日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

被災地を新しい街づくりのモデルに

2012-03-19 20:12:37 | ビジネス
Yahooのトピックスに、「赤ちゃん連れママ大歓迎」という内容の産経新聞の記事がピックアップされていた。
確かに街中を歩いていると、ベビーカーを押したママさんたちを見かけることが、多くなった。
「多くなった」というよりも、街の光景として溶け込んでいる。
ベビーカーそのものもおしゃれになり、パパが押しても違和感の無いデザインが多くなったような気がする。
パパたちがベビーカーを押したり、抱っこして歩く姿に違和感が無くなったように思う。
それだけ、若い世代の男性は子育てに積極的というコトだろう。
がしかし、そんなパパたちでも苦労する場所がある。
それは街中にある階段や車の進入を防ぐための歩道のポールなどだ。
記事にあるように、人が多く集まる最近のショッピングモールや映画館などは、障害のある人たちでも動きやすい工夫がされている。
むしろ、そのような施設で無いと人が集まりにくい、という状況になっているとも考えられる。

一時期頻繁に「障害を持った人にも動きやすい・住みやすい街づくり」というコトが言われた。
当時は「障害を持った人=車椅子などで移動する人」という、感覚で受け止められていたように思う。
実際は、「車椅子で移動する人」という限定的なモノではなく、車椅子を使わない高齢者なども含まれている、というコトが分かり始めてきた。
特に、ベビーカーの存在はとても大きいと感じている。
というのもベビーカーを使うママやパパは、障害を持っている人ではないし、高齢者のように動きが緩慢なわけでもない。
でも、街中でベビーカーをスムーズに動かそうとすると、意外にも障害物が多い。
名古屋を例に挙げると、地下街だろう。
繁華街の地下に広がる名古屋の地下街は、地下鉄と階段で繋がっているだけではなく、百貨店へも階段で繋がっている。
地下街が出来たのが、50年近く前なのである意味仕方ないといえば仕方ないのだが、百貨店へ通じる階段、地下鉄に通じる階段でベビーカーを持ち上げ悪戦苦闘している方を、度々見かける。
このような光景を見るたびに「バリアフリーの掛け声だけで、終わってしまうのだろか?」というコトを思ってしまう。
既に出来上がってしまった施設に新しくバリアフリー整備をする、というのはとても大変なことなのだ。

だからこそ、震災の被災地の街づくりは防災+バリアフリーという視点で、「イロイロな人にとって住みやすいまちとは?」というコトを考えてもらいたいと思っている。
それも著名な都市設計をする人や、大手ゼネコンが考えるのではなく、被災地の学生たちが中心になって、「自分たちが住みたい30年後の街づくり」を考えて欲しいのだ。
子どもたちの成長とともに、そのまちも成長し、人が集まることで様々な情報が発信できる街づくり・・・そんな街づくりを目指して欲しい。

二つの「新しい」

2012-03-17 20:42:23 | マーケティング
昨日、「The New iPad」が発売された。
先日の発表会では「iPad3」のリリースでは?と期待されたのだが、「The New・・・」という、やや肩透かしのようなネーミングで、市場が少しがっがりしたようだった。
その数日前には、「iPadHD」なのでは?という、噂もあった。
ところが、発表された名前が「The New・・・」という微妙な名前だった。

そして今日もう一つ「新しい」という言葉を使った広告が、新聞に掲載されている。
サントリーの「伊右衛門」の広告だ。
こちらは、広告文を読めばなんとなく「新しい」というコトが分かるのだが、「新しい=リニューアル」という感じの広告ではないことも分かるはずだ。

今回この二つの「新しい」と銘打った商品を見て、共通点があるような気がしている。
それは、製品に対しての自信だ。
ご存知のように、サントリーの「伊右衛門」は発売以来、伊藤園の「お~い、お茶」と並んで、「ペットボトル緑茶飲料」を牽引してきた商品でもある。
キリンの「生茶」が、微炭酸や野菜をブレンドしたりして、変化球で勝負しているのに対して、この二つのブランドだけは、緑茶にこだわる直球勝負の商品でもある。
だからこそ、「新製品を出す」というコトは難しい部分もあるはずなのだ。
というのも「緑茶」は、いくら変えようとしても「緑茶」でしかない。
まして「伊右衛門」は、京都の老舗・福寿園の創業者の名前を冠としている商品だ。
新しいだけではなく、福寿園の名に恥じないような商品ではくてはならない。
だからこそ、下手なサブ名をつけること無く「新しい伊右衛門」としたのだろう。

同じ様に「The New iPad」も、既に認知度が高く、タブレット型携帯情報機器端末としてのブランドが確立している。
そしてこれまでの「iPad」のイメージを作り上げてきたのは、ジョブズ氏本人だった。
違う言い方をすれば、ジョブズ氏本人の作品だとも言えるのではないだろうか?
だからこそ、その意思を引き継いだスタッフたちがジョブズ氏に対して敬意を表しつつ、ジョブズ氏の「iPadではない」という気持ちや心意気のようなモノが「The New・・・」とさせたのではないだろうか?

