日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

ライバルから、学ぶ

2013-12-15 20:15:40 | ビジネス

朝日新聞には「GLOBE」という、日曜版がある。
その「GLOBE」に、「Views」というページがあり、今回は「ニューヨークタイムズマガジンから」で、今日のみだしを見て「え?!何々」と興味を引いたのだった。

そのタイトルとは「ブロッコリーの逆襲」。
英語のタイトルは「Broccoli's Extreme Makeover 」。
「ブロッコリー」というのはあくまでも象徴的な存在として扱われているだけで、実は「野菜をもっと食べよう」という、米国でのキャンペーンのお話。

その背景にあるのは、成人病だけではなく様々な病気の要因となる「肥満」が、社会的問題になりつつある、と言うことがあるようだ。
「ダイエット大国」のイメージがある米国だが、実は「ダイエット」に励むことができる層というのは、経済的にゆとりがある層。
経済的に厳しい層になればなるほど、肥満の原因となるジャンクフードが主食となっている、と言うことは様々なレポートが報告している通りだと思う。
健康という面でも、野菜を食べてもらうということは、政策としても意味のあることなのだ。

そして、米国の「農産物マーケティング協会」(米国では、この様な農産物専門のマーケティング協会があるとは知らなかった)の依頼でキャンペーンをするコトになったのが、それまで加工食品やコカ・コーラなどを手がけてきた広告会社。
ジャンクフードのキャンペーンの手の内を、十二分に知っている会社に、キャンペーンを依頼したのだ。
その理由は、四六時中、テレビから流れるジャンクフードのCMには芸能人や漫画のキャラクターが登場し、「さあ、食べよう!」と、言っている。その膨大なCM量に対抗するために「健康のために、野菜(や果物)を食べよう」と言ったトコロで、勝ち目はない。
生活者が自然に「美味しそうだから野菜(や果物)を食べよう」、と言う気持ちを起こさせるには、その様な戦略に長けている=ジャンクフードなどのキャンペーンを手がけてきた広告会社に依頼するのが、ベストだと考えたようだ。

普通「ライバル企業から学ぶ」と言った時、同じ業種のライバル企業ということになると思う。
ただ同業から学ぶことができるのは、それほど多く無いのかも知れない。
ジャンクフードと野菜というと、一見ライバルではないように思えるが、「食」という視点で見れば、十分「ライバル」となるのだと思う。
そう考えると、実は「ライバル企業」というのは、同業他社ではなく以外な事業分野なのかも知れない。
「何を創っている」と考えるだけではなく、「生活者にとってどうなのか」という視点で考えて見ると、意外なところに様々なヒントがある、と言うことだと思う。


ケンタッキーとマック、同じ部位を使ったチキンメニューはどっちがおいしい?

2013-12-14 21:21:46 | ビジネス

ネットでは、既に話題になっているようだが、ケンタッキーフライドチキンが1ヶ月限定メニューとして「骨なしケンタッキー」という商品を出す。
朝日新聞:1ヶ月限定「骨なしケンタッキー」 定番チキンと同じ味

ケンタッキーフライドチキンの「オリジナル」と呼ばれる骨付きフライドチキンのほうが、美味しい!と思う方が多いと思う。
何故なら、肉や魚は「骨の周囲が美味しい」と言われているからだ。
実際、豚肉の「スペアリブ」や牛肉の「Tボーンステーキ」など、骨の近くの部位を使った料理は多く、美味しい。
それは、骨から旨味がタップリ肉にしみ出るからだと言われている。

今回ケンタッキーが使う「鶏むね肉」は、骨がなく、調理をすると「パサパサする」と言われやすい部位。この「鶏むね肉」をジューシーに調理する、と言うのはなかなか難しい反面、骨がない為調理がし易く、食べやすいと言うメリットがある。
カロリーの高い鶏皮も少なく、最近では「疲労回復」だとか「アンチエイジング」という点で、注目されている食材でもある。

その「鶏むね肉」を揚げたメニューが、実はマックでも販売をしている。
新しくなった「チキンフィレオ」だ。
この時のキャッチコピーが「サクサクかろやか」だったのは、鶏むね肉のあっさり感と食感を表したモノだったのだと思う。
ただ、残念ながら思う程のヒットとはなっていないようだ。

既に「鶏むね肉」のフライメニューを発売しているマクドナルドの苦戦から考えれば、ケンタッキーフライドチキンも厳しいのでは?と思えるのだが、ケンタッキーは案外ヒットするのでは?と思っている。「食べやすさ」という点が一番の理由だが、もう一つの理由は「単体である」という点だ。
マクドナルドの様な「ハンバーガーで食べる」場合と、ケンタッキーの様に「単体で食べる」というのでは、食べ方が違う。
食べ方の幅という点では、ケンタッキーのほうがある。何より、「オリジナル」と同じ味付けというのは、ケンタッキーの自信のようなものを感じる。

ケンタッキーの「骨なしケンタッキー」、マックの二の舞にならずにヒットするだろうか?


