとして作られた商品である。
ところが、アサヒビールが生産を中止した後は、雪崩的に参加企業が次々と離れていってしまった。
最後まで残ったのは、トヨタ自動車の「Willサイファ」という、自動車だったと記憶している。
「Willな生活提案」と言っても、企業それぞれが考える「Will」が違っていたのではないだろうか?

それに対して原宿LOHAS倶楽部は、いたってシンプル。
「エコと心地良さ」というコンセプトだ。
それだけではなく、参加企業にはいくつかの規則が決められていて、それに従う必要がある。
現在は、ファッションという分野だけのようだが、今後スキンケアや食料品へと広がっていく可能性は、大きい。
今後の展開を注目してみたい。


小泉さんに見る「自民党」ブランドの再構築

2005-09-04 17:37:39 | 徒然
今日、NHKなどをはじめとする各メディアの世論調査で「自・公で過半数」という数字が出ているようだ。
今週一週間の選挙戦で、この数字が最終的にどんな変化を起こすのか?まだまだ分からない。

衆議院選挙が始まって、各党首が街頭演説をする姿がニュースなどで頻繁に流れるようになった。
これまでよりも、多いような気がするのは私だけだろうか?
そして、この演説風景を見ていて感じるのは、小泉さんの自民党に対する「ブランド作り」のうまさである。

これまで「自民党」のイメージというと、「オヤジくさい、旧態然としている、保守的で利益誘導型政治」といったモノだったような気がする。
実際行われてきた政治も、「オヤジくさく、特定の業種や地方への利益誘導ばかりが目立つ」モノだった。
ところが、小泉さんは「今回の選挙で、『郵政民営化を問う』と、これまで支持をしてくれていた人たち、支援母体から『もう、自民党を支援しない』という声があるようだが、私は、限られた自民党員ではなく、非自民党員である大多数の国民に郵政民営化、改革の必要性を説いて、支持をお願いしている」と、街頭演説で言い切ってしまっている。
まさに「自民党」が築き挙げてきた「自民党ブランドを壊し、再構築をしている」と、言わんばかりだ。
むしろ、これまでの野党のもっていた「イメージ」を、「自民党の新しいブランドイメージ+α」という勢い。

小泉さんが、こういうことを言い切ってしまうがために、野党である「民主党」の岡田さんの街頭演説に「新しさ」が、感じられないようになってしまうのである。
まして、郵政民営化に反対をし作った2つの新党などは、「新鮮さ」もなければ何もない。小泉さん以前の「自民党」の印象が強く残る。しかし「自民党」ではないので「利益誘導型」を期待する人たちからは、なかなか支持を得られるに至らない。というところではないだろうか?
他の野党にしても、言っていることに新鮮さが感じられない。
社民党にしても、共産党にしても、これまでの支持母体となる人たち以外へ「私たちの考え」というモノが伝わるような、街頭演説とはなっていない。

「浮動票といわれる人たちを、どれだけ意識をし、自分達を伝えることが出来るのか?」
これまでの自民党は強い支持基盤を持っていたがゆえに、「自閉的で自己完結的」な公約で十分だった。それを打ち壊し、非支持母体となる人たちへ政策論争以前の「党イメージ」を創るのか?という点では、小泉さんは他を圧倒したような気がする。
それが、今日発表された世論調査の数字となっているのではないだろうか?

サイレント・シティズン、サイレント・コンシューマー

2005-09-03 11:48:56 | マーケティング
「百貨店に続いてスーパーも」のエントリーに、コメントとをくださった兵庫県の某職員さん、ありがとうございました。
「数値目標を基準とした成果主義」というのは、「諸刃の刃」だと思っています。
特に技術系職・研究職といわれる人たちは、昨日今日で成果が現れるような仕事でもありませんし、基礎研究のようなものは、数値で何をあらわすのか分からない要素が多いのではないでしょか?

ご指摘をされているような「販売力のある企業が儲けている」、という事実があることも、理解しなくてはいけませんが、例えば自動車などの場合、これからドライバーの高齢化が急速に進むと思います。
と同時に、高齢者の自動車事故が増えることも、暗に想像できますよね。
とすれば、これから自動車に求められる性能や機能の一つは、「高齢者ドライバーが安全、安心に運転できる『大衆車』」ということになると思います。
それが、マーケティングの視点なのです。
単に技術力があるだけでは、生活者が豊かになるわけではありません。
「その高い技術力を、どうやって市場が必要と感じているモノへと実現化していくのか?」ということが、大切なのです。
「高い技術力といえども、使っている人がいる現場に行って、実際の声を聞く」ということが、なければ「絵に描いた技術」になってしまうのでは?

