日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

女性は、男性の約70%・・・この数字の意味は?

2017-10-13 21:17:05 | アラカルト

Huffpostに、ある数字が表示されていた。
Huffpost:LUXのキャンペーンが突き付けた数字「女性の平均給与は、男性の・・・」

その数字とは73%。
数字の意味するところがすぐにわかる方は、どのくらいいらっしゃるのだろう?
男性の平均給与と、女性の平均給与の差を表した数字だ。
男性の平均給与の73%が、女性の平均給与という意味だ。
もちろん、この数字を見て「女性は、勤務年数も短いし、正規雇用よりも非正規雇用が多いから、このような数字になる」と思われる方も多いと思う。
確かに、一理あると思っている。
ただこの男性に対して、女性の給与が70%というのは、このような条件で設定されたいるわけではない、と考えている。

随分前、ある公開講座で「公害被害者の補償」という話を聞いたコトがある。
「公害被害者」の主な対象となったのは、日本の三大公害病といわれている「水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそく」の認定された患者さんたちだ。
その中でも特に水俣病は、日本で初めて認定された公害病であり、その被害の状況、加害企業や国策としての産業振興による要因ということもあり、今でも国が関与した健康や生活の問題が起きた時の試算の基準となっている、というお話だった。
そのお話しの中で、印象深かったのが、男性と女性とでは同じ症状でありながら、補償金額などで大きな差があった、という内容だった。
それが男性の約70%が女性の補償額と算定されている、ということだったのだ。
その差が一番大きかったのが、いわゆる「働き盛り」と言われる30代~40代で、この世代での男女差は、50%近かった記憶がある。

何故、このような差があるのか?というと、「社会的生産性」が女性は低いという考えが基になっているという。
「社会的生産性」の中には、育児や家事労働などは当然含まれないし、農水産業での女性の仕事=生産性能力はサポート的役割である、という考えから「女性の社会的生産性は、男性に比べると著しく低い」ということになっている、という。
その考えが基になって、今でも女性と男性の給与差があるのでは?という、気がしたのだ。

では本当に「社会的生産性」という視点で考える、男女差はあるのか?ということになると思う。
長い間仕事をしてきて感じることは、「個人差はあっても、明らかな男女差は無い」ということだ。
男性でも、その仕事に向き不向きがあり、それは女性であっても同じだ。
「男性だから仕事ができる・女性だから仕事ができない」というわけではないのだ。
もちろん、女性の場合管理職といわれるポジションについている人が少ない為、メンターとなる人材がいない、という点はある。

また、出産・育児・介護などで一時期職を離れることが、女性のハンディのように言われる傾向があるが、今の社会のような多様化価値観が当たり前になってきている状況であれば、これまでの男性が経験してきたことが無い経験をしている女性の経験は、企業にとってプラスになることはあってもマイナスになることはない。
何故なら、社会を構成している人たちの生活志向・思考・嗜好が複雑化しているからだ。

今国を挙げて「働き方改革」を進めようとしている。
しかしその内容を見てみると、どこかチグハグ感がある。
「残業を減らし、家族との時間を設け、健康的な生活を送る」というのは素敵なことだが、相変わらずの高度成長期から続く男性型思考の働き方が「仕事をしている」ことになっているような気がしてならない。

高度成長期というのは、上述した「公害病」がクローズアップされた時代でもある。
「公害病」が社会問題になったコトで、日本の多くの企業は「公害対策」に積極的になり、排気ガス規制などの法整備もあり、大きく変わっていった。
高度成長期に誕生したといわれる「専業主婦」は、今では珍しい存在になりつつある。
にもかかわらず、働き方に基本的な考えは今でも高度成長期のままなのではないだろうか?
それが、LUXの73%という数字なのだ。


地方には地方のマーケティング

2017-10-12 19:35:59 | ビジネス

毎朝聞くFM番組で、興味深い内容があった。
リポビタンD TRENDEYES:最も魅力的な都道府県は?