ネット利用が、ネットに振り回されている?

2013-12-12 20:41:38 | アラカルト

今日出かけた時、前を歩いている男性が、通りすがりの人と接触をした。
後ろにいる私が、気づくくらいなのでそれなりの感触はあったと思うのだが、前を歩いている男性は、気づきもしような様子で前屈みになって歩いている。
後ろ姿から察すると、スマホに夢中なようだ。

実は、ここ2週間ほどでスマホ歩きの人と接触するコトが何度かあった。
内1回は、後ろから自転車に乗った若い男性との接触だった。
幸いカバンに接触し、怪我をするコトは無かったのだが、スマホ自転車の若い男性は、自分が歩行者である私に接触したコトも気づかない様子で、走り去っていった。
もしかしたら、接触をした時に「チェッ」という舌打ちはしたかも知れないが・・・。

今では、地下鉄や電車に乗ってもスマホを手に何かをしている人ばかりを観る。
スマホが登場する前、盛んに言われていたのが「日本は成人男性が少年漫画を電車内で堂々と読んでいる」ということだった。
それが良い・悪いではなく、外国の人から観ると「何故、電車内で漫画を読むのか?理解できない」という、不思議な印象を与えていると言うことだった。
その後、携帯電話からネット接続でゲームができる様になると、その光景は「電車で、携帯電話でゲームをする光景」へと代わり、今では「スマホを手放せない日本人」ということになっている様な気がする。

しかし、四六時中ネットを通じてスマホなどから何か情報やゲームを、しなくてはならないのだろうか?
急速に利用者を増やしている「LINE」だが、その利便性とは別に「LINEいじめ」という言葉も聞かれる様になってきた。
「LINEいじめ」の特徴的なコトは、グループ内で連絡が遅れたりすると、グループのメンバーから、「スルー」されるコトから始まり、それが「LINE」という中だけではなく、実生活でも「無視」等から始まる「いじめ」へと発展すると言う。

昭和世代であれば、「連絡が遅い=何かトラブルに巻き込まれた?体調が悪い?」と、相手を心配したものだが、今は「自分が最優先」ということなのか?自分のペースに合わせるのが当然、と言う感覚を持っていると言うことなのだろうか?その感覚には、驚かされる。

もう一つ気になるのは、上述したとおり「人とぶつかっても、気づかない」ということだ。
「ぶつかったこと」そのものは、認識をしているとは思うのだが、意識の優先順位として「ネット(または「スマホ」)」のほうが高く、興味・関心度も周囲の人やものではない、と言うことが問題という気がするのだ。
この様な姿を見ると「ネットという便利さを利用しているのでは無く、ネットに利用されている」という気がしてくるのだ。
ネットは利用するモノであって、利用されるモノではない。

先日「集団の中で人の行動は変化する」というエントリをした。
そう考えると、今は「ネットという世界によって人の行動が変化し、実際の人やものへの関心が無くなるコトが不自然では無くなりつつある」ということなのかも知れない。
ネット上だけではないが、「情報」そのものは玉石混交。
「デマ」に踊らされ社会が思わぬ方向へと動く、と言うことは、歴史を見ればよく分かる。
それを見分ける力は、現実ということを知り、時には経験をするコトで身につくのでは無いだろうか?


集団の中で人の行動は変化する?

