日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

「がん」で亡くなる=壮絶な闘いの死?

2018-09-16 19:32:07 | 徒然

女優の樹木希林さんが、乳がんで亡くなられた。

スポーツニッポン:女優の樹木希林さんが死去 75歳 病気と壮絶な闘いを繰り広げ・・・

その前には、キャスターの浜尾朱美さんの訃報があり、先月には漫画家のさくらももこさんが亡くなられた。
著名な方々の同じ病気による訃報を聞くと、その病気の恐ろしさのようなものを感じてしまうのは仕方ないと思う。
そして亡くなられた方々に共通しているのは、乳がんの治療を10年以上続けられてきた方々だった、ということだ。

通常「がん生存率」は、5年を一区切りとすることがほとんどなのだが、乳がんに限っては10年になっている。
理由は、乳がんそのものは進行が遅いがんであるために、再発・転移が見つかるのに時間がかかるからだ。
しかも、再発・転移が見つかったとき、以前と同じタイプの乳がんとは限らない、という難しさもある。

「同じタイプの乳がんではない」と聞くと、不思議な気がされる方のほうが多いと思うのだが、乳がんに限らず臓器にできる固形がんの場合、同じがんであっても遺伝子の変異が違う為に、同じ治療ができないという場合がある。
私の場合「ホルモン受容体タイプ」の中の「ルミナルA」と呼ばれる、進行も遅く大人しいタイプの乳がんと診断されている(担当主治医に確認済み)。
そして再び乳がんになったとき、同じ「ルミナルA」ではなく、悪性度が高いと言われている「トリプルネガティブ」というタイプで、再発する可能性もある。
そのために、再発・転移が繰り返されるたびに、そのタイプに合わせた治療が必要になる、ということなのだ。

その意味で「長期戦」となるがんの治療は、壮絶な闘いという印象を持たれると思うのだが、本当に「壮絶な闘い」なのか?と、言えば患者さん自身の「がんと向き合う姿勢」で、随分違ってくるといわれている。
乳がんに限らず、大腸がん、卵巣がん、すい臓がん等で亡くなった知人たちの中には、初めての治療の時に「余命」を告げられ、その余命以上の年数を生き切られた方も少なくない。
そのような方々の生き方は「壮絶な闘い」というよりも、穏やかでその人らしい生き方を貫かれたという印象を持っている。
もちろん、治療そのものは辛く厳しいものであったと思うのだが、それ以上の生き方をされた、という気がしている。

随分前だが、血液内科の先生の講演会で、興味深い話があった。
その先生は
「がんは、怖い病気だと思っている人は多いが、実はがんは亡くなる寸前までその人らしさを失わない病気だといえる。糖尿病は、生活習慣病の中でも身近な病気の為、あまり危機感を持っている人はいないが、糖尿病の場合「(細胞の)壊死」によって、足の指を切断することがある。足の指の切断だけならまだしも、足の指の次は足首、膝、大腿部切断といった具合に、治療の為に何度も切断を余儀なくされる患者さんは少なくない。自分の意思で動けなくなるというのは、辛いと言う言葉以上の絶望感を与える。しかも自分の容姿が変わり果てていく過程を見続ける、というのは絶望と言う言葉以外にはないと思う。それに比べがんの場合、適切な治療と緩和ケアを受けることで、自分らしさを最後まで失うことは無く、最期の時を納得できるように迎える患者さんは数多くいる。」
という話をされていた。

確かに度重なる抗がん剤治療で脱毛をしたり、腹水や胸水が溜まり息が苦しいなど、辛いことが多いのもがんの治療だ。
だが、患者さん自身の「がんと向き合う考え方」、何よりも「死生観」によっては、亡くなる直前まで比較的元気に家族と過ごせる病気でもある。
実際、樹木希林さんは一度危篤状態になりながらも生還され、ご家族に看取られた最期だった。
壮絶な闘いの果てに亡くなられたのではなく、穏やかな最期だったのでは?
それはがんの治療を続けながらも、様々な映画に出演をされ、数々の賞を受賞するほどのご活躍をされていた、ということが一番よく表していると思う。

メディアもそろそろ「がん死=壮絶な闘い」という、決まり文句のような見出しは止めてはどうだろう?