毎年、話題となる「魅力的な都道府県ランキング」。
実は、この企業が提供しているデータの一部分だったようだ。
実際には、70項目以上のデータがあり、それらを総合した「魅力的な都道府県ランキング」を発表しているのではなく、「魅力的な都道府県」という項目だという。
地域ブランド調査2017

番組内で、「地方はマーケティングをやり過ぎない」という趣旨の話をされているのだが、個人的には「マーケティングにやり過ぎ、やらなさ過ぎ」ということは無いと思っている。
何故なら、対象となる事象に対して、合わせて行うのがマーケティングだからだ。
とはいうものの、様々な市場調査の基準となるのはいわゆる都市部、特に東京だったように実感している。
そのため、大都市部以外の社会状況や社会環境に合わせたデータづくりを、躍起にしてきたのではないだろうか?
結果として、どこかチグハグで地方からすれば「それは、大都市(特に東京)の話でしょ」という、ことになっていたのではないだろうか?
それが「大都市ならね・・・(そんなことはできるけど、田舎じゃ無理)」という、諦めからスタートする「地方活性化」になっていたように思うのだ。
あるいは、戦後の「全国ミニ東京化を目指す」ことになり、それが地方を疲弊させ、衰退させることになったように考えている。

これは、実家(鳥取県米子市)に帰省する度に感じることなのだが、地方の行政の多くは「大都市部に向いている」という気がしている。
「大都市部に向いている」とは、「大都市へ商品を出す」ことで、地域の活性化を考えている、という意味だ。
大都市に商品を出すことで、商品だけではなく地方の認知度も上がり、地域が活性化するという考えだ。
だからこそ、「高速道路や空港を造り、人・モノ・カネの流れを創ろう!」ということになるのだが、この発想は、戦後の高度成長期の発想ではないだろうか?

高度成長期の頃は、朝ドラ「ひよっこ」のように、地方から大都市部、特に東京へと「人・モノ・カネ」が動き、それがある程度、地方へ循環することがあった。
地方へ循環させる為のツールとしての、高速道路や空港だったのだ。
それが半世紀近い時間を経て、地方には「人もモノもカネも動かすことができない」という状況になりつつある。
何故なら、循環していたと思っていた「人・モノ・カネ」は、大都市部の中でも最たる東京に集中するだけになってしまったからだ。

今大切なことは、番組内のインタビューにもあるように「人・カネ」を如何に、地方へ向けさせるのか?ということなのだ。
そのために必要なことは、地域にある「モノ」を活用して、大都市部から「人・カネ」を呼び寄せるしか方法はない。
そのためのマーケティングが、必要なのだ。

「モノ」を紹介するためのツールも、今は高速道路や空港を利用する必要はない。
インターネットの登場により、様々な方法で紹介することができ、集客の為の告知ができるからだ。
その為の大がかりなテレビCMは、必要が無い。
大切なことは、情報を発信し続けること。
何よりも、地域そのものの「手入れ」をすることだと感じている。
高齢者が多くなり、「手入れができない」のであれば、「手入れ」をイベント化し都市部から人を呼ぶ、という方法もある。
「棚田」のオーナー制度などは、まさにこの「手入れをするために都市部から人を呼ぶ」という、方法なのではないだろうか?

そのような、「地域に合わせたマーケティング」は、やはり必要だと思うのだ。






大学は、書をもって外へ出よう!

2017-10-10 19:46:07 | 徒然

昨日某大学で開かれた、サイエンスセミナーの公開講座に出かけた。
毎年、10月くらいからほぼ毎日のように、名古屋市内のあちらこちらで「サイエンスセミナー」が、開かれる。
あいちサイエンスフェスティバル公式

規模も、大学の大きなホールを使う講座から、仕事終わりの時間に合わせ、30人余りがカフェに集まるようなトークイベントまで、様々だ。
内容も、幼稚園~小学生向きの植物や小動物の観察、プラネタリウムを作ってみるという内容から、研究者の研究成果を発表するような内容まで、実に様々で、中には「サイエンス」とは関係が無いのでは?と、思われる講座を含め100近くある。
元々「筋金入りの文系」の私にとっては、「異文化」のような世界の話を聞きに行くことになる。

昨日の公開講座は、「触媒」というテーマだった。
興味もあまりなく、出かけたのだが、講座が始まり驚いた。
講演者である工学部の教授が、いきなり「破壊的イノベーション」の話をしたからだ。
ビジネスパーソンであれば、幾度となく聞いたコトがあるはずの「破壊的イノベーション」という言葉。
「これまでの既成概念を打ち壊す、社会的影響力のある変革」という意味だが、このようなビジネスで使われる言葉が、大学の研究者が意識している、ということに、とても驚いたのだった。
そして研究者も「破壊的イノベーションを起こすこと」が重要である、という趣旨の話をされたのだった。