2013-12-10 20:28:24 | マーケティング

先日FMを聞いていたら、面白い調査をしていた。
テーマは「草食系男子について」。
ご存じの通り、最近の若い男性の中には「草食系」と呼ばれるタイプの男性がいる。
その「どうして草食系になったのか?」ということを大学生達に考え、答えてもらうというアンケート調査だった。

結果だが「元々草食系思考」という回答が多いのは当然の様な気がするが、一人だけ以下の様な回答をしていた女子学生がいた。
彼女の回答とは・・・。
「周囲の男子学生を見ていると、大学に入学した頃は草食系だったのに、肉食系男子が多いサークルに入った草食系男子は、いつのまにか肉食系になっている様な気がする。そう考えると、草食系であっても周囲の環境で変化するのでは?」
と言う内容だった。

この回答を聞いたとき、よく観察をしているな~と感心しただけではなく、なかなか鋭い所を点いている、と思ったのだ。
実際、番組内ではこの調査を担当した大学の先生が「草食系男子、と呼ばれる男性は昔からある一定数で存在していた。ところが社会的規範のようなもの(例えば、「一人前の男とは・・・」と言う様なもの)や世間の目というものが「草食系男子」でいるコトを、許さない(?)時代のほうが長かった。
また、バブル崩壊後盛んに言われる様になった「自己責任」という言葉により、何かに付け「責任を回避する行動」を若者が取るようになった、その延長線の一つに「草食系男子」が登場したのではないだろうか?と考察されていた。

そしてこの女子学生の「肉食系男子の中にいた、草食系男子の肉食系化?!」というのも、確かだろう」と言うお話だった。
それは「サークルという一つの集団の中で、行動を共にするコトによって多数派である肉食系に草食系が影響され、行動に反映される、という現象そのものは数多く見られる」と言う説明だった。
元々「草食系でもなければ肉食系でもなかった」男子が、様々な条件や環境によって草食系にも肉食系にでも変わる、と言うことがある、と言うお話だった。

考えてみれば、私達の生活の中ではこの様な「集団の影響によって行動や思考が変わる」ということはよく起きる。
新入社員時代、職場へなれるにつれその会社の社員らしくなっていく、と言うことは当たり前のように思えるが、実は「会社という集団に影響され、個人の行動や思考に影響を及ぼしている」と言うことだろう。

ビジネスの場面で言うなら、少数派の意見を述べていてもいつの間にか多数派よりの考えを自然に受け入れる様になってしまう、と言うことかも知れない。
それだけではなく「流行(最近では「トレンド」と呼ばれることが多いが)」も、雑誌等のメディアで盛んに取り上げられることで、実際流行している云々ではなく「流行っている」という錯覚を起こして、一つのブームが作られる、と言うこともある。
それが良い・悪いではなく、自分の興味・感心が高いグループ内では、意識をしなくても同じようなファッションや生活思考が生まれる、と言うのはその様な心理的な影響がある、と言うことだ。

その様な視点で「今」を観てみると、これまでとは違ったモノが感じられると思う。






「お弁当」と日本人-もう一つのCoolJapan-

2013-12-09 14:18:31 | トレンド

今年は、夏と冬の間が無かった様な気がする。
その為か?小売の現場では秋物という商品をほとんど見るコトなく、冬物が並ぶ様になったように感じる。
そんな売り場を歩いて見ると、一つ気になった商品があった。
それは「スープジャー(または「スープポット」)」と呼ばれる商品だ。

2,3年前だったと思うが、「弁当男子」という言葉が流行った。
お弁当を持参する男性のことではなく、自分でお弁当を作る男性のコトだ。
この「弁当男子」の登場は、社会人男性のライフスタイル(と言う程大袈裟ではないが)の変化のように言われた。
何故なら、男性が積極的に料理をしなければ、お弁当を作るコトができないからだ。
その意味で「弁当男子」の登場は、男性の家事労働への参加意識のハードルが下がったのでは?と言うことも言われたように思う。

その頃から、お弁当箱売り場を見ていると、随分「男性向けお弁当箱」がバラエティになったように感じる。
それまで「男性向けのお弁当箱」と言うと、大きさ重視でお弁当箱そのもののデザインや素材は二の次三の次・・・と言う感じだった。
それが、塗りのお弁当箱やビジネスカバンにもスッキリ収まる「スリムタイプ」などが登場する様になった。

そんなお弁当箱だが、やはり寒くなると登場するのが「保温型お弁当箱」。
この「保温型お弁当箱」、女性向け商品よりも男性向け商品として登場したのが始まりだったと思う。
何故なら、容量と言うよりもその外装がとても大きく、とても女性のカバンに入る様な仕様ではなかったからだ。それが、最近では随分オシャレになり、女性が持ってもおかしくないデザインになってきている。
そんなお弁当箱売り場の一角に「スープジャー」と呼ばれる、スープ専用の保温容器が置かれているのだ。