温泉とタトゥー・・・解決策を考える

2018-09-15 19:52:29 | アラカルト

Huffpostに、見事なタトゥーの写真を使った記事が、掲載されていた。
Huffpost:タトゥー入浴、温泉施設の対応は?外国人客は増加、でも根強い拒否感も・・・

「インバウンド」という話題と共に、海外からの観光客のタトゥーとどう向き合うのか?ということが、言われるようになってきた。
個人的には、拒否感というほどではないが、余り良い印象を持ってはいない。
様々な国には「文化としてのタトゥー」があることは知っているし、そのコトを云々する気はない。
ただファッションであっても、カッコ良いとは思えず、「見てはいけないモノを見てしまった」という感覚があるのかもしれない。
最近見た中では、パリス・ジャクソン(故マイケル・ジャクソンのお嬢さん)のタトゥーを見て、「なんだかな~???」という気がしてしまった(彼女の腕のタトゥーは、リストカットの痕隠しとも言われているのだが・・・)。
VOUGE:パリス・ジャクソン、人生に影響を与えたサウンドトラックを大公開 (動画・音声あり)

サッカーのスーパースターであった、デビット・ベッカムなどを見ていると、一度タトゥーを入れ始めると、際限なくタトゥーを入れるようになってしまうのか?という気がしている。
Huffpostで使われたジャスティン・ビーバーにしても、上半身(だけではないような気がするが)様々な絵や文字のタトゥーを入れている。
一度整形美容にはまった女性が「もっと美しく!!」という思いから、際限なく整形美容を繰り返すのと同じような感覚で、自分の体をタトゥーで彩りたくなるのか?ということだ。
一つの「美意識のあらわれ」ということになるのかもしれないが、その美意識を受け入れられない人もまた数多くいる。
とすれば、どこかで折衷案を出すことで、トラブルの回避を考える必要があると思う。

そうはいっても、タトゥーを入れた海外からの観光客が今後増えてくるのは、間違いないだろう。
とすれば、温泉などの入浴施設では、何らかの対策を取らざる得ない状況になってくると思う。
おそらく一番簡単な方法は、「入浴時間の入れ替え制」だと思う。
「タトゥーがある人時間・ない人時間」という、入浴時間の振り分けだ。

本来であれば、のんびりゆったり温泉につかりたい、というのが心情だとは思うが、例えば夕方から夜の9時くらいまでを「ファミリータイム」として家族向けの入浴時間とし、その後の2時間程度を「タトゥーがある人時間」というようにすれば、問題解決とまではいかないが、入浴時に起きるトラブル対策にはなると思う。
本来であれば、「タトゥーの有無で分ける」ということが問題、ということになるとは思うのだが、日本の社会の中でなかなか受け入れられないのだとすれば、このような考え方も一案ではないか?ということだ。




「東京ラブストーリー」の再放送に思うこと

2018-09-14 22:46:08 | ライフスタイル

しばらく前のYahoo!のトピックスに、「東京ラブストーリー再放送」という、記事がpickupされていた。
オリコン:「東京ラブストーリー」14年ぶり7回目の再放送
1991年に作られたドラマなので、かれこれ27年ほど前のドラマだ。

私と同世代の方はご存じの方も多いと思うのだが、原作は柴門ふみさんで「ビックコミックスピリッツ」に連載されていた漫画だ。
このころは、まだまだバブルの余韻が残る頃で、なんとなく社会全体が浮足立っていたような感じだった。
何より、赤名リカのエキセントリックで自由奔放さは、あの頃の時代感をデフォルメ化した人物像だったかもしれない。
しかし、主人公は控えめで従順そうな女性を選んだ。
それが、昭和から平成へと移り変わる、変化の一つのあらわれだったのかもしれない。

今回の再放送は、新しく始まるドラマの主人公が「東京ラブストーリー」の主人公の2人という、ある意味「番組の宣伝」を兼ねたような再放送であることには、違い無いと思う。
そしてこの再放送を見る人は、どのような人達なのだろう?と、想像してみるのだ。
1991年当時、リアルタイムで視聴していた人たちが、懐かしく見るのか?
それとも、再放送を見ることなく「月9」と言う言葉を定着させた、大ヒットドラマというだけの情報を持った人たちが視聴するのか?
その違いで、新しく始まるドラマの視聴者層も見えてくるのでは?という、気がしている。