それだけではなく、日本人ならではの感性や和を重んじる精神を持っているのは、日本人独特のもの。
だからこそ、日本人らしさを持ったオリジナルな破壊的イノベーションを目指す必要がある、と力強くお話しをされたのだった。
この日本人らしさを持った、オリジナルな破壊的イノベーションの成功例が、中山伸弥教授の「iPS細胞」である、というお話もされていた。
もっとも、その後の本筋である「触媒」の話は、化学式の連続で言葉の意味は理解できても、内容の理解には至らなかった(苦笑)。

考えてみると、このようなお話しが気軽に聞きに行けるのも、おそらく名古屋だからだろう(このサイエンスセミナーは、蒲郡や豊橋でも開催されている)。
東京であれば、このような普段聞くことができないような、学術的な話を聞く機会はもっと多いのではないだろうか?
逆に地方であれば、このような話を聞く機会そのものが、ほとんどないのでは?
上述したように、この「サイエンスセミナー」は、幼稚園~小学生までを対象としたセミナーも数多く用意されている。
もし子供の頃から、このようなセミナーを通じて科学の面白さを知ることができたら、その子供たちの将来に与える影響は大きいと思う。
と同時に、このような地域的な学術セミナーの有無というのは、ある意味「教育機会の格差」ということになっているのではないか?という、気がしたのだ。

都市部にある大学は、積極的に地方に出かけて様々な「公開講座」を開いてほしい、と思ったのだ。
子どもの頃から、知的好奇心を刺激するような環境の地域格差は、将来の子どもたちにとってデメリットはあってもメリットはないのでは?
そしてそのような子供たちを支援できるようなシステム(例えば、給付型奨学金など)を考えるのも、政治家の仕事の一つのような気がするのだ。

もちろん、その前に解決しなくてはならない「貧困家庭への支援」を忘れてはいけないのだが・・・。






学力よりも教養?!

2017-10-09 11:42:31 | アラカルト

日経新聞のWEBサイトを見ていたら、「こんな仕事の人が、こんなテーマのエッセイ?!」という、記事があった。
日経新聞:紫式部は、なぜ源氏物語を書いたのか?
この記事を書いたのは、大阪ガスのエネルギー文化研究所の所長さん。
確かに「文化」という言葉はあるが、あくまでも「エネルギー」に対しての文化という意味だと考えるとやはり意外な印象があるが、文を読むと「なるほど!」と、思うことばかり。

タイトルとなっている「源氏物語」そのものがとても長い話で、高校の古典の授業でも、その一部(私の時は、「桐壺」か「若紫」、「明石」だったという記憶がある)しか学ばない。
「末摘花」のような、地味?で話の筋からやや外れるような話は、受験でも使われることはまずない為、授業で取り上げられることはない。
まして、「なぜ、源氏物語を書いたのか?」ということなど、学んだ記憶も薄ければ、気にしたことも無い。

イタリアの靴職人が、ダンテの「神曲」を話し、フランスのデザイナーがバルザックを熱く語るのかどうかは知らない。
ただ、本業と関係の無いことであってもイタリア人の教養としてダンテの話をし、フランス人の当たり前として、バルザックを語る、ということなのだろう。
自分の国が輩出した、文化人のことをどれだけ知っているのか?という、学力ではない教養という部分で、どれだけ「知の蓄積」がされているのか?という、ことなのだと思う。

マーケティングという仕事は、まさにこのような「知の蓄積」が必要とされる仕事だと、実感をしている。
なぜなら、一つのデータから様々な物事を結び付け、考えるのが仕事だからだ。
「一つの点となるデータ」から「全く違う異質なデータ」の関連性を見つけ、結びつけ、それを事業化するため地図を創っていくのが、本来の仕事だからだ。
決して、市場調査や広告だけが仕事ではない。

このような「事業化するための地図を創る」為に必要なことは、マーケティングに限ったことではないのでは?
だからこそ、ドラッカーは「マーケティングはビジネスの基礎知識」と、言い続けていたのだと思う。
にもかかわらず、日本のビジネスパーソンの多くは「How to」ばかりを求める傾向が強い。
確かに「How to」を知ることで、その部分の知識を得ることはできるが、応用となるとできなくなってしまう。
一つの知識から、他の物事への展開が苦手なのだ。