その売り場を見ていて、世界中でこれほどバラエティーに富んだ「お弁当箱売り場」は、日本くらいだろうな~、と思ったのだ。
海外でも「ランチボックス」と呼ばれる、お弁当箱はあるし、様々なスープジャーの中で一番保温力が高いのは、日本製ではなく海外の製品だと言われている。
海外での「ランチ」と言えば、おそらくサンドウィッチ+コーヒーと言う感じだと思う。
日本の様に、ご飯+主菜+副菜という、自宅で食べる食事をコンパクトにした様な内容の食事を持って歩く、と言う食文化は珍しいのでは?それに加え、お味噌汁まで持ち歩くために、スープジャーなのだ。
海外の「スープジャー」は、どちらかと言えばアウトドア向けの商品で、決して日々のお弁当向けに作られている訳ではない。事実、サイズも日本の場合200㎖~350㎖程度なのに対して、海外の製品は500㎖と、大きい。3~4人分のスープを持ち歩くことを想定して作られているのだ。

そう考えると、「お弁当」という文化は日本独特のもので、その文化があったからこそ「保温型お弁当箱」とか「一人用スープジャー」が誕生したのだと思う。
それだけではなく、もしかしたらこの「一人用スープジャー」、海外でも人気になるのでは?と言う気がしたのだ。
それは、「スープジャーで作る簡単レシピ本」などに紹介されているメニューを見ると、実に多彩で、食事制限やダイエットをしている人にとっても、とても便利だからだ。

日本の進化し続ける「お弁当文化」は、マンガなどとは違う「CoolJapan」なのでは?
そんなことを考えた、お弁当売り場だった。


中小企業が、ブランド創りに目覚めた?!

2013-12-08 20:37:24 | ビジネス

ここ数日、新聞を読んでいてある企業の名前を見るコトが何度かあった。
新聞の記事の内容は、「中小企業だからこそ、ブランド力が必要」と言うモノ。
登場する企業は、奈良にある「中川政七商店」。
HP:中川政七商店

現在の社長である中川淳さんが、「中小企業だからこそ、ブランド力が必要」と考え、全国の衰退(と言っては失礼だが)しそうな業種の中でも何とか活路を見いだそうとしている事業者に訴えている、と言うのが記事の趣旨。

数年前、奈良へ友人と旅行に行ったとき(目的は「采女祭り」)市内を散策している時に、中川政七商店を見かけた。
その店構えからは、とても「蚊帳」の製造・販売のお店とは思えず、きれいに並んだ「蚊帳」の生地で作られた「ふきん(「かやふきん」と一般的には呼ばれている)」も、それまでの「ふきん」というイメージではなく、何となく可愛らしいキッチン用品、と言う感じだった。
その当時は、名古屋の百貨店などでは見かけることが無かったのだが、ここ2,3年で随分見かけるようになり、私のほうがビックリしていた。

その中川淳さんが、「日本の工芸品を元気にしたい」という思いで始められたのが、「日本市」というコンセプトブランドのようだ。
考えてみれば、日本の工芸品というのは実に多彩で、とても細やかなモノが多い。
米国のオバマ大統領の奥様、ミッシェル夫人がオバマ大統領就任後のパレードで着ていたニットのカーデガンは、日本の糸で作られたモノだったと思う。
製品としては知る人ぞ知る力があっても、それを商品として生活者に届けることが苦手なのが、日本の中小企業なのかも知れない。
その様な思いから、中川淳さんが「日本市」というコンセプトブランドを立ち上げられたようだ。

考えてみれば、日本でブランド力があるとされている分野は、いわゆる「工業製品」が中心。
しかも、今では「大企業」となった企業ばかりだ。
日本の産業構造が、価格競争に晒されやすい工業分野から他の分野へと変わろうとしていることを考えると、日本の中小企業はこれまでの「物づくり」では無い「ものづくり」へと変わる必要がある。
それが中川さんの言われる「中小企業こそ、ブランド力が必要」といことなのだと思う。


「時代」が呼び合うのか?特別秘密保護法案と零戦

2013-12-06 20:27:35 | 徒然

マーケティングと言う仕事をしていると、滅多にある訳ではないのだが「時代が創り出した」と感じるモノがある。
今年、奇しくも2つの映画が「零戦」を取り上げた作品が公開がある。
ご存じの通り、一つは宮崎駿監督の「風立ちぬ」。
もう一つは百田尚樹さん原作の「永遠の0」だ。