そして、14年間再放送されず、13年間の間で7回も再放送をされたという、理由というか社会的、経済的背景の違いのようなものも考えてみる必要がある、と感じている。
「平成」という時代の、前半・後半ともいえるのでは?と考えるからだ。
Wikipediaで2004年の日本を振り返ってみると、今年の日本と似ている部分が多い。
その一つは自然災害の多さだ。
猛暑、大雨、地震と、立て続けに自然災害に見舞われている。
そして作家・池井戸潤さんの「空飛ぶタイヤ」のモデル?となった、三菱自動車の全社的リコール隠しが発覚した年でもある。
今年相次いで発覚した、企業のデータ改ざんを彷彿とさせるようなことも、起きていたのだ。
以来、なんとなく日本の社会全体が「大企業に対する信頼」というモノが揺らぎ始め、それが経済への大きく影響し始めたのかもしれない。
若い世代にとって、就職氷河期から続く「暗く希望が持てない時代」が深刻化し、「東京ラブストーリー」の赤名リカのような自由奔放な生き方そのものが、時代に合わなくなってきたことが顕著になったのかもしれない。
だからこそ、ほぼ2年に1回という頻度で再放送が、14年間も再放送されなかったようにも思えるのだ。

写真で見る28年前の若者たちの姿と、この14年間の若者たちのファッションだけではなく、ライフスタイルや思考などには大きなギャップがあるはずだ。
そのギャップが楽しめる人達が、再放送を楽しみにできる人達なのかもしれない。




日本の基礎研究の底力

2018-09-13 21:39:37 | 徒然

Yahoo!のトピックスを見ていたら、「日本の基礎研究から応用研究への底力」を感じるような記事があった。
NEWSポストセブン:がん再発率75%下げる夢の新薬「ペレチノイン」が最終治験に

この新薬を研究開発をしたのは、興和という創薬からOTC薬まで製造をしている企業だ。
一番馴染みがある薬は、「キューピーコーワ」だろうか?
そのため、OTC薬のイメージが強く私自身創薬のイメージは、まったくなかった。
というのも、今の創薬(あるいは新薬)を中心に行っている企業は、欧米の製薬企業の傘下になったり業務提携をするなど、巨大化しているからだ。
何故なら、新薬の開発には膨大な時間と労力、何よりお金がかかるからだ。
そのような状況の中で、興和がほぼ単独で研究開発を進めて、このような新薬を創り出した、ということが驚きだった。
その意味では、高額ながん治療薬として話題になった、「免疫チェックポイント阻害剤・オプジーボ」を研究開発した小野製薬と同様の驚きがある。

ここ数年の新薬の研究・開発の基礎となっているのは「ヒトゲノム解析」によって、得られたデータを基にした研究だ。
それでも、このような創薬の為に重要なのは、「ヒトゲノム解析」によるデータを活用するための基礎研究の蓄積が必要だろう。
興和のHPを見ると、2010年には既に学会で第Ⅱ相、第Ⅲ相の治験結果を発表しているようなので、随分前からこの新薬を開発していたことが分かる(第Ⅱ相治験は、少数の患者を対象とした治験、第Ⅲ相治験は大規模治験のこと)。
興和:肝細胞がん再発抑制「ペレチノイン」の第Ⅱ/第Ⅲ相臨床試験データ・・・・(注意pdfファイル)

面白い(といっては不謹慎だが)ことに、この「ペレチノイン」という新薬の効果となる仕組みが確認されたのは、治験が始まった後からのようなのだ。
理化学研究所:肝がん再発予防薬の作用メカニズムを解明(2016年1月8日 リリース)

2010年の治験の時には、まだまだ「ヒトゲノム解析」が高額で時間もかかっていたことを考えると、「ヒトゲノム解析」による「ゲノム医療」としてのスタートではなく、様々な可能性を考える中で薬剤を組み合わせて誕生したのかもしれない。
というのも、化学療法(=抗がん剤など薬によるがん治療)専門医の先生から「昔から使われている抗がん剤の中には、その効果は認められるのだが、効果の仕組みがはっきりしないモノがある」という、話しを随分前に聞いたことがあるからだ。
そして、そのような薬の開発にはこれまでの「がん」についての、基礎研究とデータの積み重ねと研究者のひらめきがあったからこそ、できた薬なのかもしれない。