「効率」が求められる今だからこそ、「知の蓄積」が必要なのではないだろうか?
表層的な情報のかき集めではない、自分の中に貯めていける教養なら、いつでも引き出すことはできるし、自由に組み合わせることもできる。
混沌としたビジネス社会だからこそ、自分の仕事とは関係のない分野への興味・関心が大切な気がするのだ。
言い換えれば「(ビジネスの)地図を創る、プロデュース力の基礎が教養」ということになるのかもしれない。



「アイヒマン」にならない為に-衆議院選挙を考える-

2017-10-08 21:34:42 | 徒然

今日のタイトル「アイヒマン」については、深く説明する必要はないと思う。
ヒットラーの命令により、数多くのユダヤ人殺害に大きく関与した人物だ。
ただアイヒマン自身は、とても凡庸で極普通の人物だった。
凡庸であることが悪いわけではなが、アイヒマンの問題は「自分で考える」という一番大切なことを、放棄してしまっていた。
従順に、ヒットラーの指示に従い、数多くのユダヤ人をホロコーストに送り出しただけで、「自分に責任はない」
と、罪悪感も無ければ、むしろ命令をしたヒットラーが悪いという意識を持っていた。
「自分で考えることをしなかった」ことが、アイヒマンを殺人者へと導くことになったのだ。

今回の選挙でも各政党は、様々な公約を掲げている。
その多くは「票を獲得するための公約」であって、実現をする為の努力を表明しているわけではない。
例えば、今日夕方の新聞社のWEBサイトには、安倍さんが「私立高校の無償化の検討」ということを言ったようだが、この唐突感は何だろう?
これまで安倍さんは、教育に関する発言はほとんどなかったような気がする。
強いていうなら、例の「森友学園と加計学園の問題」くらいで、それは教育というよりも「口利きがあったか否か」という話だ。
そしてこの問題について、安倍さんは説明責任を果たしたと思っていない有権者のほうが、遥かに多いと感じている。

「希望の党」の小池さんにしても、党を結党する前の発言と現在の発言にブレがあるような気がしている。
「ブレがある」ことを悪いと単純に言えることではないが、これまでの小池さんの「変わり身の早さ」を考えると、その場の「ご都合か?」とも感じてしまう。
まして小池さん自身は、東京都知事という立場で党首となっている。
今回の選挙で、過半数は無理でも第一党となったときの「首班指名候補」として、名前が挙がるのは党首として当然だろう。
だが、小池さんは国会議員ではない。
となると「希望の党」の党首である東京都知事の小池さんは「首班指名」の対象とはならず、「希望の党」の国会議員から選ぶということになる。
この「チグハグ感」は、本当に日本の政治は大丈夫なのだろうか?という、不安を与えることになるのでは?

ただ、投票をする側として、考えなくてはならないのは「実現不可能な公約」を、簡単に切り捨てないことだと思う。
不可能なら不可能なりに、どうしたいのか?どうするつもりなのか?という「地に足のついた」考えや手法を公約の中で、どう述べているのか?ということに注目する必要があると思う。
そして、安倍さんの「私立高校無償化検討」のような、耳障りのよい言葉に騙されない、ということも。


デザインにもロングセラーがある

2017-10-06 20:08:30 | アラカルト

Huffpostを見ていたら、懐かしいデザインを見つけた。
毎年「グッドデザイン賞」を発表している経産省が、新たに設けた「ロングライフデザイン賞」についての記事だった。
グッドデザイン賞:ロングライフデザイン賞

受賞デザインを見ると、懐かしいものや、今でもお世話になっている文房具がある。
おそらく多くのご家庭の冷蔵庫には、おなじみのパッケージと共に、ストックされているのではないだろうか?
中には、一時生産中止となって「レンズ付きフイルム 写ルンです」も、受賞をしている。
最近、若い人たちを中心に人気復活をしてきた、と今年話題にもなった。
受賞した「長靴」を見ると、今でもオシャレな印象を受けるだけではなく、受賞をした企業だけではなく多くの企業が同じようなデザインの長靴を出しているような気がしている。
「意匠デザイン」という考えが無いまま、今に至ってしまったのかもしれない。