宮崎監督の「風立ちぬ」は、「零戦」を設計した堀越二郎さんをモチーフに描いた作品。
百田尚樹さんの「永遠の0」は、「零戦」で出撃をしていく若者達を描いた作品だ。
「零戦」という、たぐいまれな戦闘機を描くことで「戦争があった時代」を言うことを伝えようとしている様に感じるのは、私だけでは無いと思う。

この「零戦」が作られた時代というのは、「第二次世界大戦」で日本の負けが濃厚となっていた時代。
それでも国から出てくる言葉は、「国威発揚」のようなことばかり。
一部の人達は「負けることがわかっているのに、国はウソばかりを言っている」と、感じていたがそのことを言うコトができない、と言う息苦しい時代でもあった。
もし、その様なことを言えば「特別高等警察(別名:特高)」が、「治安維持法」の下、様々な言論を取り締まり、自分の命だけではなく家族にまで及ぶ、暗い時代だとも言える。

そう考えると、この二つの作品は「反戦的」要素が多分に含まれているのでは?と、思っている。
その様な作品が同じ年に公開され、話題を呼ぶだけではなく、「治安維持法」ほどでは無いのかも知れないが、その様な要素を多分に含んだ「特別秘密保護法案」が可決されると言うのも、奇遇という気がする。

この様な連続的な偶然に「時代が呼んだ」というか、「その時代が創らせた」ような感覚を受ける。
もちろん、当時とは全く違う状況にあるのは事実だろう。
いくら政府が都合の悪いことを隠そうとしても、どこかから情報が漏れ拡散し易いのが今のネット社会だからだ。
自由にネットの世界を飛び回る若者達にとって、この「特別秘密保護法」の成立の意味を理解するまでには、時間が掛かるかも知れない。そしてその意味が判ったとき「手遅れ」だとならないことを願うばかりだ。


「特定秘密保護法」は、自民党にとっても党の存続を左右する問題?!

2013-12-05 06:43:42 | 徒然

昨日の朝刊から「特定秘密保護法案、参議院でも強行採決」という見出しが目立つ。
「50時間弱の国会審議を経ているので、十分審議・検討をされた」とは、自民党の言い分のようだが、50時間弱も審議をしていたような印象を持っていない方は多いのでは無いだろうか。
私自身、そんなに審議をしていました?!と言う印象しかない。
と言うのも、安倍さんが総理として海外に行く話題ばかりが多く、国会審議の内容など余り報道されてきたような気がしないからだ。
その意味では、マスメディアが「報道の自由」を御旗に反対!!と言うのは、どうなのだろう?

そんな自民党の言い分はともかく、様々な人達がこの法案に反対を表明している。
その拡がりは、マスメディアや報道に携わる人達だけではなく、映画や写真家、日本在住の外国の経済評論家、もちろん一般市民。
それぞれの立場で反対表明をしていて、その反対内容を読むととても興味深い。
例えば、外国人の経済評論家は「今でも日本経済の情報が他の国に比べ公開されていると思っていない投資家がいるのに、これ以上情報公開がされなくなるのでは?と既に、日本への投資を止めはじめている投資家もいる」という言葉は、この法案が日本経済に大きな影響を与える、と言う懸念を指摘していると思う。
「経済回復」を掲げ選挙をしてきた安倍政権、自民党はこの言葉をどう受け止めているのだろう?

科学者の反対理由も興味深い。
「科学の進歩は、様々な情報が多くの研究者が知ることで研究が進み、進むだけではなく多様性の中から、革新的な発見がある。それが科学の進歩になっている」というのは、ノーベル物理学賞受賞者・益川敏英さんだ。
こちらも、安倍さんが日本の成長・発展分野として力を入れたい!と言っている分野からの言葉だ。

そう考えると、この「特定秘密保護法案」は、多くの国民の反対を押し切ることで自民党そのものへの不信を呼ぶだけではなく、安倍政権の成長・発展分野にも影響を及ぼすと警告されていることが判る。
それらのことを熟考したうえで強行採決をする、と言うのは自民党自身にとっても党の存続を左右するほどの問題なのでは無いだろうか?


テレビもなく、PCでオンデマンドを見なくても、受信料を払うの?