「がんの治療薬」という分野では、日本は基礎研究はトップクラスだが、応用研究となると欧州の製薬企業に劣る、といわれてきた。
小野製薬の「オプジーボ」の研究・開発以来、日本の基礎研究+応用研究による、新薬への期待が高まりつつあるように感じている。
興和は製薬企業の中でも、欧米の製薬企業に比べれば規模も資本力も小さいと思う(実際のことはわからないのだが、日本の製薬企業で一番大きな企業は武田製薬)。
企業規模では劣る興和という企業が、「がんの予防薬」という新しい切り口の新薬を研究・開発した、ということは日本の企業の基礎研究の底力だと感じるのは私だけではないと思う。


 


「統計の基本」を学びましょう

2018-09-12 12:42:11 | ビジネス

Yahoo!のトピックスに、これは「統計ではない!」という統計の記事が、取り上げられていた。
Yahoo!トピックス西日本新聞:統計所得、大幅に上昇 政府の手法変更が影響 補正調整されず・・・専門家からは批判も

統計の専門家だけではなく、さほど統計数字を見なれていない方でも「酷い!」と思われる、内容だ。

そもそも「統計」というデータには、2つの見方がある。
一つは、統計がとられた時の状況分析。
もう一つは、以前の統計との比較だ。
そして専門家だけではなく、多くの人たちが注目するのは「統計との比較」だ。
なぜなら、以前や他の統計と比較することで、「今の状況」がつかめるからだ。
そのためには、統計の手法を変えない、という大原則がある。
統計の前提となる条件が同じでなくては、比較する意味が無いからだ。

おそらく、この統計をまとめた担当部局の方々は「目先の良い数字」だけが欲しかったのだと思う。
そして、手法は違うかもしれないが、このような「目先の良い数字」が欲しくて、様々な問題が起きている。
会計上の問題となるのは「粉飾決算」ということになるかもしれない。
最近問題となっている、企業のデータ改ざんなども、その一つといえるだろう。
いずれも意図的に、都合の良い前提条件を基にして「データ」を作り上げている、という点では同じだではないだろうか?

企業などの場合、それなりの社会的糾弾がされるが、国の場合そのようなことはほとんどないと思ているかもしれない。
むしろ「国が出してきたデータだから」という、信頼性があると思ってその数字を見ることのほうが、多いだろう。
企業が発表するデータと違い、「様々な偏り」が少ないからだ。
しかし、その国が出してきた「統計」が、基本中の基本を忘れた内容だとすると、それは国内に対する信用がなくなるだけではなく対外的にも「日本からの統計は、信用できない」という、事になる。

「統計」をとるのは、「客観性」という信頼があるからだ。
その「客観性」は、変わらない前提条件があるからこそ、比較をしたり分析をしたりすることができるのだ。
この統計をつくられた方とこのような統計を出すことを指示した方々は、「統計」の基本をもう一度学び直してほしいものだ。



判断をするのは、客観性よりも主観? 

2018-09-10 11:21:18 | マーケティング

Yahoo!の「あなたのおすすめ記事」を見ていたら、気になる記事が二つあった。
一つは日経ウーマンの「子宮頸がんワクチン」、もう一つはHuffpostの「イソジン牛乳」という記事。

日経ウーマン:子宮頸がん ワクチンの副反応と罹患率どちらを取るか 接種しない場合のリスクと接種した場合のリスクを見極めよう
Huffpost:医師が提唱「イソジン牛乳」の怪 うがい薬入り牛乳でがんが消える?メールと口コミで拡散も

今や「日本人の二人に一人が、何等かのがんに罹患する時代」とは言え、今だに「がん」と聞くと悲観的に受け止める方は多いと思う。
漫画家のさくらももこさんが、10年という闘病の末乳がんで亡くなられたばかりだ。
その後、民間療法などに頼っていたなど、一部週刊誌などで報道されたが、死因が乳がんであった、ということには変わりない。
だからこそ、「自分ががんにならない為に!」という思いがあり、「がんで死にたくない」という気持ちになるのだと思う。
この二つの記事は「がん」という病気に対する、多くの生活者の受け止め方がよくあらわされているように思うのだ。

まず「イソジン牛乳」についてだが、冷静に客観的に考えるまでもなく、「トンデモナイ治療」だということが素人でもわかる。
しかし、このような「トンデモナイ治療」を藁をもすがる思いで、実行してしまう人がいる、
実行する人を非難する気はないが、「医師が提唱している」と言う言葉は、健康雑誌などで頻繁に見かける文句でもある。
逆に「医師が提唱している」と言う言葉によって、その情報に信憑性を持たせている。