既に十分にブランドとして確立している商品に、新しい名前を付けるというのは、とても難しく勇気のいることだ。
だからこそ、製品に対して敬意を表しつつ、これまでと違うことを表す意味で「新しい」という言葉を使うのだと思う。
「新しく」と謳えるのも、元々の製品に自信があり、それを上回る気持ちがあるからだと思う。

高齢者がまちを活性化する

2012-03-16 20:39:24 | ビジネス
先日、友人に誘われ足助町の「中馬のひな祭り」を見に出かけてきた。
愛知県では紅葉で有名な、「香嵐渓(「こうらんけい」)」がある所。
江戸時代から昭和30年代前半までは、東海と信州を結ぶ山間の街道沿い宿場町として栄えた場所でもある。
その後、自動車の普及にあわせ高速道路など整備などにより、足助の町そのものは寂れた。
話はそれるが、「平成の大合併」で現在の足助町は豊田市足助町となっている。
足助の町が寂れるキッカケとなったモータリゼーションの象徴とも言える「トヨタ自動車」本社がある市に合併された、というのも時代を象徴するような気がする。

そんな足助町だが、随分前から地域の活性化に積極的に取り組んでいる。
取り組むといっても、多くの若者たちは職を求め都会に出て行ってしまっている。
残っているのは、高齢者がほとんどという状況だったと思われる。
そこで取り組んだのは、地元の農作物や畜産を活用した加工食品を作ることだった。
出来たのは、「足助ハムZIZI工房」「パン工房バーバラはうす」
ハムなどを作る「ZIZI工房」は、男性が中心で名前の由来はどうやら、小さな子どもがおじいさんを呼ぶ時の「じいじ」のようだし、パンを作る「バーバラはうす」の「バーバラ」は、「ばあば」に三河・遠州弁の「達」を示す「ら」を加えたところからきているようだ。
そして、香嵐渓などを訪れる人たちの評判を呼び、現在では高齢者中心ではなく、若者も多くいる職場となり、工房を訪れると高齢者と若者が仲良く仕事をしている、というほほえましい光景を見ることが出来る。
現在は企業化し「百年草」という、レストランや宿泊施設までを運営するまでに発展している。

しかし、足助の地域の活性化はこのような取り組みで終わっていない。
「中馬のひな祭り」で、街道沿いの古い蔵や店舗に飾ってあるお雛様を見て歩くと、意外にも若い人クリエーターたちが、そのような場所を借り受け(と思われる)自身の作品を売っていたり、都会でもなかなか見られないようなこだわりの書店があったりするのだ。
外見は古いのに、お店の中はモダンで落ち着きのある、居心地の良い場所となっている。
しかもお隣のお店は、古い荒物店だったりするのだから、そのギャップの面白さも足助の新しい魅力となっている。

考えてみれば、これから先の日本は「高齢者主体の社会」となっていくことは、目に見えている。
そしてその「高齢者」は、50年前の「高齢者」とは随分違う。
例えば、「サザエさん」のお父さん・波平さんは54歳という設定だが、今の54歳よりも随分年上のような印象がある。
それほど、今の「高齢者」は若々しく元気に様々な活動をしている、と言えるのではないだろうか?
とすれば、「高齢者」という古いイメージに閉じ込めるのではなく、むしろ地域の活性化の人材として活用すべきだろう。
高齢者といわれる人たちが、元気に自分たちの力でまちを活性化させることで、逆に若者が刺激を受け、他の地域からの若者さえもひきつける魅力ある「まちづくり」ができる可能性も多いのあるのでは?