この中で一番目を引くのは、黄色い帽子だと思う。
幼稚園~小学校低学年の頃、この帽子を被っていたように思う。
懐かしいだけではなく、今でも毎年新入学・新入園の頃になると、この帽子を被った子供たちの姿を見る。
懐かしいだけではなく、なんとなくこの帽子をあぶった子供たちに、エールを送りたくなるような気分になるのは、私だけではないと思う。

この帽子に「デザイン」といわれたときには「え!デザインですか?」という、気がしたのだった。
メトロ型と呼ばれる帽子の基本型過ぎて、デザインであるということを忘れていたからだ。
そしてこの帽子に「学堂交通安全帽子」という名前があるということも、知らなかった。
それだけ、自分の生活に密着していたものだった、というだけではなく多くの人たちが「当たり前のように受け入れてきたデザイン」であった、ということなのだと思う。

ただ本当に、何もしないで長い間生活者に使われてきた、というだけなのか?というと、違うのではないだろうか?
マヨネーズのパッケージデザインにしても、のど飴にしても、時代の変化と共に私たちには気づかないような、デザイン変更はしてきているのではないだろうか?
それは、時代の空気感(決して「忖度」ではない)などを敏感にキャッチして、「より使いやすい」とか「より分かり易い」といった、生活者の気持ちや生活者への思いを時代と共に、変化させてきているのではないだろうか?
だからこそ、いつの時でも以前と同じような感覚で、使うことができるのでは?と、思っている。
それは、「ロングセラー商品」と全く同じ考えだからだ。

この「ロングライフ賞」の趣旨として、

機能的に必要十分なだけではなく、
人々にとってなくてはならないものとして受け入れられ、
長い時間をかけ私たちの暮らしに定着してきたもの。
これから先も大きく変わることのない普遍性を持ったもの。

この賞が大事にしているのは、「デザインは私たちの暮らしを豊かに支え、
日常の風景の一端を形づくる」という考え方です。
だからこそ、スタンダードとして私たちの想いに長く寄り添ってくれる、
美しいものであってほしいと考えています。

という文がある。
この文を読んで、日本の「民芸運動」の中心となった柳宗悦を思い出した。
私たちの日常生活は、このような「暮らしを豊かにしたい」という思いが、ロングセラー、ロングライフデザインを生み出すのだろう。



IMFの警告に耳を傾けよう

2017-10-04 13:25:01 | ビジネス

先日IMFから家計の借金に警戒感、という内容の記事が毎日新聞に掲載されていた。
毎日新聞:IMF 家計の借金増に警戒を「危機を招く恐れ」

IMFが発表している内容なので、日本の家計状況を示すものではない。
日本の家計状況を示すものではないが、とても興味深い内容であることには違い無いと思う。
特にGDP(国民総生産)が高い国であっても、国民の家計は借金をしながらの生活を続けているという内容だからだ。
借金をしながら生活を続けているだけではなく、その借金が以前よりも増えているという点がIMFの警戒感となっていると考えている。
というのも、4月には米国で再びサブプライム自動車ローンの破産者が出始めている、というニュースがあったからだ。
Business Insider:アメリカの金融街が不安視する自動車ローンの延滞率上昇

アメリカで起きた低所得者向け住宅ローンの焦げ付きが元となった「リーマンショック」。
その悪夢が再び起きようとしている、というのがアメリカの自動車ローンの延滞率の上昇だと考える方は多いと思う。
そして今回IMFが、家計の借金が増えているという指摘は、まさにこのような状況がアメリカだけではなく、他の国でも起きている、という指摘なのでは?と、読み取ることができる。

「借金をしないで、生活をしている・できている」と、感じている生活者は多いと思う。
ただIMFが指摘しているし「家計の借金」の中には、住宅ローンや自動車ローンなどが含まれていると考えると、「借金をしないで生活をしている・できている」という人達も、含まれていることになる。
最近では、「土地活用と老後の安定した収入」という言葉に乗せられ(?)アパート・マンション経営をするために、銀行などから融資を受けている、という方も少なくないのでは?
実際、リーマンショックで問題になったのは「住宅ローンの焦げ付き」だった。
そして今度は「自動車ローンの延滞率の上昇」が、アメリカで起きている。

安倍さんは「アベノミクス」を継続するつもりのようだが、アベノミクスそのものが大企業向けの経済政策であり、その恩恵を受けない・受けられない人たちのほうがはるかに多かった。
そのため、景気が良くなったという実感が持てない人たちも多い。
まして非正規雇用者が増えていることを考えると、「借金をしないで生活をしている・できている人」そのものは、想像よりも遥かに少ないのではないだろうか?