もう一つの「子宮頸がんワクチン」については、副反応が問題となり、現在は積極的なワクチン接種は推奨されてはいない。
当たり前だが、「恐ろしい副反応」による後遺症という情報があれば、どうしてもネガティブな情報を優先に考えるのは仕方ないと思う。
ただ「子宮頸がん」についての知識が無いまま、恐怖心をあおるだけでは「子宮頸がん」の罹患リスクを減らすことはできないし、現実問題として、先進諸国の中で日本だけ「子宮頸がん」の罹患者と死亡者が増え続けている。しかも罹患年齢が30代~40代前半の女性が亡くなるがんといえる。
それだけではなく、場合によっては適切な治療を受けても、妊娠ができなくなる可能性もある(一時期、「子宮頸がんワクチン」の副反応により妊娠できなくなる、という根拠の無い噂があったが、ワクチン接種と妊娠は全く関係が無い)。

人は、自分にとって不利な情報をシャットアウトしてしまう、という傾向がある。
「子宮頸がんワクチン」は、「深刻な副反応」という情報。
「イソジン牛乳」は、「抗がん剤」などの「標準治療に対する限界や副作用の不安解消」だ。
「がん」という病気は「死ぬ病気」という社会認識が根強いので、このような話題が起きやすいと思っているが、もっと些細なことであっても私たちは案外「主観」でモノゴトを判断しているのでは?という、気がしている。

 

 


「行きたい街」と「暮らしたい街」は、違う?!

2018-09-09 21:23:36 | ライフスタイル

一昨年に実施された「国内8都市の魅力度調査」。
今年の調査結果が発表された。
結果は、再び名古屋がぶっちぎりで最下位となった。

中日新聞:名古屋の魅力度、また最下位・・・

上位に入った札幌や京都は、確かに観光地としても人気のある都市だ。
横浜の場合、中華街や山下公園、レンガ倉庫など以前から観光地として人気のあった場所だけではなく、最近ではドラマの舞台などでもよく登場する。
人気ドラマの舞台となれば「聖地巡礼」のように、ドラマのファンがロケ場所を巡り歩く、という効果もあるだろう。
東京から近いということも、ロケ地として選ばれる理由だと思われるのだが、ロケーション場所に困らないという魅力があるということもあるだろう。

一方、名古屋はどうだろうか?
東京からロケ―ションを組むには場所が遠く、名古屋だからという場所も思い浮かばない。
ドラマなどで人気のあるロケ場所は、(名古屋以外の方からは意外に思われるかもしれないが)名古屋市役所愛知県庁舎だろう。
いずれも戦前の建物で、第二次世界大戦時に残った貴重な庁舎だ。
しかし、それ以外は名古屋でなくてはロケーションできない、というほどのモノが無いのでは?という気がしている。
確かに、江戸時代からの街並みが残る「四間道(「しけみち」と読む)」や、三種の神器の一つが収められている「熱田神宮」など、ロケ―ションに使えそうな場所はあるのだが、名古屋でなくてはダメというほどではないと思われる。
だからといって、東京の渋谷や青山のような、オシャレな情報発信力がある地区というのもあるとは思えない。

日本初となった「レゴランド」も、入場料の高さなどが響いて当初予定ほどの集客ができておらず、周辺の飲食店などは撤退している。
グルメという点でも、一時期ブームにはなった「ナゴヤめし」だが、「名古屋に来たから、食べてみよう」という感覚であって、「ナゴヤめしが食べたいから、名古屋に行く」という、観光の目的にはなっていないように思われる。
何よりアンケートで「行きたい街か?」と聞かれれば、「さほど行きたい、とは思えない」という、アンケートの回答が出やすい都市であることには、違い無いと思う。
何故なら「行く目的」の中に、「観光」や「遊び」といった要素が含まれにくいからだ。

しかし「住みやすいか?」と問われれば、都市規模に対して比較的家賃なども安く、食に関しても農水産物が近隣から直送され、東京や京都をはじめとする関西方面へのアクセスも便利だ。

言い換えれば「行ってみたい」という魅力には欠けるが、「生活はしやすい」というのが、名古屋という都市なのかもしれない。
そう考えれば、無理に「行ってみたい都市・名古屋」ではなく、「生活をしてみたい都市・名古屋」を目指した方が、良いのでは?という気がする。
そしてインバウンドを考えるのであれば、「名古屋は日本のゲートウェイ都市」というアプローチも、あるかもしれない。