そんなことを見せてくれた、足助町の散策だった。

「朝日VS讀賣」になりそうなプロ野球の契約金問題

2012-03-15 20:21:42 | スポーツ
今朝の朝日新聞の一面は、「巨人、6選手に契約金36億円 球界申し合わせ超過」という記事だった。
この一面を見たとき、「日本って、平和だな~」というのが率直な感想だった。
未だ震災からの復興への道筋が分からず、「東京電力福島第一原子力発電所事故」は収束どころか今の状況すら見えていない。
個人的には、メディアが「放射能汚染」を声高に伝えれば伝えるほど、一番注意をし、状況を把握しなくてはいけない「東京電力福島第一原子力発電所事故」を忘れさせているような気がしてならない。
というのも「放射能汚染」は、とても身近な問題で、多くの人にとって「東京電力福島第一原子力発電所」は、遠い場所の問題だと受け止めがちだからだ。

それだけではなく、日本の経済状況も好転の兆しが本当に見えてきているのか多いに疑問な点がある。
昨日は、シャープの社長交代が発表され、大幅な赤字を抱えていることも分かってきた。
戦後日本経済を支えてきた屋台骨である、製造業の多くが厳しい経営を迫られている。
そんな状況にある日本なのに、日本の全国紙の一面がプロ野球の契約金の話なのだ。
それも昨年の話ではない。
1997年~2004年の話。
今更、このようなコトが表沙汰になったところで、多くの人は「やっぱり巨人は、お金持ちチームなんだ・・・」程度にしか感じないのでは?
阪神球団社長さんも、「あくまでも目安」という内容の発言をされていることを考えると、おそらく「申し合わせはしたけど、球団の財政力があればいくらでもOK」という、暗黙の了解のようなモノがあり、関係者は巨人が申し合わせた契約金額よりも超過していたことは知っていたのではないだろうか?

当然のことながら、この記事ですぐに反応したのは讀賣新聞と当事者である巨人だ。
「巨人、契約金で朝日に反論」
こちらの記事を読む限り、朝日の記事は分が悪い気がする。
プロ野球球団と記事を掲載した朝日との間で、「契約金に関する認識の違い」というところだけが浮き彫りになっている感がある。
注目すべきは「一括だと『まずいことに』巨人、分割受け取りを勧める」という点だと思う。

いずれにしても、プロ野球人気(というか、巨人人気)が低迷する中で起きたこと。
社会にどれほどの影響があるとは思わないが、「朝日VS讀賣」という「新聞」という業界内喧嘩で終わりそうな気がする。

日本の全国メディアはいつまで経っても「スポーツ=プロ野球(あえて言うなら「巨人中心」)」という、古い体質だということがよく分かった記事でもある。

霞ヶ関周辺の発想の転換を進めるには?

2012-03-14 19:50:01 | 徒然
一昨年話題になった、サンデル教授の「ハーバード白熱教室」。
ご覧になられた方も多かったと思う。
番組を見ていて感じたことは、「決して正解を求めない」というコトだった。
サンデル教授の授業が「政治哲学」という分野だということもあるが、おそらく日本の大学で「政治哲学」の授業があったとすれば、あのような授業ではなくテキストを元に教授が黒板に書く内容を学生が静かに聞いてノートをとる、というものなのではないだろうか?
当然、試験問題もその授業でとったノートが中心になるだろう。
ある意味「正解のある問題」を回答する、という内容だ。
それが「良い悪い」といっているのではない。
ただ、そのような「正解のある問題」を解く力では、今の社会的問題は解決できない、というコトなのだ。

考えてみれば、日本にとって大きな転換期となった「明治維新」で活躍をしたのは、下級武士出身者が多かった。
今でも人気の高い坂本竜馬などは、その典型だろう。
それまでの社会枠から飛び出さんばかりの発想力と行動力を持った若い世代が、明治維新や近代日本を創るきっかけとなったのだ。
とすれば、入試問題を含め「正解の分かっている過去問に強い人材」よりも、一つの物事からいくつも発想ができる人材が必要、というコトになる。
特にそのような能力を必要とされるのが、キャリア官僚と呼ばれる人たちだろうし、キャリア官僚養成大学である東京大学が求めるべき学生なのではないだろうか?