マーケティングでよく言われることの一つに、「サイレント・コンシューマー」という言葉があります。
「モノ言わぬ消費者」ということなのですが、実際の市場を動かしているのは、この「モノ言わぬ消費者」だといわれています。
高度成長期のように、需要と供給のバランスが「需要>供給」という時代であれば、企業エゴのような「儲けたモン勝ち」という考えも、通用したかも知れません。
しかし今のような「需要<供給」という時代であれば、生活者の視点を考えなければ企業は生き残ってはいけません。

それと同じように、「サイレント・シティズン」という「モノ言わぬ市民」が、存在しているのではないでしょうか?
自分達の既得権を失いそうになると、声高に叫びあらゆる手段を使って圧力をかけてくる人たちは、一見厄介な存在だと思います。
しかし、本当に厄介な人たちは「モノ言わぬ市民」なのでは、ないでしょうか?
これから先、様々なカタチで市民の力を自治の活力としていかなくてはいけない時代が、やってくると思います。
「団塊の世代のリタイアメント」は、まさにそのチャンスだとも考えられるのでは?
その時、行政がいくら笛を吹こうが動いてくれる人がいなくては、意味がありません。
「都市の心地良さ」の基準の一つに、「市民が創る都市の心地良さ」というモノが、加わっていく時代が、近い将来やってくるような気がします。
その時、行政の関わる人たち一人ひとりが「市民としての自分」という視点を持って、「心地良いまちづくり」をしているか否か?ということが、重要となっていくと思います。

百貨店に続いてスーパーも

2005-09-01 18:24:22 | マーケティング
「鉄拳制裁?-高校野球」について、コメントを下さった兵庫県の某職員さん、ありがとうございました。
「日本のスポーツは、軍事教練的な発想から学校体育へと移っていった」という、イメージが私の中にあり、運動ダメダメな子供だった私はその精神論が苦手でした。
そして「勝てば官軍」的なスポーツのあり方が、選手を「駒」として扱うようになってしまうような気がします。
プロのような厳しい世界では、最後は「根性の差」といわれていますが、その前にあるはずの「スポーツの楽しさ」ということを、もっと大切にして欲しいと思いますね。

三越などの「老舗百貨店」の、店舗閉鎖が続いている。
経営不振に陥っている、スーパー「ダイエー」が不採算店舗の閉鎖は仕方ないのだが、今度は「イトーヨーカ堂」が全国30店舗の閉鎖を発表している。
「イトーヨーカ堂」といえば、売上で百貨店を初めて抜いたスーパーだった。
その後、子会社のコンビニエンス・ストアー「セブン・イレブン」に抜かれるのだが、百貨店の低迷に対して、スーパーの元気さの象徴だった。
それが一気に30店舗の閉鎖というのは、やや驚く。

反面、今週発売の「週刊東洋経済」では「SC(=ショッピングセンター)」の特集を組んでいる。
今回の「イトーヨーカ堂」の閉鎖予定の店舗は、旧来の「総合スーパーマーケット」が対象となっていて、現在積極的に展開している「ショッピングセンター」については、閉鎖予定はないようだ。

このことから、小売のあり方の一つの方向が見えてくるような気がする。
それは、「一つの店舗であれもこれも」という「総合型小売」ではなく、「餅は餅屋」のように「専門店の集積+ワクワク・ドキドキ感のあるアミューズメント性」ということ。
「アミューズメント性」と言っても、バブルの頃に見られたような「遊園施設の併設」ということではない。
「おもてなし」という、「買い物に来る人が求める『心地良さ』の提供」ということだ。

百貨店でのお買い物は、「日常の中にある『ハレ』」だった。
その「日常のハレ」感がなくなり、お高くとまった百貨店は「心地良さ」から「堅苦しさ」を感じる場所となった。
スーパーは「一箇所で必要最低限のものが揃う場所」として、生き残ってきた。
それが「ショッピングセンター」という、「日常の専門性とアミューズメント性」へと取って代わられようとしている。
それは、私たちの生活思考の変化の過程なのではないだろうか?