「都市の魅力」というのは、様々な要素があるはずだ。
「行ってみたい都市」としての魅力が無くても、他の要素を見つけ出し、それを「都市の魅力」と考えたほうが、より現実的だと思う。

 


北海道の地震の教訓

2018-09-07 18:31:26 | アラカルト

昨日の未明に発生した、「北海道胆振東部地震」。
夜が明け、土砂崩れがあった地域などは、一部の山が崩れたのではなく、山々の尾根が無残な山肌を見せるほどの大規模なものであった、ということが分かるようになった。
それほどの大きな揺れの地震であった、というだけではなくその規模も大きなものであった、ということをまざまざと見せつけられたような写真だった。

そして今回の地震でより驚いたのは、この地震で北海道全地域で停電になってしまった、ということだ。
地震などによる災害で一部地域の停電ということはあったが、北海道全体という広い地域全てが停電する、ということは前代未聞だ。
そして改めて思うことは、インフラの重要性ということだった。
その中でも「電気と水道」は、私たちの生活の基本となるインフラということだった。

東洋経済:電力から牛乳まで…「北海道地震」の巨大影響

市民生活はもちろんだが、病院などでは入院患者や透析患者など「電力で命を繋いでいる人たち」がいて、その命綱である電力が失われてしまうと、アッという間に命の危険にさらされてしまう。
もちろん、このことは「東日本大震災」の時にも指摘されていたことだが、北海道全体となってしまうと、患者さんたちは助かる道も失ってしまう。
「何故、非常用電源が無かったのか?」という疑問はあっても、その非常用電源もそれほど長く持つようには設計されていないはずだ。
今回の北海道全体で起きた停電は、「想定外」の出来事だった、ということだろう。

これは、公共性の高い施設での問題として考える必要がある、ということを改めて知らしめたのでは?という気がしている。
今回のような事態を避ける為には、自家発電設備を持つ必要性がある、といことが真っ先に考えられる。
真っ先に思い浮かぶのは「太陽光発電」のように、大きな発電施設を持つ必要のない方法だ。
大きなプロペラで風を受ける必要のない、風力発電なども有効だろう。
施設の敷地内に余裕があれば、小型のバイナリー発電など考えられるかもしれない。

そして再び考える必要があるのが、「原発」かもしれない。
今回の地震で「泊原子力発電所」では一時期外部電源をすべて失い(考えてみれば、北海道全域が停電となっているので当然と言えば当然なのだが)、「東京電力福島第一原子力発電事故」の二の舞寸前だった、ということだ。
AERAdot.:震度2で電源喪失寸前だった北海道・泊原発「経産省と北電の災害対策はお粗末」地震学者
外部電源喪失ということも想定して造られているはずだが、「想定外」であったでは済まされないことだったように思う。
その理由は、今でも処理が進まない福島の状況を見れば、明らかだと思う。
安定的な電力供給として原発は有効かもしれないが、外部電源が失われるなどの事故が起きた場合、甚大な被害をもたらすだけではなく、処理そのものも大変な時間と労力と周辺住民や作業員の命に係わる事故となってしまうからだ。

原発再稼働の動きが出ているが、改めて「本当に原発は必要なのか?」、地域、地域にあった「ローカル発電」という発想が必要なのでは?ということを、考える必要がある、と今回の北海道の地震は教えてくれているような気がする。






アムラー、再び登場するのか?

2018-09-05 12:25:43 | ビジネス

平成という時代の「アイコン」の一人となった、安室奈美恵さん。
彼女は、今月引退をする。
その引退に合わせるかのように、様々な関連商品のプロモーションが展開されている。
先日は、引退公演となったライブ映像のDVD&Blu-rayの予約枚数が、ミリオンセラーとなったと話題になったばかりだ。
サンスポ:安室奈美恵DVD、音楽映像作品初のミリオン!

ファンであれば、ライブに行っただろうし、今回のライブ映像は各公演別の特別編集がされているようなので(広告のみの情報なので、間違っているかもしれないが)、コアなファンであれば映像化されたすべての公演を見たい!という気持ちにもなるだろう。
一人で、複数枚のDVD(もしくはBlu-ray)を予約したということも考えられる。