東京大学の学生全てが、「過去問には強いが、発想力はイマイチ」という学生ばかりではないと思う。
ただそのような学生は、キャリア官僚を目指さないだけなのかも知れない。
もしかしたら、霞ヶ関という大きな組織の中に組み込まれることで、発想力はパワーダウンし前例主義が当然となっていくのかも知れない。
ならば民間企業から、ヘッドハンティングをするくらい必要なのでは?
組織という体の血の巡りをよくするためにも、フレッシュな人材が必要なのだと思う。
以前あった映画「県庁の星」のような人事交流が、キャリア官僚の発想の転換を促すのかも知れない。

「正解のある過去問」は、過去のコトであって今のコトではない。
過去にしがみついていても、何も変わらない。
まずそこから、発想を変える必要があるような気がする。

時代を映すCM

2012-03-13 20:42:28 | CMウォッチ
ポータルサイトYahooの右上には、様々な企業や政府関係のインターネット広告が置いてある。
その中には、ハァァ~とため息の出そうな遊興産業の広告もあれば、お堅い政府広告もある。
その中で今日、Yahooとのジョイント企画の広告を出している企業がある。
サントリーの「プレミアムモルツ」の広告だ。
「Yahoo!JananPR企画 サントリープレミアムモルツ」

チョッと気になって、クリックするとYahooのトップコンテンツが登場。
Yahooのトップと言うのは、おそらく日本で一番見られているネット画面ではないか?と思う。
その理由は、「トピックス」に掲載される様々なニュースピックアップが、便利だからだ。
例えば芸能関係に興味が無くても、話題になっているのであればチョッと知りたい、そんな時とても便利に使うことができる。
そんな親しみのある画面が、パラパラと時代をさかのぼり象徴的な写真が掲載されていく。
80年代ならバブルで熱狂した「ジュリアナ東京」の写真(でも、ジュリアナ東京は1990年初めの営業だったような記憶が・・・)。
70年代は「大阪万国博覧会」、60年代は「新幹線開業」50年代になると「家庭の三種の神器」。
50年代の象徴として登場する「家庭の三種の神器」の一つ、テレビが一般家庭に普及したのは、現在の天皇陛下のご成婚がキッカケだった(と言われている)。
当然だが、当時のテレビは白黒。70年代の「大阪万国博覧会」の写真が白黒なのも、カラーフィルムが一般に普及し始めたのが、万博以降だったからだ。

そんな時代の変化は、生活者の変化でもあった。
それを映し出しているのが、CMの途中に挟み込まれる、木下恵介監督の映画のワンシーンやニュース映像だ。
ただ、決して「懐かしさ」だけを伝えているテレビCMではない。
それを伝えているのが、最後の木村拓也さんと香取慎吾さんの台詞だ。

「ビールは楽しく飲みたい。だから美味しいビールでなくては」と言う趣旨の台詞は、サントリーが考える、ビールと言う飲み物の提案だろう。
またその台詞には、昨年の大震災で深く傷ついた多くの人へのメッセージのようにも思える。

考えてみると、サントリーだけではなく日清など関西の企業は、人の心を掴むCMを作るのが上手い。
なんとなくだが、関西人らしい「上から目線ではない」トコロにあるのかも知れない。


東京よりも元気?なトコロ

2012-03-12 19:54:21 | ビジネス
情報発信の中心が東京に偏りがちなのは、ある程度し方のないことなのかもしれない。
実際、企業の本社が一番たくさんあるのは、東京だろう。
メディアでも、キー局と呼ばれる放送局は東京の放送局。
新聞なども、基本的には同じだと思う。
もちろん、新聞各社には「大阪本社」とか「名古屋本社」と言う名前が付いてはいるが、その実大阪の一面と東京の一面が違う、というコトは余り無いのでは?と、思っている。
そのためか?なんとなく「東京スタンダード=日本スタンダード」と言うイメージを持っている海外の方は多いだろうし、私たち日本人ですら、なんとなくそんな気がしているのでは?

そんな視点で見ていると、つい見逃してしまうことがある。
例えば今日の産経新聞に掲載されている、「近畿のお菓子メーカーは元気」と言う記事。
「近畿のお菓子メーカーは元気 8割が黒字」
この記事を読むと、創業10年未満の企業の頑張りが目立つようだ。
確かにここ数年人気となっている、ロールケーキ「堂島ロール」を製造販売しているモンシュシュやバームクーヘンの「マダムブリュレ」のマダムシンコは大阪、同じくバームクーヘンで人気を博している「クラブハリエ」は、滋賀の和菓子店「たねや」が展開をしている。
もちろん神戸にも、美味しいと全国的に評判の高いお店は、いくつもあるはずだ。
洋菓子を中心にピックアップしているが、おそらく私の知らない美味しい和菓子店もあるはずだ。