もちろん、IMFの警戒感の中にはGDPが高い国の中で「経済格差が広がりつつある」という、指摘も含まれていると思う。
それだけではなく、その「経済格差が生み出しつつある実態」の顕著な例として、「アメリカの低所得者向け自動車ローンの延滞率上昇」とみることはできないだろうか?
「低所得者向け自動車ローンの延滞率上昇」を「対岸の火事」と思ってしまうのは危ないような気がする。
その危険性を、IMFは警告しているのではないだろうか?


ジャニーズを退所した3人の戦略と時代の変化

2017-10-02 12:52:49 | ビジネス

この時期であれば、衆議院選挙の話題とも考えたのだが、告示までに一波乱、二波乱ありそうな雲行きだ。
もう少し静観する必要があるような気がしている。
そこで、少し違うテーマのことを考えてみたい。

ジャニーズを退所した、稲垣さん、草彅さん、香取さんの3人が、早くも新しい動きを見せている。
「新しい地図」というファンサイトの立ち上げから、次々に新しい話題を提供している。
その中でも話題となっているのは、amebaTVで放送予定の「72時間ホンネテレビ」だろう。
72時間ぶっ通し生放送ということだが、地上波ではなくamebaTVというインターネット放送を選んでいる、ということで「ジャニーズの正反対の戦略」などと、言われているようだ。

確かに、ジャニーズ事務所はインターネットなどの新しい情報ツールに対して、過剰な反応をするところがあるようだ。
同じニュースにしても、新聞ではOKを出してもネット上では写真掲載がNGだったりするらしい。
当然、ジャニーズ事務所に所属しているタレントさんたちは、SNSなどは厳禁ということのようだ。
何と時代錯誤的な事務所なのか?と思うところだが、そのような考えの事務所なのだから仕方ないだろう。

その一方で、ジャニーズ事務所が既存のメディア、特に地上波テレビ局に対して圧倒的な力をもって、いろいろなことをしてきた(これからも継続するであろう)という話もある。
だからこそ、活動メディアの中心をネットにしたのではないか?という、指摘も様々なところでされている。
確かに、ジャニーズ事務所側が積極的ではない媒体であるネットを中心に活動をする、というのはジャニーズ事務所側を刺激しない為のようにも思えるが、それだけなのか?という気もしている。

例えば「ネットフリックス」。
ご存じのように、ネットのドラマや映画の配信サイトだ。
定額料金を支払うことで、無制限に好きなドラマや映画、アニメがテレビだけではなくPCやタブレット、スマホで楽しめる。
ネットフリックスをはじめとする、ネット配信サイトの強みは、定額料金で「見る場所・時間・ツールを選ばずにみられる」という点だ。
それだけではなく、「オリジナル作品」なども制作するようになり、「ネットフリックスでしか見られない番組」もある。
この傾向は、「ネットフリックス」だけではなく、AmazonやHulu、WOWOWなどにも見られ、ネット放送に限らず、定額視聴者という固定的なファンを獲得することで、過去に放映された既存のドラマの他、オリジナルドラマや海外ドラマなど、地上波では考えられないほどの番組を提供することで、新しいファンの獲得に成功している。

そう考えると、地上波のテレビ番組の視聴率全体が下がり続ける傾向がある中、地上波にこだわらずに新しいネット番組にチャレンジする、というのは新しいファンを作っていく上でも良い判断だったように思う。
それは、「ジャニーズ事務所を退所したから(ジャニーズの逆鱗に触れないように)」などという理由よりも、アジア進出であったり、これまで積極的にテレビを見ずにネットを利用する若い層に対するアプローチなのではないだろうか?

いつまでも、メディアの中心に既存のテレビ局があり、ネットがサブ的存在である、という考え方からメディア自身が脱却する必要があるのではないだろうか?