安室さんを平成という時代の「アイコン」として考えるのであれば、そのDVD&Blu-rayのミリオンセラーという点だけで考えるのは、違っているだろう。
それは安室さんがテレビの歌番組などによく出演されていた頃、「アムラー」と呼ばれる安室さんのファッションを真似た女の子たちが、街中に溢れかえっていたからだ。
安室さんが、結婚と妊娠を発表した時に着ていた「バーバリーのプリーツのミニスカート」は、瞬く間に売り切れ、似たようなデザインのスカートまで売られていた。
「アムラー」といえば厚底ブーツ、といわれたブーツも当時の靴屋さんには所狭しと置かれていたし、女の子のほとんどは厚底ブーツを履いていた。
それほど、安室奈美恵さんは影響力があり、同世代の女の子たちにとっての「ファッションのお手本」となっていたのだ。

それから、出産・離婚を経てテレビの歌番組の出演が減った頃から、安室さんのメイクやファッションも大きく変わったような気がしている。
「可愛らしい女の子」という雰囲気から「女性」へと、変貌を遂げた、という感じだろうか?
ご本人は「何も変わっていない」と、言われるかもしれないが、大きく印象が分かったと感じたのはメイクの力だったのかもしれない。

そう思わせるのが、化粧品のコーセーのサイトにある「NAMIE AMURO×KOSÉ」だ。
コーセー公式:NAMIE AMURO×KOSÉ MAKE DRAMARIC
のサイトで興味深いのは、今回のツアーだけではなく安室さんのビジュアルメイクを手掛けてきた、メイクアップアーティストが実際の商品を使って、メイクを紹介している点だ。
起用しているモデルさんは、安室さ似と言い切れないがメイクをし終わった顔は、なんとなく安室さんを感じさせる。

コーセー側としては、長い間安室さんのメイクを担当できたことへの感謝も大きいとは思うが、使った化粧品を紹介していることも考えれば、単に安室さんに対する感謝だけではない、ということもわかる。
「アムラーの復活」ということも期待しているので?と、感じてしまう部分もある。

コーセーがこのようなプロモーションができるのは、安室さんが「平成のアイコン」だったからだろう。


社会が少し変わったと感じた台風21号

2018-09-04 19:31:25 | 徒然

今日四国に上陸した台風21号は、関西を中心に様々な被害をもたらして、北陸から日本海へと抜け、北日本に向かっているようだ。
大阪から神戸にかけては、高潮の為に港湾施設などで相当な被害が出た他、JRや私鉄など随分運休をしたというニュースがあった。

交通関連の運休のニュースなどは、昨日から発表されていた為だろう、我が家の近くの高校や中学などは、昨日の間に休校を決定したようだ。今朝、出かけるとき高校生はもちろん、中学生の姿も見るコトが無かったことから、学校行事などよりも生徒の安全を優先したのだろう。
それだけではなく、お昼の雨が小降りになったとき、夕飯の買い物と思い出かけた時には、仕事帰りと思しきサラリーマンの姿を見かけた。
一人二人ではない。
むしろ、昼間に買い物にくる主婦よりも、多かったかもしれない。
買い物かごには、帰宅後の食事の為だろう、お惣菜やお弁当などが入っていた。
おそらく、企業側も台風上陸に備え、午後には退社の指示を出しため、思わぬ早い帰宅となったための買い物だったようだ。
その時間、愛知県下にも警報が発令され、強風が吹いていたが雨はさほどひどくはなかったし、地下鉄は平常運転だった。

今回の台風21号のように、学校や企業が早々に休校や終業時刻を繰り上げ、社員に退社をさせる、というケースはあまりなかったのでは?という、気がしている。
確かに、JRや私鉄は早々に運休や延着の情報を流していた。
このような対応も、今までより随分早かったように思う。

今年は、例年になく様々な災害に見舞われたひと夏だった。
大阪北部で発生した地震、西日本を襲った大雨、「迷走台風12号」のように、これまでの台風進路とは全く逆の進路をたどった台風もあった。
だからこそ、JRや私鉄だけではなく航空会社なども早い段階で運休や欠航を決め、それを受けるように学校や企業が早い対策を取ることになったのだろう。

もう一つ感じたのは、これまでであれば「何としても会社に行って仕事をせねば!」という会社員が多かったし、企業側もそれを当然のように思っていたように感じるのだが、今回は企業側も終業時刻を繰り上げ、逆に社員に早めの帰宅を促したように感じたのだ。
このような動きが、これまでなかったことのほうが不思議といえば不思議だが、人の力ではなんともし難い状況であれば、仕事を休むという判断を企業がすることが、今回の台風で当たり前になるかもしれない。
そんな意識変化を感じた「台風21号」だった。