そんな美味しい洋菓子にピッタリ合うのは、やはりコーヒーなのでは無いだろうか?
スターバックスよりも美味しいコーヒーといえば、マックのコーヒーというコトになるのかも知れないのだが、日本で唯一イタリアの「カフェカリアーリ」のコーヒー豆を扱っている会社が、島根県大田市にある。
面白いことに島根県には、世界バリスタコンテストで準優勝をした門脇洋之さんのお店「カフェロッソ」もある。
島根県民が特段珈琲好きだとは思えないのだが、不思議なことに、このような特徴的なお店や企業がある。

そして記事にもあるように、時代感というものを上手に取り入れると言う感性が、企業を伸ばしているようだ。
例えば、安来にある「カフェロッソ」さんの場合、今年に入りカフェ=飲食中心からコーヒー豆販売中心へと業態の切り替えをしている。
以前行った時は県外ナンバーの車が数多く駐車していて、お決まりの食前の写真撮りをするお客さんがいっぱいいらっしゃった。
どうやら、そんな状況に危機感を覚えたのか?儲かっていたであろうカフェを縮小し、ビーン販売中心としたのだろう。
一時的儲けではなく、自分らしさを維持するための業態切り替えだったようだ。
おそらく、近畿のお菓子メーカーさんの多くも、自分らしさを残しつつ時代の変化を取り込む力と、関西ならではの発信力があるのかもしれない。

地方にある個性的な企業が、日本を元気にしていくのかも知れない。

前に進もうとする人、前に進めない国

2012-03-11 20:42:12 | 徒然
東日本大震災から1年。
この間、日本と言う国はいろいろな意味で、「問われること」が多かったと思う。
その一つは、「東京電力福島第一原子力発電所事故」。
世界が「原子力発電のあり方」を考え、事故発生国である日本がどのような処理対応をし、原子力を含めた「エネルギー政策」を考え、実行していくのか?と言うこと。
残念ながら、その答えや方向性といったものがまったく見えてこない、と言うのが状況だろう。

もう一つは、未曾有の震災の中から日本はどのように復興するのか?というコトだろう。
ところが、国の復興プランがほとんど進んでいない。
進めるべき国会では、不毛な党利益を優先させるような国民不在の話ばかり。
フクシマ事故に関しては、自民党にもそれなりの責任があるはずなのに、知らん顔。
先日、谷垣さんは「自民党が復興に向けて動いているのに、理解されていない」と言う内容のコトを話していらっしゃったようだが、国民にとって国会議員さんたちが活動している姿を見るのは、国会での場。
その国会の場でとてもではないが、真剣な議論がされているようには見えないのだ。
その姿は、国民だけではなく、海外のメディアから見ても同じらしい。

一方、被災された方々は少しづつではあるが、様々な人たちの協力を受け生活再建へと動きだしているようだ。
企業支援も震災直後とは、異なる動きを見せ始めている。
資生堂などは、被災者向けの「フェイシャルマッサージ」をしたり、富士フィルムは「写真の洗浄」といった、本業に近い支援を始めている。
逆にサントリーのように、漁業支援をしている企業もあるが、サントリーの場合豊かな漁場を作るために必要な、森の再生と言う視点があるのでは?と考えている。
豊かな森=豊かな水資源と考えれば、それもまた企業の本来的事業に近い支援だと言えるだろう。
そして、支援をすることが意外にも新たな社員教育にもなっている、と言う話もある。
富士フィルムの「写真の洗浄」によって、「写真は記録だけではない。人にとって大切な思い出を保存するモノでもある」と言うことを携わった多くの社員が気づき、自分たちの企業が社会にできることは何か?と言うことを考えるようになった、と言う。

国は前に進むめずに、虚しい空論と党利党略ばかり。
正解のある過去問に強いキャリア官僚の多くは、前例の無い出来事の前でオタオタしている。
この1年で分かったことは、悲しみの中前に進もうとする人たちの力強さと、自分たちのコトしかない人の醜さだったのかも知れない。

自治体にあった、瓦礫処理

2012-03-09 17:24:23 | アラカルト
昨日のエントリに引き続き、災害瓦礫の処理について。
災害瓦礫の処理が進まない理由として挙げられるのが、「放射能汚染の心配」だと言われているが、どうやら自治体の心配と言うよりも、生活者の心配と言うことのようだ。
今週発売になった某週刊誌などを読むと、震災瓦礫受け入れを表明した静岡県島田市で、「放射能汚染が心配」と市役所に言ってきたのは、島田市に住んでいらっしゃる方よりも横浜など、まったく地域外の人たちのほうが多かった、とある。
むしろ自治体が受け入れに積極的ではない理由は、焼却炉などの処理設備が対応できない、と言うことらしい。