2013-12-03 20:38:58 | 徒然

既に、話題となっているようだが、NHKが全世帯から受信料を徴収することを国会に提出をしているらしい。
毎日新聞:NHK受信料を全世帯義務化 ネットと同時放送で見解

拙ブログで何度か書いてきたが、実は我が家にはテレビがない。
正しくは「壊れて受信できないテレビがある」という状態になっている。
早く捨てれば良いだけの話なのだが、買い換えをした時にリサイクルしよう・・・と思いながら、結局テレビが無い生活に慣れてしまい、そのままの状態になっている。
当然のコトだが、NHKを見るコトはできない。

そんな我が家でも、受信料を支払わなくてはならなくなるらしい。
地デジ化された直後、一時的にテレビそのものを視聴する人が減った、と言われた。
地デジ化をきっかけに、テレビそのものを見なくなっただけで、潜在的に「テレビを見なくても生活に不自由は無いのでは?」と、感じていた人が多かったのではないだろうか?
実際、私もテレビを見なくても生活には支障が無い。
ニュースもネット上で知るコトができるし、ニュース番組よりも早く情報を知ることができる。

しかし、NHKの偉い人達の頭の中は「テレビが生活の中心にある」と、思っていらっしゃる様だ。
仕事をされている方なら、今年大ヒットした「あまちゃん」をNHK総合でリアルタイムで見られた方がどれほどいらっしゃるのだろう?
おそらく、BSか録画、お昼の再放送で見られたのではないだろうか?
生活の中心にテレビ視聴があるのではなく、生活の一部にテレビの視聴があり、その視聴スタイルも様々である、と言う意識が欠けているような気がする。

また、「オンデマンド視聴」ということも「義務化受信料」として考えているようだが、現在「オンデマンド視聴」をしようとすれば、視聴料を支払わなくてはならない。言い換えるなら、「オンデマンド視聴」は、既に徴収をしているのだ。
その点にはほとんど触れずに、インターネット放送の環境整備のため、全世帯徴収を義務化、と言うのは随分横暴という気がする。

先日、NHKの受信料支払いに関しての判決が出たが、その判決内容を読んでも「随分、前近代的な判決だな~」という気がした。
それに気をよくしたNHKが「国民のみなさまの放送のため」という大義で、受信料義務化を考えているとしたら、「自由に選んでテレビ番組を視聴することは、国民にはないの?」と、言いたい。


人のエゴ?が創り出した悲劇かも知れない

2013-12-02 20:17:22 | アラカルト

Yahoo!のトピックスに「世界で最も醜い犬、死ぬ」という、ロイターの記事が取り上げられていた。
Yahoo!ロイター電: 「世界で最も醜い犬」が急死、違いを認める尊さをを教える

確かに、ロイター電の記事掲載写真を見ると、お世辞でも可愛い!とは言い難い。
ただ、この犬の写真を見て感じたことは、「何故この様なブリーディングをしたのだろう?」という疑問だった。
この犬は、チワワとチャイニーズ・グレステッドを掛け合わせたようだが、無理なブリーディングによって、悲劇的な子犬や子猫が生まれる、と言うコトを聞いたことがある。

私が子どもの頃、ペットと言うよりも「番犬」的な要素で犬を飼う家庭が多かった。
それがいつの頃からか、「血統書付き」が一般的になり、犬や猫の品種が急激に増えたような気がする。
と同時に、ペットにも「流行」が現れるようになってきた。
バブルの頃は、シベリアンハスキーやピレネーなどの大型犬だった。
バブルが崩壊し、某消費者金融のテレビCMに起用されたコトで人気になったのは「チワワ」だった。
その頃から、マンションでも飼育できる小型犬が主流になった様な気がする。
猫なども以前は「アメリカンショートヘア」が人気だと聞いたことがあったのだが、最近は、足の短い「マンチカン」というタイプの猫が人気らしい。

最近の統計では、犬や猫などのペットの数が新生児よりを上回っている。
それだけペットを飼われる方が多く、マンションなどの集合住宅でもその様な住居環境が整いつつあるのだろう。
ただそれとは別に、「血統書」や「他の人が飼っていない珍しい品種」を求める結果として、悲劇的なペットを作りだしている可能性も考える必要があると思う。

死んだ「世界で最も醜い犬」が同種の交配で生まれていれば、このような容姿ではなかったと思う。
珍しさを求め無理な交配の結果として生まれたのであれば、それは人のエゴによって生まれた犬ということになるのでは?
特に「チャイニーズ・グレステッド」と他品種との交配は、「世界で最も醜い犬」を生み出す可能性の高いようで、過去のチャンピオン犬もこの品種系が多いようだ。

可愛らしく、家族の一員として一緒に生活を共にするペットだからこそ、人のエゴで無理な交配をさせることは、問題なのでは?
そんなことを考えたロイター電の記事だ。