朝日新聞WEBがれき受け入れ116首長前向き 日本青年会議所調査

確かに、私の実家がある鳥取県などは過疎が進む地域。
そんなところに、瓦礫処理のために新しく焼却炉を作る、と言うのは得策とはいえない。
であれば、今大量に出ていると思われる焼却灰などを受け入れる、と言う方法もあるのではないだろうか?
何よりも、東北から山陰まで災害瓦礫を運ぶ手間と経費などを考えれば、瓦礫を受け入れるよりも焼却灰などを受け入れたほうが、現実的な気がする。
「全国均一に災害瓦礫を受け入れる」と言うのではなく、自治体の規模や経費などを勘案した受け入れと言うモノがあると思う。

大切なことは、「受け入れてください」と言うお願いだけではなく、「受け入れてもらえるアイディアを出すこと」なのでは?
同時にそれは、受け入れをする側にも「受け入れることができるアイディアを出す」ことだと思う。

もう一つ気になっていることがある。
それは、現在フル稼働中の焼却炉の熱を使った、二次的使用ができないのか?というコト。
「熱=エネルギー」だと考えれば、発電と言うことも考えられるだろうし、熱を利用した温室作物、場合によっては地域全体の冷暖房システムのようなことも考えられるだろうし、一番身近なところでは「温水プール」などの健康施設があるだろう。
そのような、焼却炉熱による二次的利用ができれば、過疎が進む=小規模焼却炉しかない自治体にとっても、メリットがあるような気がする。

瓦礫の山から・・・

2012-03-08 11:54:45 | アラカルト
先日、新聞の中2面を使った環境省の「災害廃棄物広域処理のお願い」広告が掲載されていた。
HPなどを見ると、その巨大な瓦礫の山から分別をし、処理を進めているようだ。
その過程で、放射能検知作業も行っている様子も伺える。
このような現地での作業の姿と言うのは、残念ながら社会的影響の強いメディアなどでは、ほとんど紹介されていないような気がする。

震災が起きた11日を前に、雑誌などで見るのは「震災直後の写真と今の写真」がほとんどで、確かに写真で見る限り瓦礫で埋め尽くされていた道は、瓦礫が撤去され、人や車が通り少しづつ元の生活を取り戻し始めている様な気さえしてくる。
考えてみれば、あれほどの瓦礫が一瞬でなくなるはずも無く、瓦礫は場所を変え置かれているだけに過ぎないのだ、というコトを「広域処理のお願い」HPは教えてくれる。

今日の東急ハンズの広告にあった、陸前高田市で作られている「瓦ReKEYHOLDER」を見ながら、フッと思ったことがある。
それは「瓦礫の再利用」と言うことだ。
アスベストを含む石綿などは、再利用することはできないと思うが、コンクリート瓦礫などは洗浄し、土木工事の基礎、鉄材などは再加工する、というコトはできないだろうか?
このような分野についての知識が無いため、本当にできるのかは分からない。
ただ、再利用し土木工事の基礎材料などとして売ることができれば、自治体が負担しなくてはいけない廃棄処理負担額が減るのであれば、その浮いた分を復興の予算に回せるはずだろうし、何より分別作業をしている人たちに対しても、より多くの賃金が支払われたり、雇用の機会が増えるかも知れない。
雇用の機会が増えることで、より瓦礫の処理が早くなれば、復興の基礎となるインフラの整備も早くできる、と言うことになる。
被災地での経済活動が進む、というコトは、日本全体から見ても大きな意味を持つのでは?

余りにも突飛な考えかも知れないが、先日掲載された「災害廃棄物広域処理のお願い」の広告を見ていると、全国の自治体の受け入れだけでは難しいような気がする。
何よりも「放射能ヒステリー」状態の生活者に、このような丁寧な区分け作業が行われている、と言う事実が知らされてない今、受け入れだけを強く訴えても、理解されないような気がしている。
とすれば、現地で安全が確認されたモノについては、形を変え再利用する、と言う方法も一案のように思うのだ。
もちろん、再利用されるコンクリート瓦礫などは、全国で利用できる物として販売することもできるのではないだろうか?

広告などに掲載されたあの瓦礫の巨大な山を見て、「(震災廃棄物)受け入れ賛成・反対」だけではない、違うアイディアが必要な気がしている。